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越南漫遊記 2010年5月24~30日

ハロン湾 往路

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ハロン湾 往路

ハロン湾に向けて車を走らせる。ただ今8:45だが、ハロン湾までは3時間ほどかかる。

偶然見かけたベトナムの墓。日本のそれと比べてかなり派手だ。ただし、田んぼに点在していたりするのは日本でも田舎のほうで見られる。ちなみに遺体は焼かず、土葬にするらしい。ただしベトナム建国の父ホーチミンは、火葬して遺灰をベトナム全土に散骨するよう遺書をしたためた(しかし実際には遺書の通りになっていないことは後述する)。

ハロン湾はハノイの北東の方角にある。再びホン河を渡りハノイ側に戻るが、北へ続く高速道路へと乗る。

ホン河の河川敷にはとうもろこし畑が広がる。砂が多く、米が取れないので替わりにとうもろこしを育てているらしい。

ハロン湾へは高速道路で向かう。

左写真のように、原付バイクも高速道路を走れるらしい。ちなみにバイクは高速料金が無料らしい。しかし何より不思議なのは、自転車も走っていることだ(写真に写っている)。ちなみに高速道路での普通自動車の制限速度は80km/h。なお、市街での制限速度は40km/hだとか。ちょっと遅い気がするが、あんだけ混雑していればこのくらいが適当なのかも。

ところでベトナムでは元フランスの植民地だからか、メートル法を採用しているため、我々日本人旅行者には分かりやすい。

高速道路の入り口ではフランスパンを売る露天商がいる。ロアンさんによると、地元の人はこれを揶揄して「ほこりパン」と言っているとか。ナイスネーミングだ。

ベトナムがいくら社会主義国家とはいえ、当局から命令されてこんなところに店を出して「ほこりパン」売りをしているとは思えない。人が本来持つたくましさというのを見たような気がする。ベトナム人は資本主義国家の人よりずっと商魂たくましく見える。

ベトナムでは、ドイモイ政策を始めたことで配給制度が終わり、代わりに給料が渡されるようになった。それ以後、ベトナム人は外国人にみやげものを買うように客引きしたり、道ばたでグァバや「ほこりパン」を売るようになった。社会主義国家とはいえ、経済面では資本主義国家のそれと何ら代わりがない。結局のところ、資本主義国家との違いは共産党の一党制という点だけだ。つまりベトナムや中国というのは「国家資本主義国家」なのだ。

ハノイ郊外には、左写真に写っているような別荘が乱立しているとか。ただし全く売れないらしい。ベトナムの人が別荘を持つとは思えないから、外国人向けのようだが、何故にこんなリゾートでもない中途半端なところに造るのかよく分からない。こういうのは社会主義国家の常といったところなのか。

興味深かったのは、ロアンさんも呆れ気味に言っていたところだ。政府に対してはいくらかの不満があるのかもしれない。

高速道路の中央分離帯。たまにここを歩いている人がいたりするからベトナムは面白い。植えてある花が綺麗だが、これには毒があるという。ただし、というか、それだけに生命力が強いので常に排気ガスに曝される過酷な環境に使用されているようだ。

しばらく田んぼが続く。日本の田舎でもよく見かけるような光景が続く。「私の故郷もこんな感じの風景ですよ」と言ってみた。ロアンさんによると、ベトナム北部・中部では二毛作で、南部は三毛作らしい。

先ほどグァバの露天商があったので、ハノイで取れる果物を訊いてみたところ、ライチやマンゴスチンなどがあるという。

しばらく退屈な時間が続くので、ロアンさんがベトナムの政治体制、経済、教育などについて説明してくれた。
「ベトナムでは、国家主席、首相、共産党書記長の三頭政治なので、一人くらい無能でも他がサポートするから大丈夫です」
と、結構過激なことを言っていた。
「日本では首相一人でしょう? しかもすぐ替わりますよね。確か今の首相は五月で終わりになるんですよね?」
と真顔で訊いてきたから苦笑してしまった。
「あれ? 違いました?」
ときょとんとするロアンさん。おそらく他の日本人旅行客が何か勘違いさせるようなことを言ったのかもしれない。
「んー、まぁどうなるんでしょうねぇ」
と答えておいたが、なんとロアンさんの言うことは実現してしまった。

