雍州秋景 2007年11月3日〜4日

法然院


法然院の入り口。森に佇む寺院の趣き。

 
安楽寺と同様、茅葺きの山門。違うのは、屋根が苔生しており、雰囲気は抜群。これも下から見上げると傘を広げたようにみえる。

法然院は、春と秋それぞれ一週間ずつ公開しており、つまり法然院に入れるのは年間14日しかない。今回はその貴重な体験である。


山門をくぐると、白砂壇が二基。素晴らしいね。法然院はその名の通り浄土系のはずだが、禅宗風の白砂壇がここにある意味は? 銀閣にもこのようなものがあったはず。

 
左には楓と銀杏、右はもみじ。季節によってモチーフを変えているのだろうか。まさか春の公開期もこのモチーフだとは考えにくい。規則的な斜線の上に葉が描かれているが、果たしてどちらが先に描かれているのだろうか。一見すれば斜線が先のようにも見えるが、よく見るとあながちそうでもない。魔法のような不思議な造形だ。


白砂壇の間から、山門を振り返る。こちらの面に苔が多い。ということはこっちが北か。


静かに水が滴る手水鉢。


庫裡に入ってすぐの手水鉢。坪庭風の小さな庭があった。


本堂。本尊はやはり阿弥陀如来。その前の床には二十五の散華。一つの花が菩薩に擬らえてある。阿弥陀如来の天蓋はドームのようになっていた。装飾性が高い。

散華のための花は季節によって違う。夏は公開期ではないが、あじさいが散華されるとか。この阿弥陀如来に脇侍はいない。居るとすれば目の前の花たちなのだ。

ここ法然院は、非公開文化財特別公開の枠組みの中で公開されている。若い案内員の説明によると、入り口に白砂壇があるのは、中興の祖忍澂が黄檗宗の独湛と親交があったからだという。事実、境内の整備は中国の廬山寺をモデルとして行われ、そのアドバイスをしたのが独湛なのだった。

そして白砂壇は水を表し、境内に入る前にこの間を通過することにより、身を清浄とするのだという。「あいだ」を通過して生まれ変わるのは、胎内くぐりに通じるものがある。さらに、砂を水と見立てるのは、禅寺で多い枯山水と共通している。

また、水が物事をリセットするという思想は日本に独特なものかもしれない。「水に流す」という言葉があるくらいだ。「水を差す」「水入らず」も同じニュアンスで用いられている。

ともかく、宗派の違いを殊更に際だたせようとすること自体が、仏教の本質からはずれているということを、二人は認識していたのだと思う。違いがあって当たり前、違いをそのまま違いとして受け入れること(言葉で世界を区切って秩序立てようとする恣意を捨て、カオスをカオスのまま受け入れること)が、大乗仏教の真骨頂なのだから。


本堂から方丈へ。方丈前には庭園が。石橋の先には、善気水という湧き水がでている。階段の先には鳥居があり、鎮守社が祀られている。

方丈には、堂本印象による前衛的な襖絵の間があった。散らし書きのような、独特の画風だ。

次の間、上の間には狩野光信の筆による襖絵が。襖絵の内容がそのまま障壁画にも続いていて、部屋全体で空間を表現している。ところどころ、桐の木の葉が白くなっているが、どうやら褪色しているようだった。


方丈をぐるっと回って、藤棚。先に見えるのは大書院と茶室。


本堂と方丈の間の中庭には、白砂の中に椿の木が三本植えられている。「三銘椿」といわれ、それぞれ花笠椿、貴椿、五色散椿だそうだが、今は葉を落としておりどれがどれなのか分かったとしてもあまり意味はない。


(おそらく)書院前の庭の手水鉢。水に浮かぶ散華がいい。こいつも阿弥陀に付いて来た菩薩を象徴しているのだろうか。


大書院への廊下で見かけた言葉。生は自分の意志とは無関係に発生している。既にして生まれており、存在してしまっているのだ。仏教で説く四苦のうちの一つが「生」だが、どうにもならないからこそ、素晴らしいのだ。意味がないからこそ、まったくの偶然だからこそ、生は神秘的なのだ。

