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越南漫遊記 2010年5月24~30日

来遠橋(日本橋)

Cầu Lai Viễn(Cầu Nhật Bản)
Trần Phú
7:00-18:00

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来遠橋(日本橋)

14:50。さて、ようやく解放された。やっとホイアンの町並みに繰り出せる。

ホイアンはダナンから少し南にある小さな漁港の町。町並みが世界遺産として登録してから、突如として人がたくさん押し寄せるようになったのだという。ホイアンは「会安」のベトナム読み。かつては日本人町などがあったが、江戸幕府が鎖国政策を開始した結果日本人町は衰退したという。代わりに入ったのが中国人商人だった。ホイアンでは、日本、中国、ベトナムのそれぞれのスタイルの建築が混じり合い、独特の町並みを形成しているのだという。

売店で見たベトナムの凧。昨日フエで見た子どもも、このような凧を揚げていた。

さて、これがホイアンのシンボルともいえる日本橋。日本人が16世紀の終わり頃に造ったと伝えられている。屋根付きなのが特徴的だ。

2万ドン札の裏面にこの橋が描かれている。

橋の屋根の上にも装飾が。フエの王宮跡や帝廟のように、丸瓦に欠けた陶磁器の破片を使ったりしている。これはベトナム風かな。

内部はこんな感じ。先ほど作ったようなランタンが下がっている。ぼんぼり、と言ったほうが、より日本らしいかな。

この橋は、ただ川を渡るだけのものではない。橋の中央には、祠のようなものがある。日本橋と言っても、内部は道教のそれだった。なんという神を祀っているのかは分からないが、魔物を封じているとか。その魔物というのは、暴れると日本に地震、ベトナムに洪水、インドに干ばつをもたらすものなのだという。ともかく地震は日本の象徴なのだろう。ちなみにベトナムには滅多に地震は起こらないが、その滅多に起こらない地震が起こってしまうと、規模が小さくとも大惨事となる。というのも、ベトナムの民家は地震を想定して造られておらず、ただレンガを積み重ねただけのものだからだ。

ちなみに日本橋というのは通称であり、本名は来遠橋という。

祭壇の裏側には、ランタンではなく日本型の提灯が。それにちなんでか、カタカナで「ホイアン」「フェイフォ」と書いてある。「フェイフォ」はホイアンの古い名前だという。

さて、日本橋の東詰め、西詰めにはそれぞれ犬、猿の像が据えられている。クィンさんの説明によれば、戌年に橋の建造が始まり、申年に終わったからだという。

「重修来遠橋記」と題した石碑があった。日本人による橋の改修について述べたものらしい。

読んでみると、文中に「日本国人所経奉(改行+擡頭)元朝宸翰」とある。ここでの「元朝」とはたぶんグエン朝のことだろうと思う(まさか元朝の時代に日本人がいたとは考えにくい)。その通りならば、グエン朝の皇帝から親筆の文書を受け取り、来遠橋という名前を賜ったと記されている。途中から摩耗していてそれ以降は読めない。

ちなみにこの石碑を見つけたとき、橋の中でたむろしていたオヤジがそっと寄ってきて「ニホンゴ! ニホンゴ!」と言ってきた。残念、これは漢文なのさ。それにしても中国人でも韓国人でもなく、よく日本人だと分かったな。何の躊躇もなく日本語で話しかけてきやがった。

橋の改修に携わり、寄付をした人の名前のリストがあるが、これらはすべて中国人。文中に啓定(カイディン)二年(=1917年)とあるから、グエン朝の末期に改修したスタッフの名が連ねられていることが分かる。

屋根にも文字列が。「嘉隆十六年歳次丁丑乙巳月戊子日~」とある。嘉隆十六年は1817年。

橋の中から外を見たところ。向こう側に小さな橋が架けられており、そこに虎のかたちの模型があるが、これは今年が寅年であることにちなむのかもしれない。

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