師走の洛北・洛西 2007年12月29〜31日

出発まで

07-08年の年末年始休みは9日も設定されていたため、年内の29〜31日には、京都に行ってしまうことにした。

またまた京都になってしまったが、これまで未訪問だった物件を全て攻略してしまおうという心づもりだった。つまり、今回で京都をメインとする旅行を終わりにしたいということだ。

ところで冬の京都は今回が初めてだ。京都の冬の寒さはよく聞いているが、それさえ楽しみにしていた。気温より心配だったのは、庭園を観る際、楽しめるのかどうか、ということだった。春には桜、夏には緑、秋には紅葉と、四季折々の「色」がある。ただ、冬に「色」があるのかどうか疑問だった。雪が降ればと思っていたが、いくらなんでも12月に雪が積もっているとは思えない。

しかし、上のような心配は全くの杞憂だった。

ところで天気だが、最終日の31日はかなり冷え込むという予報がでていた。さらに、29、30日は雨が降るとの予報が出ていて少し不安だった。

出発

まだまだ暗い時間、小雨の降る中マンションを出た。とりあえず傘は持たずに。


朝食に選んだのは「貝づくし」。幕の内は可もなく不可も無いのだが、やっぱり何か特定のものがメインとなるような駅弁が好きかもしれない。東京駅で購入したが、品川名物とあるとおり、品川駅の駅弁だ。

ご飯の上に乗っているのはハマグリ、アサリ、シジミ、貝柱。名前のとおりの「貝づくし」。貝がおいしいのはあたり前だが、地味に紅ショウガがおいしかった。

東京駅で駅弁を選ぶなら、あなご弁当かこの貝づくしだろうか。

京都着。まず最初の物件は蓮華寺だ。仁和寺のとなりのではなく、八瀬のほうだ。京都駅からなるべく早くアクセスするには地下鉄がいいだろう。終点の国際会館駅から大原行きのバスに乗ればよい。

蓮華寺

今回の旅には、ある種の「落ち穂拾い」的な意味合いが多分にあるため、当然、期待感の無い状態での訪問になる。余計な知識も準備してこなかったため、どの物件でも意外な発見があった。この蓮華寺も例外ではない。


方丈から見る庭園。


苔の広がる庭を雨が濡らしており、いっそう鮮やかな緑になっていた。マンリョウの赤色がいいアクセントになっている。

池の石は舟を表すのだろうか。池の向こうに建つお堂が本堂らしい。


やっぱ手水場がいいね。池の真ん中には島があり、石橋がかかっている。あの島が蓬莱山らしい。画像中央に立つ石が鶴石で、石灯籠の先に立つ石が亀石。

蓮華寺の見所はこれかと、この段階ではこの程度で満足していた。


方丈入ってすぐに、阿弥陀三尊像が安置されていた。御簾が下がっているので、門跡寺院か?

 
方丈から本堂へはスリッパを履いて。マンリョウの赤が苔庭の緑に綺麗に映えていた。

 
本堂。本堂の床は石畳。禅宗だろうか…? ストイックな雰囲気がある。


本堂の天井には龍。とぼけた感じがいい。これも禅宗の要素だよね。

 
本堂の中央には、釈迦如来が入っているという厨子(左)。彫り物がすごい。その左奥には、阿弥陀如来像が安置されていた。そして本堂右手奥に厨子(右)。何が入っているのだろう? 真ん中に釈迦如来、他に阿弥陀如来としたら、薬師如来か?

 
庫裡も禅宗のようだ。臨済宗だろうか?

帰り際、寺務員が偶然に庫裡に居たので、ここまで抱いた疑問を全て訊いてみた。まず、阿弥陀三尊像の安置されていた御簾についてだが、門跡寺院かと問うと、そうではないらしい。ここで現れたお坊さんが、意外な興味深いことを教えてくれた。

確かに、天皇一家が住職となるような門跡寺院には御簾がある。それと同じような機能を果たしているのではないかとのことだった。つまり、御簾の中の対象をよく見ようとすればするほど、身は低くなってしまい、結果としては、自分を対象に比して謙遜することになるということだ。つまり、御簾はただの飾りや目隠しなのではなく、権力を生み出す装置として機能しているということなのだ。人が二人以上存在すれば、必ずその間には「力」の差異、すなわち権力が発生する。高気圧から低気圧に向けて風が吹くように。それを生み出すのが、あの御簾なのだ。

そのことを、お坊さんは「インディ・ジョーンズ最後の聖戦」の一シーンを例に挙げて説明していた。壁から出てくる回転のこぎりをよけるために、身をかがめるというくだり。外国人が訪問することも多く、これを説明すると分かってくれるのだという。

このように、寺院には必ず意味が仕掛けられている。意味のなさそうなことにも、一々意味が与えられているため、それを読み解くのが自分の楽しみになっているのだ。

また、庫裡や本堂などがやけに禅宗なので、こちら禅宗ですよね? と訊くと、それも違い、なんと天台宗なのだとか。

禅宗のにおいがするのは、黄檗宗の隠元と深い関係があり、そのアドバイスを得て建てたからなのだろう、とのことだった。

また、あとで知ったことだが、石川丈山が庭園を作庭しているそうだ。石川本人がどんな信仰を持っていたかは分からないが、彼の隠居は後に詩仙堂と呼ばれる曹洞宗の寺院となっているため、ひょっとすると、その関係で禅宗寺院ぽく感じられたのかもしれない。

いきなり興味深い寺院にぶち当たった。しかも今回は、自分だけではなく寺院側でも興味深い視点で仏教空間を読み解いているということが分かったことだけでも価値があった。今回は三日間もある。この調子でいい寺にどんどん巡り合いたい。


大原方面に向かって撮った高野川。

次は実相院を訪問予定だが、いったん国際会館駅まで戻り、バスを乗り換えなければ行けないため、実相院行きのバスが通過するバス停まで歩いてしまう。


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