近江京師巡礼 2007年8月11〜14日

八日市を出たバスは途中道の駅「東近江市あいとうマーガレットステーション」などを中継しつつ、かなり遠回りなコースを経て百済寺を目指した。途中、病院前で中年男性が一人乗っただけで、百済寺までの間このちょこっとバスを利用する者は一人として居なかった。

百済寺で降車。

百済寺

受付では、寺のおじさんにこの寺の秘仏がテレビで放映されることをしきりに説明された。滅多にない開帳日に本尊を観た人たちの評判がよく、観られなかった人からの要望が強く、今度テレビ放映されるのだとか。かなり鼻息が荒かった。NHK衛星放送のようなので、契約していない自分はどうせ観られない…。

現在彦根城築城400年記念ということで、湖東三山それぞれで特別公開をしているが、ここ百済寺では、本尊の脇侍である如意輪観音と、聖観音菩薩が公開されている。本尊はともかく、こちらが気になる。

 
寺務所を立ち去り階段を登って本堂を目指す。また階段か…。途中の仁王門は傘を広げたような屋根をしていた。

 
仁王門の裏側で仁王二体が控えていた。

境内は静かで、仁王門の先で女性三人とすれ違った以外、人を見なかった。

 
百済寺の本堂。西明寺もそうだったが、湖東の寺には石垣が積まれている寺が多い。かつては武装した僧兵の立て籠もる軍事拠点だったのかもしれない。いずれも天台宗だし。要塞だったわけだ。

 
湾曲した破風が付いていてかっこいい。


内部は外陣と内陣が格子窓で分かれる天台宗の典型的な様式となっていた。まず外陣をチェックしよう。

 
何故か閻魔が二体、外陣で内陣を護るように坐していた。赤閻魔と白閻魔だとか。何故紅白なのか不明。

最も気になったのは、外陣に掲げられていた額だ。


左から童男身、宰官婦女身、緊那羅身?(キンナラは音楽の神であり、琵琶を持っているので間違いないだろう)、居士婦女身とある。キンナラ以外は読んで字の如くだ。これらに共通するのは最後に「〜身」と付くことである。

一切、この本堂内での説明はなかったが、これらは観音菩薩の33変化身のうちの四つである。


辟支仏身、婆羅門身、比丘尼身、優婆夷身となる。

まず辟支仏身はプラティエーカ・ブッダの音訳で、意訳すると独覚、縁覚となり、すなわち自らの力で悟りを開いてブッダとなったもののことであるが「所詮はそのステージにしか居ない者」ということにもなり、救済を指向せずに自己満足で終わろうとしている者として捉えられ、「縁覚に堕した」と貶められることにもなる。一度は悟りを語らずに涅槃を迎えようとした悟り直後の釈迦如来を暗示しているのだろう。

婆羅門身は読んで字の如くバラモンのことだが、なぜか武装している。比丘尼身はそのまま出家した尼僧のこと。それに対し優婆夷身(ウバーイ)は在家の女性信者のこと。


乾闥婆身、摩【目候】羅身、龍身となる。

乾闥婆身はそのままガンダルヴァで音楽の神(笛を吹いている)であり、童子を護る夜叉神でもある。摩【目候】羅身はマホーラガ(頭に蛇がとぐろを巻いている)、龍身はナーガ(見てのとおり背後に龍が居て、火を吐いている。足元には波濤があり、やはり海や水との関わりの深い龍を暗示している)のことで、どちらも天龍八部衆のメンバー。


帝釈身、長者身となる。読んで字の如く帝釈身は帝釈天すなわちディーヴァ・シャクローナーム、長者身は在家の裕福で清い生活を送っている、仏教において在家信者の理想像を描く。維摩経のヴィマラキールティなどはこの長者のカテゴリーに入る。

 
毘沙門身、小王身、?、梵王身となる。

毘沙門身はそのまんまヴァイシュラヴァナ、小王身は王族のこと。梵王身はそのまんまブラフマン。三番目は読み取れなかった…。


婆羅門婦女身、比丘身、優婆塞身、居士身

婆羅門婦女身は字の如く、比丘身は男性僧侶(女性僧侶=尼僧は比丘尼となる)、優婆塞身(ウバーサイ)は男性の在家信者(女性はウバーイとなる)、居士身はそのまんま在家のまま修行している者。


