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師走の洛北・洛西 2007年12月29〜31日

知恩院

ちおんいん

京都市東山区林下町400

京都市営バス「知恩院前」下車徒歩5分

マピオン

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知恩院

知恩院は何度も来ているが、庭園は見逃したままになっているため、今回再訪する。

方丈庭園と友禅苑という庭園のセット拝観券があったのでそれを購入、まずは友禅苑へ。あの巨大三門のふもとにある。

友禅苑は池泉回遊式庭園だった。

「禹門」と名づくる門。ちょっと調べたところ、魚がこの門をくぐると龍になるのだとか。解脱門というような意味あいか。

風情は抜群だが、何故に「禹」なのか。禹といえば、古代シナ(当時中国という「国」は無かったため「シナ」という地域名を使う。歴史学では何の問題もなく使用されている述語である。)の帝王(黄帝の玄孫)を思い浮かべる。禹の父親は「鯀」であり、卵という意味。で、禹そのものは虫へんが付くように「蛇」を意味する。

まずこの謎解きの前提を。古代シナには「中国人」という人種など居なかった。中国という国すらないのだから。じゃあ、その当時にシナに居た人たち、つまり漢民族の先祖とはいったいどんな人だったのか。

それは東夷、西戎、北狄、南蛮と言われたいわゆる「異民族」の混血なのだ。昔から漢民族が居たわけではない。事実、現在の中華人民共和国の漢民族のDNAを調べてみると、てんで規則性が見あたらないのだそうだ。対して少数民族と呼ばれている人々のDNAにははっきりとした規則性が見いだせるとのこと。つまり、漢民族とは「その他大勢」ということを意味する。

シナの歴史は東夷、西戎、北狄、南蛮が入り交じって形成された。最初の皇帝となり、中国というものを初めて形成した秦の始皇帝は実は西戎と呼ばれる一族の出身である。楚の項羽は南蛮、北魏も隋も唐も北狄の出身だ。そうみていくと「異民族」以外を出自とする王朝など、漢、宋、明ぐらいしかない。

前提が長くなったが、禹は治水に成功して夏王朝を始めた人物で、蛇、つまり竜に関係する人物ということが、禹門の意味するところを理解するヒントとなる。

華北の川は「河」だが、華南の川はすべて「江」と書かれる。これがヒント。実は「江」はタイ語起源で、しかも発音は「竜」と同じ。つまり、川を竜と見立てるのは、タイ語を使用する集団の文化なのである。

禹はそのまま竜という意味の字だし、彼は治水工事を成し遂げたということになっていることから、つまり彼は東南アジア、つまり東夷という「異民族」の出自なのだ。

だから、禹門とはそのまま「竜門」なのだ。魚がくぐると竜になる、というのも、禹の父親である鯀に魚へんが付いていることにも関係しているかもしれない。

庭園には小川が流れており、その彼岸に茶室「華麓庵」がある。

奥にはもう一つ「白寿庵」という茶室。

友禅苑には、枯山水庭園もある。中央に石橋が架けられた島がある。

手水鉢には薄氷が張ってあった。今日はとても寒いんですよ…。風も強いし。デジカメの電池のパワーが心許なくなってきて、手で温めながらだましだまし撮っていった。アルカリ電池というのは気温が下がると一気にパワーが無くなる。

さて、女坂を上って山上境内へ。御影堂の側を通って方丈庭園へ。

大方丈。この先に小方丈もあるが、内部は残念ながら非公開だ。

基本的には池泉回遊式庭園なのだが、手前には綺麗な砂紋が付けられた白砂がひかれている。

大方丈の東面。池の中央には石橋が架けられた島がある。

小方丈の東面。刈られた植木がもこもこと。

小方丈の先には権現堂があり、階段を上っていくのだが、その途中に茶室のような堂宇が。右画像は、階段を上った先の権現堂から見下ろしたところ。

権現堂から小方丈を。

茶室近くの手水鉢。椿(?)の花びらが落ちるとちょうど水面に浮かぶようになっている。こういうのを観るのが、最近は楽しくなってきた。花もよく撮るし。加齢とともに趣味・嗜好も変わるんだろうか。

さて、次は南禅寺塔頭を観たいので、地下鉄で東山から蹴上まで移動しようと思う。ということで知恩院から東山駅までてくてく。

途中青蓮院前で見たpavilion court。最初は外国人向けのビジターセンター、あるいはゲストハウスかと思っていたが、結婚式をはじめ様々なレセプションを行うところらしい。いいなぁ。

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