ベトナムではやはり農業が産業の中心だが、機械が足りていない。そのため、これまでも見たように、牛や水牛を使って耕作しているとか。

ベトナムの学校は9月始まりで、夏休みが3ヶ月もあるという。暑いので夏休みが長いのは納得できる。ハノイなど北部では一応四季があり、冬もある。といっても当然日本のような寒さではないが、ロアンさんによると、気温が15度を下回ると学校が休みになるとか。というのも、湿度が高いために数字以上に寒さを感じるのと、ベトナムには暖房が存在しないため。家と外とが同じ気温になるのだという。

ベトナムの家が主にレンガ造りなのも、冬に寒さを感じる要因の一つかと思う。バッチャン村に向かう途中で新築中の家を見たが、赤いレンガがたくさん積まれていたのを見たので、ベトナムの家がレンガで出来ているのが分かった。木造建築のように湿気を吸うことはないので、湿度が高く気温の低いハノイの冬では、家中が結露しまくるのだろう。

また、ベトナムの一般的な住宅では、居間が家に入ってすぐのところにある。メインの居住空間が外に近いというのも、数字以上に寒さを感じさせているのだと思う。

レンガ造りといい、居間の位置といい、ベトナムでは住宅の造りに冬を考慮していない。

学校は午前と午後の二交代制。それは学校の数が人口に対して足りないからだそうだ。ロアンさん曰く、基本的に三人以上子どもを産むことは許されていないとのこと。ただし少数民族はこれを守っていないようだ。これが中国のように法律的に認められていることなのかどうかは分からない。ちなみにベトナムには53の少数民族がいる(圧倒的多数派はキン族)。小学校は5年間、中学校は4年間、高校は3年間。義務教育は中学校まで。

なお、帰国後調べたところ、上の「二人っ子政策」は既に過去のもので、現在は制限がないようだ。ロアンさんがどういうつもりで上のように説明したのかは不明。ちなみにベトナムは8500万人の人口を有し、東南アジアではトップクラス、世界では13位。平均寿命は71歳を超え、かなり高い。

ちなみにベトナムでは小学校から英語教育が行われているとか。都市部では幼稚園から。「だからベトナム人には英語が通じる」とロアンさんは言っていたので、「英語が通じるなら安心だな」と思ったのだが、後で偉い目にあってしまった…。ちなみに元宗主国であるフランス語はどうだろう、と思って訊いてみたが、今では教えられていないので分かる人はほとんどいないとか。なお、ロアンさんはベトナム語、日本語、英語のトリリンガル。

ベトナムではガソリンが高いという。1リッター90円。物価が日本の1/5~1/7ということを鑑みると、確かにとんでもない額だ。バイクも高く、1台6,000~7,000ドルするという。車となると1台300万円とか…。物価の差を考えると日本より高いじゃないか。日本では家が買えるかもしれない。こうなるともう財産だろう。

ロアンさんはたまに携帯電話で誰かと話している。おそらく会社への報告や、これから訪問する先々の人と連絡を取ったりしているのだと思う。携帯電話の普及状況について訊いてみた。都市部ならばほとんど持っているという。ただし、かなり高いので、これも財産。それでも人は携帯を持ちたがる。通話料を節約するため、メールでの連絡を頻繁にするというので、みんな早打ちだそうだ。中には二台持っている人もいるらしい。こういうのは日本と変わらないな。

ちなみにハノイの街では、ほうぼうで携帯電話会社の広告を見ることができた。mobifone、vinaphoneというのがベトナムの携帯電話会社らしい。どうやら"vina"は"viet namの略のようだ。広告にはwebサイトのURLも掲載されており、それによるとベトナムのドメインは.vnのようだ。なお、ロアンさんには遠慮して訊けなかったが、ベトナムでは国民のネットアクセスに対する検閲が行われているらしい。

ファーライ火力発電所。手前の煙突のは旧ソ連のODAで、奥の煙突のは日本のODAで建造されたという。他に水力発電がベトナムの電気の供給源になっている。火力発電では石炭を使っており、それを運ぶトラックが行き交う道路は、道が真っ黒になっていて分かりやすい。