夜叉身、阿什羅身、長者婦女身、童女身となる。

夜叉身はそのまんまヤクシャのこと(悪魔そのものだ)、阿什羅身もアスラ(分かりやすい)、長者婦女身、童女身の字の如く。


迦楼羅身、執金剛神となる。

迦楼羅身はそのまんまガルーダで、通常鳥人のように描かれるものがここでは頭に鳥を乗せ、雲に乗って飛行する形姿で描かれており珍しい。執金剛神はそのままヴァジュラを持つ力士のこと。

さて、33変化身のうち、天身、宰官身、天大将軍身、大自在天身、自在天身、声聞身、仏身の七つは確認できなかった。これらのうち一つが、先ほど読み取り不可能な上半身裸の老人となるのだが、身なりからすれば「声聞身」っぽいのだが、字が違うような気がする…。ちなみに声聞身は羅漢すなわちアルハンのことだ。

他の六つは自分が撮り忘れたか、失われているかのどちらか。はっきりしなくて申し訳ない…。

ちなみに天身はディーヴァでありヒンドゥー教においては「神」とされているものたち。仏教においては所詮は六道のうちの天道でしかなく、神さえも解脱できない身となっている。ここにおいて、仏教はヒンドゥーの神々よりもメタであるとの態度が表明されている。

ここで天身とは、他にナーガ、ヤクシャ、ガンダルヴァ、アスラ、ガルーダ、キンナラ、マホーラガが居ることから、おそらく天龍八部衆の一、五部浄を指すものと思われる。

蛇足だが、日本において神仏習合では、日本の神が、神であることの業に思い悩む存在として捉えられ、仏になろうと菩提心を起こした菩薩形の垂迹と考えられるようになっている。

宰官身はそのまんま官僚、天大将軍身はナーラーヤナ、大自在天身はマヘーシュヴァラすなわちシヴァ、自在天身はヴィシュヌ、仏身はブッダのことだ。

これらの33変化身については、蓮華経観世音菩薩普門品第二十に描かれている。これらは観音菩薩が仏神の他、あらゆる社会階層の者へと変化しうることを示しており、観音菩薩はどこにでもいるのだ、あなたが出会ったものは観音菩薩の変化身かもしれない、人から受けた施し、あるいは自分が人に対して行った施しといった行為そのものの働きがすなわち観音菩薩の功徳である、ということを言っていることになろう。

あらゆる人と人の関係、神と人との関係、あるいは自然と人との関係、世界と人との関係、宇宙と人との関係は、すなわち織物(テクスチャー、テクスト)のように張り巡らされており、観音菩薩とは実在せず、その関係性、構造そのものなのだ、ということにもなる。ここからは般若経で示された空思想、縁起の法が導かれる。そういえば、般若経において般若(プラジュニャー=最高の智慧)の教えを説いているのは観音菩薩であった。

33変化身にはちゃんと女性も含まれている。大乗仏教の真骨頂がここにある。

凄いのは、他の宗教の神を拝むことも実は観音菩薩の変化身を拝むことであるということになってしまっていることだ。宗教を超越するメタ的な教えがここにあらわされている。仏教に神がいないのはこういうことなのだ。すなわち仏教は宗教ではなく、時間論や空間論を説く哲学なのである。

「観音菩薩は33もの姿に変わることができるのか〜、凄いな〜」で終わってしまっては、何ら仏教的世界観を読み解くことは到底できない。仏教ではヒントしか示してくれない。ほつれた糸にしか見えないそれを、どこまで手繰り寄せられるかで、読解の限界が決まる。

一流の小説もそうだが、すぐれた書き手は書きたいことを書かない。書きたいことを読み手に分かられてしまっては、三流でしかないのだ。巧い書き手はただヒントしか書かない。隠されたそれらを掘り出し、宝を見つけることができるかは、読み手にかかっている。読み手の仕事であり、書き手からの挑戦状なのだ。読むことにも巧拙があり、我々はすぐれた読み手でなければならない。小説などを読んで「何を言いたいのかよく分からない」などと言っているうちはダメなのだ。自分の愚かさを自ら表明しているのだ。


さて、他に明王風の画像もあった。33変化身ではないのは分かるが…。不動明王ではないし、爺さんではないから火天でもない、狐に乗っていないし烏天狗でもないから秋葉大権現でもない。なんだろう…。どこかの垂迹神だろうか。

