近江京師巡礼 2007年8月11〜14日

東小浜でレンタサイクルを借り出して、最初の訪問先満徳寺まで突き進む。

現在15時、帰りのバスは17時過ぎなので、二時間で回らないといけないが、予定では6カ寺もあり、かなり厳しい。とりあえず東小浜から行けるところまで行って、その後残り時間次第で、他の場所も行ってみようと思う。

さて、漕ぎに漕いで満徳寺が見えるところまでやってきたが、遠くから観る限り、屋根に覆いがかけられており、明らかに修復中…。あまり無駄に時間をかけてもいけないので、早々にパス、次へ行こう。

ただ、次の多田寺まではかなりの距離がある。まずはトンネルを抜けなくてはならないが、トンネルまではなかなかの傾斜があり、厳しい…。さらに恐ろしいのはトンネルの中。狭い歩道から逸れないように、注意深く自転車を漕ぎ、なおかつ急ぐ。後ろから聞こえてくる車の音が怖い…。音が反響して恐怖感が募る。

ようやくトンネルを抜けると、今度は下り坂。これで一気に距離を稼ごう。

下り坂のまま多田寺まで到着。

多田寺


まず見えてきたのは田舎の古寺でよく見る二天門。

 
かなりカラフルで精緻な四天王。ただし顔のデフォルメ感は田舎の古寺ならではだ。

さて本堂へと足を踏み入れた時、


なんと…。ここも拝観休止中だった。シーズンオフだからだろうか…。キビシイなぁ。

ヘコたれてもしょうがないので、次の寺まで黙々と自転車を進めた。

次に向かうは妙楽寺。トンネルで向かうこともできるが、さすがにもう怖いので、山を迂回する形でアクセス。

妙楽寺

 
妙楽寺の山門。大悲閣は観音菩薩が祀られていることを暗示している。滋賀県の湖北地方と同様、若狭には観音菩薩を本尊とする寺院が多い。山門前では、右の画像のような小川が流れていた。川を越えて境内に入るということで、別世界へと移ったことを意味していよう。

 
本堂。ここも典型的な古い天台密教形式。格子で内陣と外陣が分れている。


杉の衝立。おそらく張良のエピソードを表しているのだろう。漢の時代の将軍である張良を主人公とした能楽がある。

馬に乗っている老人は、黄石公という兵法の大家で、後ろで靴を持っているのが張良である。黄石公は「兵法の奥義を知っているから教えてやろう」と張良に言い、張良は喜んでその弟子となったが、黄石公は兵法のことなどいつまで経っても教えてくれない。張良が焦ってきた頃、馬に乗った黄石公が履いていた靴を落とし「取って履かせろ」と張良に言う。張良はムカつきながらも渋々取って履かせた。また別の日にも黄石公は靴を落とし「取って履かせろ」と張良に言った。またムカついた張良だが、その靴を取ったときにすべてを悟り、兵法の奥義を会得した。

という話。とても不思議な話だが、中世の日本ではよく知られていたようだ。ただ、その話をモチーフにした絵がなぜここにあるのだろう。おそらくは、芸事を学ぶ際に聞かせられる話だったというから、芸事の達者となることを願った奉納物なのかもしれない。

この張良の話だが、内田樹『先生はえらい』(ちくまプリマー新書)に非常に興味深い解釈のもと紹介されている。弟子というのは、師匠のする些事を大袈裟にとらえ、誤読することで勉強し、成長するのだとか。だから先生は何も教えなくても、どんなに人間的に失格だとしても、先生というそれだけのことで、生徒を成長させることができるのだという。何故なら先生の言ったことは必ず誤解されるからだ。

蛇足だが、伝達が誤読されるのは、師匠と弟子の関係に限らず、どんな関係の間においてもメッセージは正しく伝わらない。だからこそ、人は人と対話しようとする。内田によれば、「もう分かった」という言葉は相手との対話を拒否する言葉で、「分からない、もっと教えて」というのは相手ともっと対話を続けたいという言葉だ。対話の中で生まれるずれによってすべてが生まれていく。

禅宗においては、花を摘んでみせた釈迦如来に対し、微笑んで回答したマハーカーシャパが正法を継いだというが、これも張良のエピソードと同じような根を持っているのかもしれない。釈迦如来はただ単に花を摘んでみたかっただけだったかもしれない。でも、それを「誤読」したことにより、禅という仏教が派生したのだ。

