近江京師巡礼 2007年8月11〜14日

出発までの顛末

先月中旬に滋賀県を巡った(「江州巡覧」)が、その計画段階から、時間不足によりもう一度滋賀県を巡る必要を感じていた。そこで「江州巡覧」出発する前から、今回の巡礼計画が進んでいたのである。

今回は、前回の「江州巡覧」でこぼしてしまった物件を中心とし、観訪問の京都の各物件をも巡ってしまう。

まず滋賀のこぼしてしまった物件として、湖東三山のうち西明寺、百済寺、湖南三山のうち善水寺がある。これらは全て交通の便が極悪であり、前回は台風の影響などもあって潰れてしまったものだが、今回は時刻表とにらめっこを続けて、最も効率のよい便を選んで計画した。

さて、今年は梅雨明けが大分遅れに遅れ、関東は8月にまで食い込んだが、梅雨明け後はその反動からか猛暑・酷暑が続いていて、盆休みの時期に滋賀や京都といった地域を巡ることに少々の不安を感じていた。

特に湖東三山などは、バスの便数が少ないために、一部かなりの距離を歩かなくてはならないことが、出発前から分かっており、気合を入れて臨む必要があった。

新幹線乗車

今回は6時半過ぎに東京駅を出るひかりでまずは米原を目指す。在来線からの乗り換え客には、階段を駆け上がっている人たちがいる。いつも思うのだが、なぜ指定席を取らないのだろうと不思議だ。盆休みが今日から始まるのは、かなり前から分かっているはずだから、とっとと取ってしまえばいいのに。

新幹線ホームにはテレビクルーがいた。Uターンラッシュの報道だろう。

 
さて、今回朝食として用意したのは「東海道」という名の幕の内弁当。健康志向の弁当らしく、カロリー表示までしてある。内容のどこを東海道と呼んでいるのかは分からない。芭蕉と曾良が描かれている。可も無く不可も無くの幕の内弁当。

米原には8:50に到着。9:12、あるいは9:22の電車に乗車すればよいので、ちょっと時間が開く。そこで、デジカメの電池を購入しておく。

当初は米原のキオスクで、と思っていたが、何故か置いておらず、外へ出るほかなかった。米原はかなり田舎であり、コンビニすら少し歩いた場所にあるため、9:22に乗車としても難しい。そこで一か八か駅前の平和堂に行ってみると、すでに開店していた。勝手がわからず右往左往したが、とりあえず電池を見つけて購入。

すぐに駅に戻ったが、すでに9:12の電車は出てしまっていた。9:22の電車に乗り込み、河瀬駅を目指す。

30分ほどの移動だが、ほっと一息ついたところで予定を確認したところ、河瀬駅に到着するのは9:50。河瀬駅からバスが出るのは9:50。…え? なんと予定そのものが破綻していたことに、今さら気づいたのである。どうしても9:50より早く河瀬駅に到着することはできない。ここはひとつ、「田舎のバスは遅発する」という経験則を頼りにし、駅に到着後ダッシュでバスに乗車することとした。ああ、昨日のうちに電池を買っておけばよかった…。

河瀬駅到着直前で扉付近に陣取る。速度が落ち、駅が見えてきたところで、バスが止まっている場所を確認、扉が開いたら一直線にバスに向かった。幸いにも駅の階段近くで扉が開いた。階段を駆け上がり、速攻で自動改札を抜ける。バスが止まっていた場所を目指して右側の階段を駆け降りると、果たしてバスが見えてきた。エンジンは動いているものの、まだバスのドアは開いていた。文字通り飛び乗り、ようやく一息つくことができた。

バスには自分以外乗客がいない。バスの運転手が自分に向かって「かつかつやな」と言った。自分が「計画段階で間違ってしまって、もうダッシュで来たんですよ」と言うと、「平日はええんやけど、今日は土曜やからな」と言った。

運転手は自分のような客を少しばかり待ってから、駅を出た。配慮してくれているようで、ダッシュしなくても結局は間に合ったようだった。結局乗客は自分だけだった。

他の客がいないため、運転手がいろいろと話を振ってきた。どこへ行くのかと問われたので「西明寺に行きたいんですけど」と言うと、途中までしかバスでは行けないから、そこから歩きだと言われた。

運転手は、寺の雰囲気というのはいい、お堂の中はひんやりしていて良い、などと言った。「若いのにえらいねぇ」なんて言われるよりは、こういう風に同調してもらえるのがいいかな。

今日は、西明寺のほか湖東三山の一カ寺である百済寺にも訪問する予定。このことを告げると運転手は「西明寺からじゃあちょっと遠いわなぁ。このあたりはとにかく交通の便が悪いからなぁ」と言っていた。百済寺へは、八日市からバスで向かう予定。今日の夕方ごろになる。

さて、西明寺最寄のバス停で下車。最寄といっても、西明寺までは2kmほどある。既に10時を過ぎており、気温は30度を超えているものと思われる。国道をひたすら進むのだが、陽をさえぎるものは何もない。今回の旅で一番の難所となると予想していた。


バス停から少し進んだところに何故か「道誉の郷」と刻まれた碑が立っていた。佐々木道誉に縁のある土地なのだろうか。それより手前の天秤のようなものはなんだろう。投石器か?