大書院には、まず八方にらみの龍が襖に描かれた間があった。襖の至るところには、墨の粒がまぶしてある。これは汚れなのではなく、水しぶきを表しているのだとか。なかなか大胆な表現だ。落款の春日画所琢眼とあり、春日画所とはけったいな号だと思っていたら、春日大社に籍を置いていたという意味であって、勝山琢眼だとか。狩野派の画家だった。

また現在屏風絵となっている雪松図は当初は障壁画だったらしい。つぐみが一体止まっているが、不自然に中空を見つめている。ひょっとしたら、もう一体おり、見つめ合っていたのではないかとのこと。障壁画から屏風に仕立てるときにトリミングされた可能性があるのだ。

鳥が見つめ合うというのは、不自然な感じもするが、この手の画においてはそれほど珍しいことではない。水墨画においては、風景画といっても、必ず何気なく鳥などの動物が描かれている。そしてそれらの鳥たちは仲間たちの存在を認めるかのように、見つめ合ったり、同じものを見ていたりするのである。

「共視」というのは、なかなか象徴的なもので、同じものを見ることにより、気持ちを共有するのである。たとえば、浮世絵でも母に抱かれている子供が、母親と同じ視線を共有していることがある。母と子は同じものを見つめることにより、一体となっているのだ。これと同様、鳥たちも画の中で一体となっていることを暗示するように、「共視」しているのだ。

視線というのは、その画を読み解くにあたって重要なポイントとなる。

 
触れたら今にも崩れそうな襖には、禅宗風のモチーフが描かれていた。子供が鳥と遊んでいたり、虫籠をのぞいていたりする。子供は禅においてよく描かれるが、子供こそ、無為の象徴だからだ。禅は中国を経て日本に伝わる経過において、老荘思想の影響を強く受けた。世界をあるがままに捉えて、カオスと遊ぶ子供の姿こそ悟りの境地を表しているのだろう。良寛は晩年子供と遊んで暮らし、子供そのものとなったが、それが禅の極意だったのかもしれない。

このようなモチーフが浄土系の寺院にあることが不思議だが、黄檗宗と親交があったことをすればあまり無理はないかもしれない。

その他当麻曼荼羅があった。要は観無量寿経のストーリーを絵で示してある、漫画のようなもの。コマ割されており、文字の読めない人々に対して絵解きで示すための道具(方便)だった。中央には阿弥陀如来を中心とする曼荼羅が描かれ、その左右には、上から下へとコマ割がなされている。ここにストーリーがある。

その最下段には、左から右へとコマが描かれている。生前の行いにより、九品の往生の仕方があるのだという。つまりは9つのクラスがあるということだ。左が下品下で、右が上品上の往生。一番最低のクラスでは、往生に10万年もかかるらしい。つまりは、死んでから極楽へ往くのに10万年かかるということで、その間ずっと死ぬに死ねないということになる。一番最高のクラスは、阿弥陀如来自身が迎えに来て(来迎)、一瞬で済むのだとか。


茶室、如意庵。

 
大書院前の庭園を茶室から。


最後に望西閣という二階建ての堂宇へ。信徒会館のような感じらしい。二階の窓にはムササビがぶつかってくるのだとか。ここは鹿ヶ谷といわれるように谷になっており、なかなかわくわく動物ランドになっている。

 
玄関の傘立てが可愛かった。右下隅にちょこんと描かれた僧侶もいい味だしてます。


最後に印象的な茅葺き山門を振り返る。「不許葷辛酒肉入山門」は禅宗でよく見るのだが、これもやはり黄檗宗との関連か。

さて時刻は既に14時を回ろうかというのに、まだ昼を摂っていない。昼は湯豆腐と決めていたので、目当ての店へと移動。


三条京阪近くの豆雅傳という豆腐屋は、二階で豆腐料理が食べられる。湯豆腐定食を。左に見えるのは、豆腐のミニ唐揚げ丼。湯葉も付いていてなかなかよかった。湯豆腐もよかったけど、アラカルトで注文したおからコロッケが美味だった!

ご飯を食べたら既に16時近くなっていた。開催中の狩野永徳展を観るため、国立博物館へ急ぐ。


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