なんだか既に盛り上がってしまったが、実はまだ内陣を残している。

 
これが内陣。中には入れず、格子窓からのぞくしかない。中央には厨子があり、内部に秘仏の十一面観音があるが、前立がある。前立ちは太もものあたりがボディコンになっていて、清涼寺式っぽい(清涼寺式は釈迦如来像しかありえないため、正確には十一面観音を「清涼寺式」ということはできない)。

さて、その前立ちの脇侍にあるのが今回特別公開となった如意輪と聖観音である。

 
右が如意輪、左が聖観音。どちらも立派な宝冠を付けている。

如意輪は腕は二本の珍しいタイプであり、セクシー過ぎず上品な感じを受け、自分が観た如意輪のうちでは一番好きだ。涼しい顔をしており、帝釈天のようなオトコマエ醤油顔だった。

十一面観音の脇侍が同じ観音の如意輪、聖観音であるはずもなくたまたまここに置いてあるだけ。本当の脇侍は先ほど見切れていた、

 
毘沙門天と不動明王だ。最強の男どもが左右を護っているというわけだ。不動明王の炎の表現が凄いぞ。毘沙門天は前のめりになっていて鼻息が荒い。

 
さて、須弥壇の左右は護法童子と聖徳太子の厨子になっていた。聖徳太子は百済寺の開創となっている。聖徳太子は実在しない伝説の人物であることはこれまでに繰り返し述べた。百済寺という名の通り、元は大陸系の渡来人の氏寺であった。

聖徳太子はどうでもいいが、護法童子が観たかった。厨子は固く閉ざされていた。


内陣、左最奥には阿弥陀如来が入った厨子が。これも固く閉ざされている。

内陣より外陣が凄かった。善かったよかった。


最後に外陣に置いてあった香炉を。象や鳥などをあしらっており、面白い。


寺務所まで戻り、庭園を少し見て百済寺を立ち去る。

これで湖東三山のうち、2つを訪問したことになる。残りは金剛輪寺のみだが、バスの本数が極悪で、明日行くとすると全体的に効率がかなり悪くなるので、今回はパス。金剛輪寺は、公式ウェブサイトを見るかぎり寺サイドの印象が悪い。優先度を下げて、今後の何かの機会があった時に抱き合わせで訪問しようと思う。

また、湖東三山ではないが永源寺という臨済宗の古刹がある。割とバスの本数はあるが今回はパス。明日は湖南三山、そして若狭にまで足を延ばしてみようと思っている。

既に16:30を過ぎている。このまま18時過ぎまで待てば、先ほど降りたバス停にバスがやってくるが、時間を持て余してしまうため、ここから20分ほど歩いた先にあるバス停まで行き、17時のバスを狙う。

百済寺を下る。ほとんど直線の車道。参拝者は車に気をつけよ、という看板をあちこちに見るが、今はお盆ということなのか、ほとんど車が通らず道の真ん中を歩いて行ける。おそらく、一番混む紅葉の時期などは危ないのかもしれない。

 
10分ほど下ったところに、引接寺という寺を見つけた。少し時間に余裕があるため、少し中を見ていく。

 
境内奥には、びっしりと敷き詰められた灯篭が。門前掲示板に拠れば、灯篭に火を入れる法要があるらしい。幻想的だ。

境内ではこの準備なのか、庭師などがせわしなく仕事をしていた。

さらに下って集落があるとことまで行きつく。バス停はすぐだ。


湖東ではこのように普通の民家に、ベンガラ塗が見られる。どうしてだろう。寺かと思った。

 
そして不思議な光景は続く。屋根になぜか「水」と…。素直に考えれば火事除けということだと思うが…。

バス停でバスを待つ間ヒマになったので、周りを観察していると、


蝉のぬけがらをあちこちに見つけてしまった。

再び八日市に戻り、電車を乗り継いで宿をとっている草津まで来た。夕食を摂り、予約していたアーバンホテル草津へ。


アーバンホテル草津は、何度も泊まっている京都アーバンホテルと同系列の宿。廊下にも冷房が効いていて快適。

テレビでは、連日の猛暑で犬の足の火傷が増えているのをニュースで報じていた。自分も、靴を履いていたって、火傷するかと思うくらいアスファルトの熱が届いていたのを経験した。犬も大変なんだろうな。

と、観ていたら今日は今年一番の猛暑日となったとか…。各地で記録を更新していた。今日の暑さはハンパなかったよ。倒れなくてよかった…。明日も暑そうだから水を絶やさないようにしないと。

今回は日焼け止めを塗っている。ずっと外を歩くことになるので、気をつけないと。


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