近鉄奈良に到着したのは既に14時を回った頃。浄瑠璃寺行きのバス停で時刻を確認すると、次は14:30頃。なかなかタイミングが良い。

バスが来るまでバス停で立ちっぱなしはきついので、駅のベンチで一休み。遅い昼食も摂った。

良い時間になったのでバス停に舞い戻ると、子供連れや若い人たちの行列。まさか全員が浄瑠璃寺まで行くとは思えない。自分とは別のバスの乗るのだろう。しかし、どこか行くようなところがあっただろうか…。

やってきた浄瑠璃寺行きのバスには、行列をつくっていた人たちが一緒に乗り込んだ。まさか浄瑠璃寺?

と思っていたら、あっけなく奈良ドリームランド前でごっそりと下車していった。そうか、ドリームランド…。結構繁盛しているんだなぁ。どうみても平凡な遊園地なので、既にさびれているものだと思っていたのだが。関西地区はUSJの一人勝ちだと思っていたが、まだまだ地方の遊園地にも客が集まっているようだ。

ドリームランドを通過すると、車内は一気に静かになった。見渡してみれば、自分以外は中年の夫婦二組が乗っているだけ。このまま浄瑠璃寺に行きそうだ…。

1時間ほどで浄瑠璃寺に到着。なかなか遠かったなぁ。

浄瑠璃寺バス停付近には、特に何もなかった。浄瑠璃寺の門前町があるものだと思っていたが、小さな土産屋と茶店があるくらい。かなりの田舎だ。

大寺だと思っていた浄瑠璃寺自体も、実際はかなり小さな寺だった。

 
浄瑠璃寺の参道と山門。浄瑠璃寺は山門が珍しく北側にある。


浄瑠璃寺の本堂。境内には他に三重塔があるくらい。

本堂へは、向かって右側から入ることになる。14歳くらいの女の子が受付をしていた。おそらくこの寺の娘なのだろう。特に寺務員を雇っていないようだ。少しとまどったが、国宝を擁するとはいえ小さな寺なのだから、こういうこともあるだろう。受け答えもしっかりしていて利発そうなので、高校生といわれればそうみえる。正直高校生くらいだと思ったのだが、きょうび夏休みに家業を手伝うほどナイーブな高校生が居るとは思えないと勝手に判断し「では14歳くらいか」と予想をたてたまでで、もし彼女が本当に高校生だとしたら、かえってますます立派な子だと思う。

拝観料を支払い、内部に入ると、そこの受付には30代くらいの女性が。おそらく先ほどの子の母親なのだろう。そしてその傍らの土産ものの売り場には12歳くらいの子が。妹だろうか。

先ほどから「本堂ではお静かにお願いします」という趣旨の張り紙をあちこちで見かける。一筆箋のようなものに書かれた字は非常に優しく、柔らかく、なおかつ真摯でもあった。

靴を下駄箱に入れ、本堂の背後から周り、本堂正面向かって左側(南口)から入堂。

内部には、九体の阿弥陀像が横一直線に並んでいた。ほとんど造形としては同じだが、一つ一つは細かい部分で異なっている。そして中央の一体のみ、一回り大きい。

九体阿弥陀はそれぞれのクラス(品)に一体の阿弥陀を対応させており、全ての人を見守っているのだ、ということを暗示している。また、これらの阿弥陀を擁する阿弥陀堂は、境内の西部分に位置しており、本堂がすなわち阿弥陀の西方極楽浄土そのものとなっている。

阿弥陀堂には、九体阿弥陀の他に不動明王、四天王像、地蔵像などがある。

まず不動明王は本堂の南側に安置されていた。青い肌をして、剣とロープを持った姿。スタンダードな造形ではあるが、注目すべきは背後の炎。炎の「手」がまるでヒイラギの葉のようにギザギザになっていて、その先端はカタツムリの殻のように螺旋になっている。3Dではないが、このデフォルメは面白い。不動明王はキンカラとチュータカの二童子を従えている。不動の左手側のキンカラは、白い肌で優しい顔をして合掌している。右手側のチュータカは赤い肌で何かをにらみつけるような表情。それぞれ、不動明王の持つ二つの属性を体現しているのだろうとも思った。ロープを持つ左手側には優しいキンカラ。剣を持つ右手側には厳しいチュータカ。