キリスト教だと、パウロが張良に当たるかもしれない。イエスはキリスト教という宗教を始めたわけではない。彼は死ぬ時までずっと「自分はエホバ神の従順なる僕である」と認識していた。イエスの死を以てパウロが「誤読」し、イエスをキリストとみなし新たな宗教を作りだしたのだ。


本堂内陣。本尊の十一面観音が荘厳されていた。

 
内陣へ足を踏み入れることができる。眉毛が下に下がっているため、少し田舎くさい顔立ちになっている。

 
十一面観音の入った厨子の周りには四天王が配置されている。まずは厨子の左側の二体。非常にカラフルに色が残っている。前の像はブーツに豹の毛皮を使っているようだ。奥の像は虎っぽい。

 
今度は厨子の右側。奥の像もブーツに虎の毛皮を使っているようだ。見えないが、おそらく手前の像も獣の毛皮を使っているに違いない。オサレ四天王。


本尊前の天井からは天蓋がつるされている。内部には天女が描かれ、天上世界を具現している。


岩屋の中の不動明王像もあった。

 
本堂の裏側にも立ち入ることができた。なんと十一面観音の眷属の二十八部衆がずらっと並べられているではないか! 時間の都合上全てをよく観てくることはできなかったが、右画像の手前の裸っぽい像は、ヴァスであることがはっきりする。素朴な二十八部衆だが、これらもセットになっていることに好感を持てる。


裏本尊。かなり立派な像だ。本尊よりいいかもしれない。ちなみに裏本尊が向いている先は本堂の裏口になり、この裏口を開けるとこの裏本尊を外から拝むことができるという仕組みになっている。しかし二十八部衆は隠れてしまう。

 
地蔵堂。何の変哲もない堂宇かと思ったが、内部を見てびっくり。本尊の裏には千体地蔵が控えていた。


帰り道、行きでは気がつかなかったたぬきの置物。住職か? と誰かの気配を感じて観てみたら狸だった…。僧侶に化けているみたいだね。

さて、既に16時を過ぎてしまっている。今から残りの三カ寺に向かったとしても、到着したところで17時になりそうだ(ここからはかなりの距離がある)。また体力も限界に近付いている。この酷暑の中、自転車を漕ぐ元気はもう無い。17時過ぎの帰りのバスに乗ることを目標に、東小浜へと引き返すことにした。

国道では、依然として小浜方面行きの車線で渋滞が続いていた。ただし、帰りのバスは逆方面で、道はスカスカのため、この酷暑の中バス停であまり長く待つことになることも無さそうだ。

東小浜駅に自転車を返したのが16:30を過ぎた頃。あと30分近くあるので、東小浜駅から歩いていける距離にある若狭歴史民俗資料館に立ち寄ってみる。あまり展示品に期待はしていないが、バスが来るまで30分も外に居たくないので、冷房の効いた建物に入って涼みたかった。

入館料はなんと100円。


一応仏像も展示されていた。ポーズは如意輪ぽいが、おそらく馬頭観音だろう。

他にガルーダのような「烏大将」という大陸系の仏像も展示されていた。高度に中国風なそれはとてもエキゾチックだった。

十分に涼んだ後、冷たい飲み物を買ってバス停へ。ほど定刻通りにやってきた。やはり小浜行きだけが混雑しているようだ。

バス路線となっている近江今津〜小浜は、鯖街道として知られ、京都に海産物を届ける際の街道となっていた。そのため、沿道には宿場町が存在していた。


写真中央の先に広がるのは、もともと熊川宿という宿場町があった場所。現在でもその名残りがあり、一応観光地化されている。周辺には道の駅などがある。

ここで下車しても良かったが、次のバスが来るまで一時間もあり、それまで過ごすためにはあまりにも観光資源が貧弱だし、道の駅の食事コーナーはこの時間には既に閉まっているということを既に知っていたため、このまま通過する。


途中で見つけた「鹿に注意!」 熊川宿を越えると福井・滋賀県境となり、なかなかわくわく動物ランドな道となっているのだ。

一時間かけて近江今津まで戻ってきた。今日の宿は京都だ。そこまでちょっと贅沢に特急に乗ってしまう。


駅前で平和堂が見えると滋賀に戻ってきたなと安堵する。


琵琶湖の夕景。

京都駅からバスで宿へ。


京都リッチホテル。それほどリッチな感じのしない部屋だ。


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