柳川・長崎巡覧 2006年2月25〜26日


唐人屋敷を後にし、チャイナものつながりということで孔子廟方面に向かっていたところ、東山手の洋風住宅群が気になったので少し寄り道。


東山手からはグラバースカイロードが見えた。斜めに進むエレベーターだという。これを使ってグラバー園に行けるらしい。この後孔子廟、大浦天主堂、グラバー園を訪問しようと思っているが、ちょっと時間的にキビしい。グラバー園は諦めるしかないかも。


外国人向けの賃貸住宅だったところ。全部で七軒建っている。何か展示物があるのかと思って入ったのだが、最初の住宅跡は何故か各国料理を振る舞う小さな喫茶店になっていて、そそくさと退却。他の住宅跡は長崎の古写真・埋蔵資料を展示しているらしく、ちょいと見学してみる。


孔子廟が見えた。


連なるこの三軒が古写真・埋蔵資料館。


こちらは上野彦馬。上野撮影局という写真館を開設した、日本で最初のカメラマン。龍馬の写真も、彼が撮った。ここの展示によると、上野がどれだけ写真に魅せられていたのかがよく分かる。

彼は写真撮影に必要な材料・薬剤を全て自分の手でつくりだしていった。オランダ語で描かれたテキストを手がかりにしていったそうだが、なにせ見たこともないものをつくりだそうというのだから途方もない試みである。

エチルアルコールを焼酎を蒸留してつくろうとしたり(結局は焼酎ではダメで、オランダ人軍医で化学の師匠のボンベからジンを貰ってつくりだすことに成功)、硫酸をつくるにも6昼夜不眠不休で仕事をし、精製に1ヶ月もかかったそう。そしてアンモニアを半分腐った牛の骨からつくったり、青酸カリを牛の生き血から析出させたりしたそう。全て手作りだったのが凄い。悪臭が出たり、牛のむくろを使うということから気味悪がられ(肉食の習慣は無かったことに注意)、近所からは苦情が相次いだとか。奉行所に訴えられたりしたが、ボンベの取りなしで事なきを得たそう。

この人はこんな苦労をしてまで写真を撮りたかったのだ。研究というよりも「戦い」だったのかもしれない。上の写真の彼はなんと22歳。研究熱心、好奇心旺盛な青年だったんだね。22歳の自分は彼ほどの情熱を持っていたかなぁ…。

彼は『舎密局必携』という化学書を出版。「せいみきょくひっけい」と読むそうだが、「舎密(シェーミか)」はおそらく英語でいうchemicalに相当するオランダ語の音訳だろう。このテキストは明治の中期まで使用されたそう。化学式も用いられているとか。非常に興味有り。岩波文庫とかで読めないかな。

彼は日本で最初の天体写真を撮ったり、西南戦争に従軍して撮影したりしたそうだ。

今までこんな凄い人が居たなんて全然知らなかった。面白い。


 
日本人によるオランダ人の食事風景画。黒人の二人の従者や、犬も見える。牛の頭って凄いね。オランダ人は出島内で食肉のための家畜を飼っていたそうだ。


 
こちらもオランダ人の食事風景。遊女も一緒だ。こっちも犬がいたり、遊女が猫(?)を抱えていたり。畳の上にテーブルと椅子を並べていることに注意。しかもオランダ人は靴を履いている。でも黒人の従者は裸足。他の絵を見ると分かるが、彼らは外でも裸足だったようだ。オランダ人に伴って黒人もたくさん出島に来ていた。

 
オランダ船も。

古写真・埋蔵資料館を意外にもじっくり観てしまったため、あと孔子廟を訪問するだけの時間しか残らなくなった。まぁ、また来ればいいさ。また何度でも来たいと思わせる、そんな街だった。


洋風住宅群を抜け、孔子廟に向かう途中、長崎ぬこの溜まり場を発見。あまり近づくと逃げそうなので遠くから眺める。


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