次の訪問先は、法華寺からすぐの海龍王寺。名前がかっこいいね。


山門もかっこいい。大寺にはない枯れた魅力がある。

門をくぐり、ずんずん進むが、なんだか雰囲気がおかしい。誰もいないのだ。

悪い予感はあたった。境内入り口には「拝観中止」のお知らせが…。何でもお盆期間中だからだとか。まぁ寺側としても忙しい時期だし、拝観客を応対する暇などないのだろうなぁ。

なお、今回の旅で訪れた寺の中で、お盆中により拝観を中止しているのはこの海龍王寺だけだった。他の寺があまりに観光寺となっているということなのかもしれない。


さて、境内入り口に貼られてあったポスターで、こちらの十一面観音像を「拝観」してしまおう。実は、先ほどの不退寺聖観音像、法華寺十一面観音像はここのポスターを撮ったものだ。

ここの十一面観音像は、とにかく装飾品が多い。また身につけている衣にも細かい文様が施され、しかも色もグリーンとパープルでまとめられていて、とにかくお洒落。これまで観た仏像の中で一番のファッションセンスの持ち主かもしれない。こいつも二の腕に輪を付けているが、先ほどの法華寺十一面のようなエロティックさはない。あくまでお洒落だ。

光背の中心には蓮の花があり、そこから光線が出ている。この蓮華さえも緑色であり、全体として寒色系でまとめられているようだ。

髪飾りの先は長く垂れていて、風に吹かれているのか左右に流れている。このそよ風といい、寒色系の色彩といい、おそらく涼しいところに居るはずだ。

極楽には涼しいイメージがある。ちなみに、一方の地獄は砂漠の灼熱の暑さをイメージしている。地獄の思想を生み出したどこかの人々(地獄の思想の源流は人の持つ根源的な嫌悪感にあり、仏教で初めて生まれたものではない)にとっては、暑さこそが最も嫌なものだったのだろう。そして、地獄の思想のもっと後に極楽の思想ができたのだそうだ。しかも極楽に関する情報というのは、地獄のそれに比べずっと少ない。地獄についてはマニアック過ぎるほどに情報量が多い。人は嫌なものを知りたがるのだろう。

このように、極楽は地獄の対照として成立したから、自ずから涼しいイメージになるのだ。なお、地獄にも寒い地獄は存在するが、暑い地獄よりももっと後に成立したもので、付加的な要素を多分に含んでいるし、情報量もずっと少ない。やはり暑さこそがリアルな苦しみだったのだ。極寒なんて体験しようもなかったから、創作しようともできないのは当たり前かもしれない。地獄が砂漠のイメージなら、極楽はオアシスのイメージだそうだ。涼しくて水が流れる救いの地、というわけだ。

横道に逸れてしまったが、こちらの十一面観音像も秘仏になっていて、春休み期間中のみ拝観可能とのこと。やはり小さい寺だから観光シーズンにしか対応できないのかもしれない。

不退寺、法華寺、海龍王寺の観音像たちはかなり魅力的だ。自分は如来や菩薩像に対してはあまり関心が無いが、「佐保の三寺」の観音像たちははじめての例外。来年の春にはまとめて再訪し、是非拝観したいものだ。

また、この寺には模型のような五重塔があるとか。しかし仏舎利なのでれっきとした本尊。どうなのだろう、この模型のような五重塔を拡大したのが一般に言われる五重塔なのか、それとも一般に言われる五重塔を縮小したのがこの模型のような五重塔なのか…。


寺内の写真が無いのはさみしいので、土壁を。枯れた魅力にあふれている。


海龍王寺の前にあった自販機。500mlのパック入り飲料はもちろん、1lのパックが自販機に入っているのは初めてみた。缶が一切無い飲料自販機も初めてだ。「抹茶オレ」が美味しそう。だけど先ほど水をがぶ飲みしたばかり。

暑さも少し和らいできた。現在14:30を過ぎた頃。風が強くなりはじめ、空にはアヤシゲな黒雲が…。ちょっとやばいかも…。今日は奈良公園の諸寺を残すのみとなった。なんとか予定はこなせる見通しがついた。

実は不退寺の前に金福院を訪問するつもりだったのが、すっかり忘れてしまっていた。ガイドブックで確認したところ、拝観可能時期は限られていて(3〜6、9〜11月の9:00〜11:00、しかも予約制)、今の時期は拝観は不可能だったことが判明。結果オーライだった。

バスで一気にキンナラへ。


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