田舎ではまだ練炭を使っている家が多いという。そのため、一酸化中毒による事故が結構起こるのだそうだ。日本でも30年前までは田舎では普通に練炭を使っていたと思う。

通過する民家をみていると、犬が多く、猫がいないのに気づいた。ロアンさんに
「ベトナムではどのペットが人気なんですか?」
と訊いてみたところ、ペットは都会の人しか飼ってなくて、田舎で飼われている犬のほとんどは、ペットではなくて牛を見張るためのものだという。
「番犬ですね?」
と言ったところ、ロアンさんは
「バンケン? 私その言葉知らないので教えて下さい」
と、ペンと紙を渡してきたので「番犬」と書いて「ばんけん」とルビを振って渡したところ、
「あ~! 番って警察のことですよね。漢字だと意味が分かりやすいです」
と言って納得してくれた。ベトナムでは漢字が廃止されてから久しいが、それでも分かる人は分かるらしい。確かに昨日見たハノイの寺でも「三寶寺」と漢字で書いてあったし、ベトナム語の4割程度は漢字語だ。ロアンさんはこのように勉強熱心な方で、我々が食事している間も、レストランのロビーで"glossary"(語彙集)というタイトルの本を開いて勉強していた。また、それだけに知識も豊富で、何を訊いても的確に答えてくれた。

余談だが、glossaryというタイトルの本ということは、英語のそれであって、おそらくロアンさんは英語をネイティブとする人もガイドしているのかもしれない。後で奥さんと話したことだが、アメリカ人をガイドする際には、遠慮してベトナム戦争のことを話さないのかもしれない。そう考えると、我々日本人に対しても、遠慮していることがあるのかもしれない。第二次世界大戦中にはベトナムに旧日本軍が進駐した。ホーチミンが読んだ独立宣言文内にも「日本人の支配」というタームが出てくる。それでも気持ちよく観光してもらうために、話さないことがあるのだろう。また、事ある毎に日本のODAによって建設されたものを紹介したりしているから、かなり気を遣っているのが分かる。

さて、ハロン湾まであと半分という10時半、大理石の石像や刺繍などを売る巨大な店に入っていった。ここでトイレ休憩をするとか。ちょっと我慢していたのでほっとした。
「15分後に、この店の中を通過した先の出口で集合です」
と案内された。何かの「協定」的なものが結ばれており、トイレを使わせる代わりに、店の中を歩かせることになっているのかもしれない。地元のベトナム人は絶対に訪れないような、土産センターのようなところ。客は見た感じ日本人か中国人か韓国人のどれかしかいない。

大理石の石像には"no picture"とあった。別に撮りたくはない。

店の隅のほうで、冷蔵庫に入った冷たい水を売っていたのでこれを買う。車の中は冷房が効いていて快適なのだが、喉が乾燥してしまうので水が欲しい。冷蔵庫から水を取り出して
"how much?"
と言ったら
「1ドル」
と日本語で返された。言われた通り1ドル札を渡すとなぜか飴もくれた。店員は笑顔だったので、この時はサービスかと思って
"oh, thank you!"
と受け取ったが、後で知ったところによれば、細かいおつりがない場合、このようにおつり代わりにお菓子をくれる。というわけでサービスではなかったのだ。

ここでもらったおつり代わりの飴。alpenliebe。なぜかドイツ語。「アルプス大好き!」ってこと?

なお、ベトナムでは物を売っていても値札が無い。つまり定価が分からない。この時点では1ドルがベトナムでどれほどの価値があるのか分からないのだ。ただ、物価が日本の1/5~1/7という話からすれば、500mlの水が1ドルというのは高いのは分かるが、果たしてこれは外国人用の価格なのか、一般ベトナム人からも同じ金額を受け取っているのか…。それは謎だ。

後で分かったことだが、この巨大な土産センターは、戦災孤児や枯葉剤の影響で障害者となってしまった人の職業訓練所を兼ねているという。ここで作られた刺繍には、まるで写真かと思うほどリアルなものがあり、思わず息を飲んだ。ただ、いくら日本人でも…、と思うほど高い値段が付いていたので、買うのを躊躇ってしまう。かなりのぼったくり価格となっていると思う。

その店の駐輪場では、たくさんの原付が駐められているのを見た。地元の人がここに買い物に来るとは思えないので、おそらく従業員のものだと思う。気になったのはスピードメーター。なんと160kmという訳の分からない数字までプリントされてますが…。さすがベトナム。「原付~」で、大泉が「スピードメーターが120kmなんて要らないところまであるけど…」と言及していたので気になっていた。120kmなんて出したら死ぬだろ、と嬉野ディレクターも言っていたのだが、この店で見た原付は160km…。一体どうなっているんだ。

さて、再びハロン湾に向けて出発。途中からしばらく線路と併走することになる。

列車に乗っている人と目があった。こういうのいいね。ハノイからホーチミンまで鉄道が通っていて、31時間かかるという。飛行機ならば2時間で済む。鉄道はほとんど昼間は走っておらず、旅客より貨物目的のために、夜間には盛んに走っているとか。つまり、旅客としてはほとんど機能していない、ということだ。

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