柳川・長崎巡覧 2006年2月25〜26日

活水学院から細い小道の階段を降りて「唐人屋敷跡」と呼ばれる地区へ。そもそも長崎の各所に居留していた清人たちを集めて、一つのテリトリーとなしたところ。彼らは来航してから出航するまでの間、一般の日本人とは隔離されていたらしい。こうして清人を管理していたようだ。

 
唐人屋敷跡の入り口にあるのが、この土神堂。屋根の反りや丸窓がチャイナ風味。


内部にはちいさな祠のようなものが置いてあるだけだった。五色に塗ったテープ(?)は道教由来だろうか。提灯の「福徳正神」がここで祀られている神の名らしい。調べてみたところ、道教の神のようで、土地神とか氏神にあたる。すなわち「土神」ということか。

団体さんたちと入れ替わりで土神堂を出た。一人の案内人に引率されていた。自主的なさるく博は既に始まっているようだ。サルキスト達でにぎわう土神堂。


土神堂の外には猫が居た。この辺りはノラ猫が多いそうだ。だいぶ人間慣れしているようで、こんなに近づいても逃げる様子がない。


ここは土神堂の側の細い階段路地。温泉銭湯もある。路地の両側には魚屋を中心とする店が軒をつらねていた。ここにも猫。魚屋のおこぼれを貰っていたりするのかな?下町ののどかな風景ですな。

 
猫目線で。近づいたら警戒されてしまった…。「なんだよう」ってニラんでます。

 
階段路地を抜けたところに、天后堂が建っている。唐人屋敷跡の南西部に位置する。


丸窓。アーチを描く出入り口がいい。奥には休憩用のベンチが用意されていた。さるく博主催者などが設置したのかな?と思っていたが、後で知ったところによれば、地元の人が「ダメだ」と言われる前に黙って勝手に設置したのだとか。こういう地元の自主的な協力があって、さるく博は成り立っているんだなぁ。

 
内部中央には天后が祀られていた。天帝の皇后ってことで天后なのかな? 千里眼と海風耳(上の写真)が左右をガードしていることから、天后は航海安全を司る媽祖と同一視されているようだ。相変わらずこのお二人は怖い顔してらっしゃいますな。


関聖帝君も祀られていた。真ん中の人が関帝ってことでいいのかな? 右の人もルックスでは関帝なんだけど。


右の人の座に注目。みんな間抜けな顔してます。かわいい。


従者は黒人だろうか。


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