四天王像は本堂の北側に安置されていた。といっても四体が揃っているわけではなく、持国天と増長天の二体があるだけ。なかなか色も残っていて細かい造形が施されているのだが、他の多聞天は京都国立博物館、広目天は東京国立博物館に出張中となっている。長い間出張中となっていて、もし戻ってきても本堂に四体が並ぶスペースはなさそう。もしかしたらずっと戻ってこないのかもしれない。半永久的に同僚と離ればなれとなったこいつらは何を思っているのだろう。彼らの忿怒の形相にも何か憂いを含んでいるようにも感じられた。特に増長天は口を一直線に結んでおり、自らの運命を受け入れつつも悲しみをこらえているかのようでもあった。

中央の阿弥陀像の左手側には、白い肌をした地蔵像が立っている。衣は腹まではだけており、腹巻きをしているのが分かる。腹巻き地蔵は珍しい。

他に激しい忿怒の形相の馬頭観音も、この寺に籍を置いているが、奈良の国立博物館に出張中。この旅の初日に観たのでここでは触れないが、他にも延命地蔵も東京国立博物館に出張中となっている。

本堂内の土産もの売り場には50を超えたような女性がおり、おそらく先ほどの子たちの祖母なのだろう。家族で参拝客を相手にしているようだ。

この旅もこの寺で終わりになるし、帰りのバスの時間もだいぶ後になるので、しばらく本堂内でじっくりと内部の様子を観察していた。しかし、立て続けに起こったのはイヤな事ばかりだった。

本堂内部と外を隔てるのは、障子戸のみ。つまり紙一枚しかないのだが、外部からは携帯電話で話す男性の声がそのまま本堂の内部まで届いてきた。後で知ったのだが、本堂の外には「本堂付近での携帯電話での通話はご遠慮ください」との張り紙があったのにもかかわらず…。さらに残念だったのは、この男性が子連れであったことだ。

また、本堂にやってきた頑固そうな老人は、声をはりあげ、一緒に連れてやってきた妻と息子夫婦を振り回していた。中央の阿弥陀如来の前に陣取り、一通りのことを済ませると、遠慮の無い声量であれは国宝だ、あれは○○だと説明をし始めた。彼の妻や息子夫婦には、はっきりと興味が無いのが診てとれるのだが、老人は彼らが理解していないと思ったのか、その度に「だから○○だ!」と声をはりあげる。彼の動きは緩慢で、立ったり座ったりするような時には息子夫婦の支えが必要なのだが、終始自分のペース。そのまま本堂内を去っていった。どうやら歳をとればとるほど賢くなり、大人になるというのはウソのようだ。かえって頑固になり、自分が正しいと固く信じてしまう。

本堂内には立ち替わり拝観客がやってくるが、ほとんどは張り紙の注意を無視し、堂内を騒がす。客が立ち去り、次の客がやってくるまでのほんの少しの間だけ、この堂内に静寂が訪れる。

堂内が騒がしくなるたび、土産もの売り場でうつむいて本を読んでいる女性の気持ちが気になってしまう…。

残念な気持ちで本堂を去る。先ほどとは違った目で、受付の女性達を観る。彼女たちの拝観客に寄せる期待は本当に最低限のことなのだ。しかし拝観客たちはそれすら無視し、我がもの顔で堂内を荒らして帰っていく。境内のあちこちに、かわいらしい置物や花を飾ったりして何とか寺の雰囲気を良くしようとしている寺の女性達。それとは対照的に下品に振る舞う拝観客。痛々しいよ…。

さらに追い打ちをかけたのは、一人の拝観客の信じられない行動だった。境内を走り回り、あまつさえつばを吐き捨てたのだ。見た感じでは既に成人しているようだったが、どこか幼さが感じられた。一緒にやってきていた中年の男性に落ち着きの無い態度を叱られていた。どうやら彼は知的障害者のようだった。彼は父親に叱られていたのだ。知的障害者は寺に来るな、という事を言いたいのではない。どんな人も、どういう場所なのかを理解した上で寺に来るべきなのだ。