 
その付近ですごいものを見つけてしまった。「飛び出しぼうや」の名前で有名なオブジェは何故か滋賀県に多発するのだが、ここで発見したのはもはや「ぼうや」ではなかった。「ばあさん」であったり「ひよこ」だったりする。どっちもあまり「飛び出し」てはこなさそうなのだが。

さて、名神高速道をくぐり、やたらとでかい繊維工場のそばを通り、国道307号へと出た。たくさんの車が行きかう割に、歩道が整備されておらず、高速で飛ばすトラックが体のすぐそばを通過したりして、なかなかヒヤヒヤした。おそらく西明寺は徒歩ではアクセスする寺院ではないのだ。

歩き始めてすぐ、足の裏がじりじりするのに気が付いた。なんと、陽に照らされたアスファルト表面の暑さが足へと届いていたのだった。砂利などが靴の裏にくっついて歩きにくくもなった。どうやらアスファルトが溶け始めているようだった。なんて暑さなんだ…。足の裏が火傷しそうで怖い。やはり日中はずっと日陰になることは無いようだ。帽子を被り、持ってきていた水をこまめに補給しながら進んだ。


どんな名前の花なのか分からないが、道中で撮った。

さて「西明寺」と書かれた看板がところどころに出てきたころ、なんとサルが一匹ずつ道路をすばやく横断するのを目撃してしまった。50mくらい先の光景だったが、デジカメを取り出す頃には既にいなくなっていた。二匹で行動していたようだった。


この階段の先へサルが進んでいったのを見た。西明寺へと通じているのかどうかはよく分からず。無駄足を踏んでもよくないので、無視してこのまま進んでみる。

道路標識にも「西明寺」の文字が見えたあたりで、「参拝客多し注意」の看板が立っていた。ただし、自分以外の参拝客は一切見えなかった。

そりゃそうだろう。西明寺をはじめとする湖東三山は、紅葉の時期が一番のシーズンであり、多くの客が訪れる。地元のバス会社もそれぞれの寺へ臨時にシャトルバスを出すのだ。先ほどのバスの運転手の話によれば、秋の次に春がシーズンだそうだ。「秋なんかに来たらもう何も見るどころではないよ」と、かえってこの時期に来るのが正解であるとのことを言っていた。自分もそう思う。なんだか波長の合う運転手だった。


西明寺の入り口向かいに立つ雑なレプリカ。こんな塔が実際に建っているのなら、それはそれで凄いんだけどね。前もって西明寺の三重塔を見ているが、残念ながらこんな奇抜な塔ではない。

 
さて、やっと来ました西明寺。帰りのバスの時間はずっと先で、12時を過ぎた時間なので、この寺には1時間くらい滞在できる。旅の最初でいきなり過酷な道程を踏んでいるので、ゆっくり観ていこう。だいぶ樹齢のありそうな杉で覆われた境内。歴史を感じさせる。

こんな時期に訪問する者などいないだろうと思っていたら、門には一人のおばあさんが居てびっくり。ただし、門前の蕎麦屋は、やはりシーズンオフのためか閉鎖していた。


本堂までは階段が続く…。ただ、日陰になっているだけずっと楽だ。足の裏も熱くないし…。


境内には立派な苔が生い茂っており、見た眼にも涼やかでいい。ただ、わざわざ苔を擬人化してまで注意しなくてはならないほど、勝手にむしって取って行ってしまう輩がいるらしい。遠回りすぎる注意の仕方やね…。


随分階段を登ってやってきたところでなんと既に紅葉しているモミジを発見。下の小屋は拝観受付。拝観料を支払う際に聞いてみたところ、早い木では夏前に色づくのだという。それと、老木であることも関係しているらしい。ただ秋にはもっと奇麗になる、というのを強調していた。シーズンオフのこの時期に紅葉が見られるなんて嬉しいじゃないか。自分はこれで本当に十分。ガン混みする秋になんて来たくないね。

