東京湾フェリー

 バスで大船駅に戻り、一路久里浜へ。横須賀近くで軍艦(って言っていいの?)が颯爽と立ち並ぶのを見た。

 久里浜で寝坊メンバーと合流。洞窟見学の自慢を滔々と語る。

 さて、ここ久里浜はペリー来航(Very最高!)の地。通りにもかのナイスガイの名が付いている。「ペリー通り」。まんまやんか。ナイスガイの名が付いているのはいいけど、全然はやってない。実は駅から食事処を探しながら港へ向かっているのだけれど、一向に店が見つからない(いや、一軒も無かったわけではない。長崎ちゃんぽんの店があったが、久里浜で長崎はないだろ、ということで通過。←ちなみに僕が一番好きな国語技法は連体止め。←ちなみにこれも連体止め。←これもね)。そうこうしているうちにペリー通りが終わってしまった。魚を食わせる店が一軒くらいあってもよさそうだが。海沿いで漸く何軒か見つけるが、どれもパッとしない。全然浜料理が無いのだ。上喜撰を出す(ウソ)「黒船食堂」という店もあったが通過。漸く比較的それらしい店があったので入る。魚介料理はあるものの、メニューを見るとどれも火を通したもの。生魚が無いのだ。多分久里浜には漁港がないのだろう。焼き魚やフライ魚を食べた。店の窓にはこれから乗船するフェリーが停泊しているのが見える。いい時間になったので店を出た。

 店の側にあるペリー公園を訪問。伊藤博文の筆による「北米合衆国水師提督伯理上陸記念碑」とかかれた碑石が立っている。やたらとでかい。「水師」ってネイビーってこと?「北米合衆国」って。

 ペリー公園の隅にはペリー記念館が。無量無料で入れる。中には明らかに焼酎学生小中学生が作った模造紙展示が。なんだこりゃ。2階には「あめりことば和解」なる英語グロッサリーが。「おいしいといふことをまんと云」・・・はぁ?「あめりことば和解」とは別に「えげれすことば和解」も。え?一緒じゃないの?どうやら江戸時代の人は「あめりことば」と「えげれすことば」を別の言語として認識していたようです・・・。莫迦?

 記念館はどうやらペリー万歳のようです。まさにペリー来航、ベリー最高!といった感じ。何で暴力装置で脅迫にやってきた「ぺるり」をここまで持ち上げるのでしょうか?よく分かりません。とにかく横須賀市民はマシューの事が大好きなのだ。

 ちなみにサスケハナって何語?と思ったらSUSQUEHANNAと綴るらしい。うーん。ラテン語かなぁ?よく分かりません。僕は日本語だと信じてたのに。っていうか、日本語であって欲しい。>佐助花号、もしくは佐助鼻号。佐助鼻、ゴー!ま、ともあれ無料の割にはしっかりした展示でした。偉い。

 ぺるり公園を出て、港へ向かう。途中何の変哲もない弁当屋があったが、その中に「黒船弁当」が。食べると夜も眠れないのだろう(ウソ)。でもなんかこう書くとえっちいなぁ。気になって授業中も眠れない。

 フェリーはここ久里浜から房総半島の浜金谷と連絡している。片道500円は安い!35分の船旅だが、僕らははしゃぎまくった。写真撮りまくった。ただのカメラ小僧サークルじゃねーか。

 これが僕ら。あ、僕は写ってないよ。写真を撮るのが下手で右で切れてしまいました。ごめんねー。ちなみにデッキは風が強くて大変でした。風を除けて客室に入ると急激に酔いそうになった。ブランコで車酔い(?)する程三半規管の弱い僕は35分間ずっとデッキに出て風に当たっていなければなりませんでした・・・。悲しい。船の先端に出てタイタニックをやろうと思いましたが、先端には行けませんでした。ジャック、私飛んでるわ!!


彼方に見えるのが目指す房総半島の鋸山。大仏とか1500体の羅漢を有する凄まじい寺の領地。

 デッキを歩きまくっていると、ドコモのマークのついた物体を発見。海上でもドコモは圏内ですよー、ってこと?僕のJ-phoneもばりばり三本立ってましたが・・・。

 船内の売店では「よこすか海軍カレー」が売られてました。何げにそそられます。

 そうこうしてるうちに金谷港に到着です。あー、楽しかった。海っていいねー。

 金谷港を出ると、にわかに浜料理屋が増える。さっさとフェリーに乗って、こっちでご飯にすれば良かったなぁ。

 ところで、目指す鋸山はふしぎなふしぎな山。浸食によって奇岩が形成されている。これ↓。分かるかな?


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