浄瑠璃寺でもやけに子供連れが多かった。奈良公園のようにお祭りがあるわけでもないのにどうしてだろう。しかし、先ほどから境内を荒らしているのはいい大人たちなのだ。「子供たちに道徳教育を施し『美しい国』を」なんて言う前に、自分達を顧みなくてはならない。次代へと責任を押しつけるのは大人の勝手でしかない。人に厳しい割に自分はやりたい放題。それを見た子供は同じ事をするに決まっている。そんな大人が子供を叱れるだろうか。道徳教育などできるだろうか。

こうした拝観客の態度を目の当たりにした上で寺の女性達を見ると、涙をこらえて寺を必死に護っているような、そういう印象を受けた。寺を荒らすことは、彼女たちに対する暴力のように思える。すごく悲しい。こうした悲劇があったから訳ではないが、今回の旅のなかで、寺務員の印象が最も良かった寺がこの浄瑠璃寺。拝観客たちは最悪だが、健気に明るくやっている。

こんな客ばかりが来て、自分たちの場所を荒らされてはかなわないだろう。それでは拝観を拒絶したらいいじゃないか、と思ったが、それは絶対に不可能なのだ。なぜなら、この寺には国宝が四点もあるからだ。自分たちがこの寺に生まれた以上、国宝の「呪縛」からは逃れられないのだ。逃れるには、自分たちが出て行かなくてはならない。

国宝に指定されることは果たして幸せなことなのだろうか。この寺の女性達は、本当は拝観客など受け入れたくないのかもしれない。そっとしておいて欲しいのかもしれない。

国宝であることが素晴らしいのではない。何か素晴らしいことがまず先にあって、それが国宝の規準にたまたま合致していたから国宝に指定されるのだ。昔「ガキの使いやあらへんで!!」で、確定申告に関わるトークにおいて、松本人志が「『年俸五億、すごいね』って言われるけど、年俸五億が凄いんやないねん。『松ちゃん五億分も仕事したんだぁ』って言わなあかん」と言っていた(客の反応はイマイチだったが…)。つまりそういうことなのだ。国宝はあくまで結果であり、価値ではない。

今回の旅で訪れた諸寺のほとんどは国宝を擁する寺であり、方々で拝観客が「これ国宝や」と言っているのを耳にしてきた。彼らは、仏像や堂宇を目の前にしても、実は何も観ていない。私が「異境巡礼」の旅で発見している事柄の数々は、仏像や堂宇をよく観れば発見できるものばかりだ。しかし「国宝」というラベルしか見えない人には、それらを発見することはできない。国宝とは、法律上の分類の名称にすぎないから当然のことだ。人にどうだった?と聞かれても、何も語れない。さらに、国宝にしか目がいかないから、他のたくさんの仏像や堂宇も一切印象に残らない。

覚えているのは、ガイドブックに載るような風景だけ。予めガイドブックによって、その寺の印象がすり込まれるため、写真に映った風景だけはよく覚えている。つまり、彼らは実際に寺に行ったとしても、ガイドブックの確認をするだけでしかないのだ。「行った」という事実だけが残る。あとはただのイメージの消費でしかない。一体何のために行っているのだろうか。

こうしてみると、みんな催眠にかけられているように見える。貨幣だって催眠の一つ。あの紙きれに価値があると信じられているから、通用しているにすぎない。金の呪縛から逃れられたらどんなに幸せなことか。同様に、国宝の呪縛から逃れられたら、人はもっと面白いことを発見するだろうに。国宝の呪縛のほうが、貨幣の呪縛よりも容易に逃れることができそうなものなのだが…。

