グエン朝王宮跡(長寧宮、延寿宮)
中核エリアを出て、今度は宮殿の左上のLエリアへ。 |
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まずはLエリアの入り口である「長安門」というど派手な門をくぐる。ここも過度の装飾が施されている。右画像は長安門の中央入口。額のすぐ下には二頭の獅子が。ファサードといい、柱といいデコり過ぎだ。ちなみに右画像は今回の「越南漫遊記」のトップバナーの素材。
門の右手部分。麒麟と玄武かと思う。玄武の甲羅の上には八卦が乗っていた。これらもやっぱり陶器のモザイクだ。
うさぎ!! |
門の上部中央。二層目正面の額には「南山寿」とある。意味はよく分からない。 左右の柱には龍が、中央正面には鳳凰がモザイクで表現されていた。 |
故事に基づくようなものもあったが、よく分からず。
長安門の正面には、ベトナム語で「立ち入り禁止」と書いてあったように思うが、私はベトナム語がさっぱりわからないのでこっそり入ってみることした。作業中のおっさんたちがうろうろしていたが、何も言われなかったので普通にスルーしてみる。
長安門を抜けてすぐのところには目隠しのように壁が建っている。 正面中央には、左右に鳳凰が二羽描かれており、さらにその上にも鳳凰が据えられている。 この奥には長寧宮が建っている。ザロン帝の祖母、すなわち太皇太后の居住地。長安門の正面中央にも鳳凰が描かれていたが、鳳凰は皇后のシンボルであることが考えると自然だ。 |
長寧宮。三日月形の人工池などがある。現在修復作業中だった。右写真奥に見えるのは抜けてきた長安門。
今度は長寧宮エリアの真下に位置するMエリアへ。 ここはザロン帝の母のために造られたエリアだ。 |
Mエリアの北側。土台や基礎のみが残る部分があり、廃墟チック。 |
Mエリアの左上部分には謎の「かまくら」が。 |
Mエリアの左に位置する建物。案内板によればphước thọ amというらしい。phướcは「福」、thọは「長生き」、amは「庵」なので、「福寿庵」か。 |
浄明楼前の広場には、壁で囲まれた池があり、その左右には祠のようなものがある。広場といえども狭く、二つの祠を一緒に撮ることができない。
広場にはトゲトゲした謎の植物が…。
これらがその祠。奥に「神」とある祠の入り口両脇にはどちらのつがいの鳳凰が、反対側に建つ祠(右)の入り口両脇には、獅子二頭と鳳凰二羽。奥には龍とおぼしきものが描かれている。それぞれ何を祀っているのか不明だ。
池を囲む壁には亀の像があった。 |
Mエリアの中央に建つ延寿宮の回廊。実を言うとこのあたりで時間を気にしていたら、少し迷ってしまった。どちらが北なのかよく分からなくなっている。そのため、どの建物がどういう名前なのか、さっぱり分からない。
回廊に囲まれた中庭。いったいどの方角を向いているんだか…。 |
回廊に囲まれた中庭。いったいどの方角を向いているんだか…。 なお、建物は延寿宮かと思われる。屋根には皇后のシンボルである鳳凰がたくさん据えられているからだ。 |
おそらく浄明楼。コロニアルな雰囲気を持つ建物だ。入り口に使われている角柱がこの建物がヨーロッパ式であることを物語る。東アジア世界では角柱はめったに用いられなかったからだ。ここは皇后のための医療施設だったらしい。
左は延寿宮を正面から見たところ。奥の黄色い屋根の建物がそうだ。右側にはついたてのような壁がある。右画像は「寿址門」、Mエリアの正門(下にある)かと思う。門には鳳凰が四羽青で描かれている。
延寿宮の右側の、水場にうかぶ舞台のようなもの。長生殿か。 |
荒廃した建物もある。その先には、中核エリア。ただし今は何もない。もはや何という殿宇なのか分からない。
延寿宮エリアの真下には奉先殿を中心とするエリアがあるのだが、今ではまったく思い出せない。写真も残っていないので、入り口が見つからなかったのだと思う。また、既に8:45を回っていて焦っていたため、記憶が定かでない。