拝観受付からすぐのところには庭園があり、本堂拝観後に是非観ていってほしいとのこと。

 
まずは二天門がお出迎え。久々の正統派二天門。

 
立派な四天王たち。これだけ立派なものを最近観ていない。どっちが何者かはよく分からず。

 
山門を登りきるとこれまた立派な本堂と三重塔。優等生のような建築だ。1000円払うと三重塔内部を拝観できるらしいが、ちょっと高いし今回は敬遠。智拳印を結ぶ金剛界大日如来が初層に安置されているらしい。内部の壁には極彩色で法華経の内容を画にしているとか。また、柱には三十二菩薩が描かれているため、それはそれはまさに極楽のようになっているらしい。

さて、本堂へと入ろう。和様建築。内部は内陣と外陣に分かれており、典型的な天台宗の密教形式となっている。


須弥壇中央には本尊の薬師如来が厨子に入って安置されている。住職一代に一回のみ公開するとか。厨子は権現造りで豪華絢爛。獅子や象の装飾が施されている。

薬師が本尊ということで、必然的にその両脇に日光菩薩と月光菩薩。そして十二神将がいる。

厨子向って左には三段で六体の神将。一番上は亥のビガラ。考え事をしているおきまりのポーズ。

中段は左から戌のチャツラ、酉のシンドゥーラ、申のマクラ。チャツラはピースの印を結ぶ老人となっていた。ただし気は若いようで、きりっとしていた。シンドゥーラは兜をしている。左手は手のひらを見せており「冗談じゃないよ」風。マクラは矢を持ち、右膝をあげていた。

下段は左から未のパジラ、午のインダラ。パジラは剣を持ち、獣の皮の前掛けをしていた。ワイルドだ。インダラは槍を持っている。上半身裸で、こいつは別の意味でワイルドだ。

厨子向って右にも三段で六体の神将。一番上は巳のサンティラ。鉈のような武器を持ち、手をかざして遠くを見るこれまたおきまりのポーズ。

中段は左から寅のメキラ、卯のアンティラ、辰のアニラ。メキラは唯一獅噛があり、棒を持っていた。歯を食いしばって睨んでいた。アンティラの頭上のウサギは耳がぴんと立っていたのが印象的だった。抜刀の瞬間のようなポーズ。右手を返している。アニラは兜をかぶっており、金剛杵を持ち、手をかざしていた。

下段は左から子のクンビーラ、丑のヴァジラ。クンビーラは索を握って振り上げている。上半身裸の狩猟スタイル。ヴァジラは弓を番えている。ブーツを履いてちょっと暑そう。出ている左足の内側を前に見せており、ものすごくがに股のように見えた。

これらの十二神将はすべて玉眼が入っている。生きているかのようだ。

さて、本堂にはこれらメインの仏像以外にも、たくさんの仏像が安置されており、さながら美術館のようになっている。かつてはそれぞれの堂宇に安置されていたと思しきこれらの仏像は、雑然と置かれていたが、それだけんいそれぞれとても個性があった。そして、いきなり最初の物件であるこの西明寺で、これまで見たこともない仏像を見ることになる。


本堂表部分の左隅に安置されていたのは不動明王。後ろの炎の表現が面白い。基本的に2Dではあるのだが、右上には別のパーツとして小さな炎が取り付けられており、擬似的に3Dとなっている。左上部分にも同じようなパーツがあったようだが、はがれてしまっている。安っぽい表現と言ってしまえばそれまでだが、なかなかのアイデアだと思う。まるでプラモデルじゃないか。


さて、不動明王の右手に安置されていたのが、この仏像。観た途端に思わず「えっ!?」と声を出してしまった異形の仏像である。

何者かを知らず、案内をして頂いたお爺さんに聞いてみると、「トウハツ毘沙門」というのだそうだ。これが毘沙門だって? しかも「トウハツ」とは? ピンときたのが兜跋毘沙門だったので「兜跋毘沙門ですか?」と訊いてみた。形は全然違うのだが。「…いやぁ、ちょっとそれは知らん…」と言われてしまった。質問を変えよう。「トウハツって漢字でどう書くんですか?」と訊くも、残念ながら「ちょっとそれも知らん…」との返答。

とりあえず名前は置いておいて、じっくりこの不思議な造形をチェックしよう。まず頭。兜(?)は獅子のような獣が乗っており、さらにその上には智拳印を結ぶ仏が乗っていた。とすれば大日如来しか考えられない。

左右に二面の顔を持っており、三面となっている。そして何より特徴的なのは十本の腕だ。そのうち下の八本はそれぞれ刀を持ち、上の二本の腕には槍と宝塔。この二つは典型的な毘沙門天にも見られる。

そして面白いのは、足を乗せる馬具のようなものが、玄武だということ。これは毘沙門天が守護する北という方角から容易に連想できる。首が蛇のように長いのは、典型的な玄武像だ。そして乗り物が凄いじゃないか。文殊菩薩から借りてきたかのような立派な獅子。