辟易して本堂を出る。もう居たくない。彼女たちが痛々しくて居たたまれない。


浄瑠璃寺の境内の東側に位置する三重塔。内部には薬師如来が安置されており、秘仏となっている。すなわち薬師如来の居る東方瑠璃光浄土を体現している。

浄瑠璃寺の境内の中央には大きな池がある。その池の両岸に、先ほどの阿弥陀堂と三重塔が向き合っており、それぞれの本尊の阿弥陀如来と薬師如来も向き合っているかたちとなっている。

実は、この三重塔がこの寺の本質であって、その後に阿弥陀堂が建った。薬師が先なのだ。だから寺の名前が浄瑠璃寺なのである。


三重塔のある「此岸」から「彼岸」を見た図。「彼岸」にあるのは、すなわち阿弥陀世界、西方極楽浄土である。阿弥陀堂には九の障子戸があり、それぞれが九体の阿弥陀に対応しており、開けると九体の阿弥陀が外を臨むことができる。


池には鯉やら亀やらが…。いっぱい居すぎてちょっと気持ちわるい…。池に近づくとえさをくれると思ってこのように騒ぐのだ。

 
阿弥陀堂の屋根には、ひょうきんな顔をした獅子(?)たちが。こいつらもこの寺を護って居るんだよなぁ…。健気だよ…。切ないよ…。

境内が仏教世界を暗示しており、小さいながら、いやむしろそれだからこそまとまっており、なかなか興味深い寺だった。

国宝に指定されることについても深く考えさせられたし、この寺に来たのは正解だったかもしれない…。

すごくおこがましく傲慢なことかもしれないが、このちっぽけな「異境巡礼」の報告が、人々が国宝の呪縛から解き放たれるきっかけになればと思う。そして、すごく大袈裟なことかもしれないが、それがこの旅の使命なのだとも思った。

バス停で待つこと15分、やっと帰りのバスがやってきた。バスに乗り込んだのは、やはり先ほどバスでやってきた5人のみ。本数が少ないのは仕方のないことかもしれない。

奈良に着いたのは17:00頃。特急を待ち、京都に戻ると既に18:00をまわっていた。実は今朝、携帯電話の情報自動配信のニュースで、首都圏で大規模な停電をあったことを知った。帰りの新幹線が心配だったが、杞憂。京都駅の駅員に聞いたところ、通常通りの運行だという。

帰りのひかりの指定席券には20:00。それまでの2時間を土産や夕食の買い物に費やした。

京都駅では、ぴょん屋といううさぎ系和風文房具・和風雑貨屋を発見。他に賀茂茄子どーもなどを購入。あわせて京都駅ビルcubeの、三省堂書店で帰りの新幹線で読むための本を探した。旅の終わりに今更…という感じもしないでもなかったが、和辻哲郎の『古寺巡礼』も買った。旅に出る前に読んでおいたほうがよかったのかもしれない。しかし先入観を持つよりはいいかなと。自分なりの感動が一番だが、他人がどういう印象を持つのかを知るのも興味深い。

駅ビルの地下では、揚げ物の良いにおいがただよっていて食欲を誘うが、帰りの新幹線の中で気持ち悪くなっても大変なので、車内で食べる夕食はいわな寿司でさっぱりと。


ひかりに乗り込んですぐに夕食。前から食べたいと思っていたいわな寿司。なかなか美味しかった。

さすがに疲れていたようで、気が付いたら寝てしまっていた。東京タワーが見えてくるとほっとする。帰ってきた。

帰ってから風呂に入ると、首がひりひりと痛くなった。鏡で見ると、首のみが真っ赤に焼けていた。腕や顔は日焼け止めを塗っておいて助かったのだ。焼け石に水かなと、気休め程度だと思っていたのだが、かなり効果があったようだ。三日間外を歩き回った。とにかく暑かった…。

今回の大和路巡礼はこれにて終了。久々の異境巡礼だったが、得られたものは多く、そして大きかった。行ったばかりだが、またすぐに訪問したい。今回ついに行けなかったのは、吉野、飛鳥、山の辺、生駒、宝山。今後の課題だ。奈良県全てを三日間で周りきるのはやっぱり不可能。次にまとめてやろうと思う。奈良町散策もしたいし、ついでに郡山も城や金魚が気になる。

まだまだ奈良は奥が深い。


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