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越南漫遊記 2010年5月24~30日

鎮武観

đền quán trấn vũ
thanh niên
8:00-16:30
2,000VND

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鎮武観

9:04。これが鎮武観の門。拝観料お一人さま2,000ドン、たったの10円だ。文廟の門と似ている。「観」とは道観のことで、いわゆる道教寺院だ。ベトナム語ではđền quán trấn vũđềnが「祠」、quánが「観」、trấnが「鎮」、が「武」で、すなわち「鎮武観祠」となる。「祠」đềnとは歴史上の実在した人物を神格化して祀った建物のことを言う。つまりは道教の施設であることを示す。

お香がもうもうと焚かれている。手前の堂宇の屋根上には魚、奥の堂宇の屋根上には双龍が。これらも文廟の中門や祭殿の屋根に観られたものだ。

何故か境内には象の像が…。

堂宇の入り口両サイドにも龍虎が対になっていた。儒教であっても道教であってもこの装飾は普遍的なものなのかもしれない。

中はど派手の一言に尽きる。これぞ道教、という感じ。中央の額には「北圻第一名勝」とある。「北圻(パッキ)」とは、グエン朝時代の行政区分名であり、ベトナムの北部の地域(トンキン)を指す。ちなみに「中圻(チュンキ)」は中部(アンナム)、「南圻(ナムキ)」は南部(コーチシナ)のこと。トンキンは黎朝(1428-1527年、1532-1789年)の時代におけるハノイの別名「東京城」から。今はトンキン湾にその名が残っている。アンナムは唐代に設置された「安南都護府」に由来する名で、ベトナム諸王朝はシナ王朝や日本に対しては「安南」の名を使用しており、シナ王朝や日本もそう呼んでいた。そしてコーチシナは「交趾支那」に由来し、フランスが使用していた名である。そもそも「交趾」はベトナム北部の古称であった。

内部に祀られているのは「玄天鎮武神」。李朝時代に、北方からの敵を迎え撃って国を守ったという伝説からその名がある。「北方」ということで「玄武」の「玄」なのだろう。道教では、玄武は必ずしも亀で描かれるわけではない。人型で描かれることも珍しくないのだ。

シナ王朝からの独立を果たした李朝時代に守ってくれた神を祀っているのがポイント。やはりシナ王朝を意識しているのだ。

座には目出度そうな霊獣が。

その脇にこいつら。何なのかはよく分からない。道教にはたくさんの神がいるし、作ろうと思えば作れるので把握しきれるものではない。装いとしてはやっぱり中国風。

額の「蕩魔」とは「魔を平らげる」という意味。

他にきらびやかな蓋などが。「玄天上帝」と書かれているが、これはそのまま玄武のことであり、やはりこの道教寺院はベトナムの北方守護を担っているのである。

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