以上、とても特徴的な像となっている。

帰ってきて調べたところによると、どうやら「刀八毘沙門」のようだ。甲府市の円光院には、信玄の念持仏として、刀八毘沙門と勝軍地蔵菩薩が安置されていているとか。画像を見ると、西明寺の「トウハツ毘沙門」と相似していた。とすれば、西明寺のトウハツも刀八ということになろう。

さて、問題は刀八毘沙門の由来である。こんな毘沙門天はインドに起源を見いだせないほどの変り種である。勝手に考察すると、元々は兜跋だったのだと思う。それが口承のなかでトウハツという音に変わり、元々の意味を離れて「刀八」という漢字が与えられてしまったのであろう。毘沙門天はそもそもが軍神であるから、それほど飛躍した連想ではなかったのだろう。そしてその間違って伝わった名が実を決定してしまったのである。つまり、刀を八本持っていなければならなくなったのだ。軍神としての属性を強調されてしまうと、やはり騎馬スタイルとならなければならない。馬は既に勝軍地蔵にとられてしまっているから、より強い獅子が選ばれたのかもしれない。

以上の解釈が正しいとすれば、いやはや恐ろしいまでのイマジネーションである。勝軍地蔵も「江州巡覧」の長命寺で述べたように間違ったイマジネーションから生まれた実の無い仏像だが、刀八毘沙門はそれ以上にとんでもない仏像である。これほどまでに軍神としての属性を持つとなれば、信玄が念持仏としたのが分かる。

一瞬、やけつく息を吐くモンスターを連想してしまった。いや、それ以上だ。最高で八回ヒットだね。

ちなみにトウハツ毘沙門の下に転がっているのは、おそらくはがれていた不動明王の炎のパーツ。

さて、須弥壇裏に行ってみよう。


なんと、またかい! ただ、造形は先ほどのものとは違っていて興味深い。どうやら実の無い仏像だけに一定していないようだ。

今度は獅子ではなく大きな玄武に乗っており、いわゆるおぼっちゃまくん状態。そして頭上にも一面があり、合計で四面となってしまっている。剣を持つ腕は十本、そして前面の二本でそれぞれ槍と宝塔を持っているため、刀「八」からも逸脱してしまっている。

気になるのは、その脇侍。右手の天女スタイルは、奥さんの吉祥天だろうか。ダンナがえらいことになってしまっているのに対して、どう思っているんだろうか。左手の童子像は息子の善膩師童子だろうか。


不気味な弁財天も。こいつにもたくさんの腕。頭上にはウカノミタマが載っている典型的スタイル。


こちらの不動明王は3Dの炎に包まれている秀作。


役行者と前鬼、後鬼。行者の眼が怖いよ…。

他に元三大師などがあった。天台宗らしく角大師のお札が売られており、200円だった。先月行った比叡山では500円で売っていたことを考えると大安売り。500円で買ったのになぁ。全く同じ代物なのに…。

変わったものでは、魍魎鬼人という像があった。見た目には典型的な邪鬼。胡坐をかき、ビッグサイズの錫丈を持っている。名前が不思議だ。

いやぁ、いきなり凄いものを観た。よかったよ。大変な思いをして来た甲斐があった。

時間がまだまだ余っていたので、売店のおばさんに猿に出会ったことを言ってみると、確かにこのあたりには出没するとか。ただ、「猿が出ると雨が降る」という伝承があるといい、二日三日後には降るらしい。どうやら雨が降る前に山を下りて餌を集めておこうという魂胆のようだ。旅行中に降られると困るなぁ。


帰り際、さっき飛ばしておいた庭園を見ておこう。

 
モコモコと刈り込まれていて面白い。なんだか迷路みたいだ。

 
奥には池泉式回遊庭園が。奥の石には、おそらく三尊を表すものがあるのだろう。


敷地の隅も何気無いように見えてちゃんと手が入っていた。苔が眩しくて奇麗だ。


庭園前は秋になるともっと奇麗になるんだろう。ただ、凄く混みそうだ…。

拝観受付前のベンチに座り、冷えた水を買って飲む。少し休んでから出発しよう。まだまだ時間には余裕がある。

さて、帰りも灼熱のアスファルトの上を足の裏をやけどしそうになりながら歩かなくてはならない。車が激走するにも関わらず、歩道の無い国道も怖い。


帰り道で見つけたマンホール。中央にはカメが。ここは甲良町といい、町名にかけているようだ。面白いね。

ほうほうの体でバス停まで戻ってきた。あと10分はバスが来ない。まさに陽が真上から照りつける時間帯。わずかな日陰を探して身を縮めてバスを待つ。

エアコンの効いたバスに乗り込み、河瀬駅へと戻った。


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