法起寺から法輪寺へ。2,300mほど漕ぐとすぐ。

法輪寺入り口前の広場ではフリーマーケットが催されていた。

法輪寺も法起寺のようにコンパクトな境内。中心堂宇である講堂の手前左右にそれぞれ三重塔、金堂が配置され、講堂裏に妙見堂。妙見信仰の篤い寺のようだ。


金堂は非公開だった。禅宗様。裳階部分がやけに大きく、「ふとっちょ」な格好をしていた。裳階といえば法隆寺の金堂や五重塔。それらも裳階がやけに大きい。類似点が指摘される。


コンパクトな三重塔。二層目の窓が開いているのが気になる。


講堂。法輪寺の中心的堂宇だ。

講堂は事実上の収蔵庫となっていて、特徴的な仏像が多数安置されていた。なお、収蔵庫に仏像を安置する寺は、かつては趨勢を誇っていたが、今は衰退している、という状況の寺が多い。収蔵する仏像の数だけ、かつては堂宇があった、ということを示している。法輪寺もかつては大寺だった。

東西に長い講堂の中央の壇には、左から毘沙門天、地蔵菩薩、薬師如来、十一面観音、虚空蔵菩薩、弥勒菩薩、吉祥天が並んでおり、毘沙門天と地蔵の間には妙見菩薩(秘仏前立)が。とりあえず十一面観音を中心とし、外側に天部、中心に菩薩・如来を据えてはいるが、当然古来よりこの配置だったわけではない。

毘沙門天は、寺では「米俵乗毘沙門天」と呼んでいるように、米俵二俵にそれぞれ左右の足をのせ、仁王立ちになっている。「他に類例をみない」とパンフレットには書いてあるが、自分もみたことがない。普通、米俵に乗っているのは大黒天。このポージングだと、米俵をニランバ、ビランバに替えると兜跋毘沙門天になる。光背の火炎は、彫刻ではなく、絵として描かれていた。獅噛があった。


さて、この講堂内で一番気になったのが、この妙見菩薩。秘仏の前立が講堂に安置されているのだが、こんな男らしい妙見菩薩は初めて見た。しかも忿怒の表情。秘仏の妙見菩薩は最古のものらしく、その造形がこの前立の如くであったなら、とても興味深い。

十一面観音像が中心とはなっているが、実はその右手に立つ薬師如来が、この寺の本尊。なんと宝塔の上に載っており、飛鳥寺の釈迦如来のような表情をしている。古いタイプの仏。

中心にのさばっている十一面観音像は、講堂での本尊。身長でも群を抜いている。赤や緑など、割と色が濃く残っていた。

光背には、暴悪大笑面がよく見られるように丸く穴が空いている。もちろん後ろに廻って見学ができる。大笑面とは言いつつも、笑うというよりは口を大きく開けて怒っていた。

光背にわざわざ丸く穴を空けているということは、仏像が360°全方向から「観る」ものであることを示している。そうでなければわざわざこんな造形は必要がない。拝むだけのものであれば、観念上だけで事足りるはずである。

十一面観音の左手の虚空蔵菩薩も、薬師如来と同様に飛鳥仏の特徴を持っていた。

弥勒菩薩は、左目が摩耗しつぶれているので、一見ウィンクしているかのようにみえた。

講堂裏の妙見堂は、秘仏を安置し、4/15に公開されるらしい。パンフレットによれば、内部はたくさんの星座が描かれており、まるで宇宙空間のごとくらしい。果たして秘仏も、前立のように忿怒の表情なのだろうか。

講堂内には空調は無かったが、気持ちひんやりしており、備え付けのうちわでしばし涼をとった。


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