全国異境巡礼第三弾 2003年3月15日〜22日

3月18日(火曜日)

南禅寺

旅も三日目の朝を迎えた。目を覚ました後、一瞬だが自分の部屋で寝ている錯覚を覚えた。

連泊なので重い荷物を置いて軽装で繰り出すことができる。

三日目最初の訪問先は宿にほど近い南禅寺。目的は三門登楼だ。誰にも邪魔されずじっくり観られるよう拝観開始の8:40に到着するように宿を出た。


宿の真ん前には琵琶湖疎水が流れる。南禅寺には疎水の流れるローマ風水道がある。この翡翠色の水は南禅寺を通って来ているわけだ。ちなみに向こう岸は京都市美術館。


南禅寺の三門に行き着く。やはりでかい・・・。昨日の知恩院の三門が日本最大だが、ここも相当なもの。知恩院三門の軽やかな作りに比べると、全体的に黒くあまり装飾が施されていないので重厚な雰囲気があり、むしろこちらの方が大きいのではないかという錯覚すら覚える。

 
昨日の知恩院の三門と同じ様な構造だ。違っているのは連絡階段に転落防止用の網が張ってあること。知恩院と違ってこちらは常時拝観を許しているからだろうか。三門拝観券をもとめて侵入。金300円也。

 
急な階段だ。知恩院のとほとんど同じ。違いは各段に滑り止めが施されていること。やはり常時拝観ならではの配慮か。一つの階段で登り切るのではなく、ワンクッション置いてもう一つの階段に乗り換える。


階段の出口。知恩院と同じく反対側にも階段はあるのだが、そちらは使用不可で拝観ルートが一方通行でない。逆行(タダ拝観)を防ぐためなのだろうがこれでは混雑してしまうぞ。特にお年寄りは大変だ。


テラス。朝早いのでまだ空気には冷たさが残っているが清浄で、日の光がやさしく包んでくれる。いい気分だ。

知恩院では内陣(三門の上の空間。大体は何か仏像が安置されていたりする。禅宗だと釈迦如来や羅漢というケースが多い)が観られたのだが南禅寺では閉じている。ま、しょうがないね。三門に登れたことだけで満足しなきゃ。

三門登楼の興奮と、石川五右衛門が「絶景かな」と絶賛した絶景(実は彼はもう一つ上、屋根の上に登ってこう語ったらしい)も存分に楽しんだのでいよいよ帰ろうとしたら、階下より受付のおばさんがやってきた。階段で降ろうとすると、

おばさん「あれ?もう帰っちゃうの?」
僕「・・・え?」
おばさん「朝早く最初に来てくれたから、特別に中を見せてあげるよ。」
僕「・・・!本当ですか!?ぜ、是非お願いします!」

この時の僕の興奮がおばさんにも伝わったようで、おばさんは笑顔で

おばさん「ふふふ、早起きすると得するね」

中でいろいろと話をしてくださった。

 
内部には釈迦如来と十六羅漢が配置されている。


天井には天女が。・・・何だか知恩院の三門と同じだぞ。

昨日知恩院の特別拝観で三門の中に入ったこと、そして内部のデザイン、仏像の種類、その配置、描かれている絵、建築様式が全く同じであることをおばさんに告げるとおばさんも意外だったらしく興味深げだ。

おばさん曰く、こっちは知恩院に比べれば小さいけど、どちらも同じ狩野派の手による絵だし、幕府の保護を受けて完成した三門だから同じなんだろうね、とのこと。なるほど全く同じ作者というわけか。面白い。大きさを同じにしなかったのは何か特別な理由があるのだろうか。南禅寺より知恩院の方が優遇されていた何か深い理由が・・・。

目に見える範囲での知恩院との違いは落書きが無いということだ。知恩院は昔から頻繁に三門の内陣を公開してきたものと推測できる。一方南禅寺はめったに公開してこなかった、ということか。

何はともあれ知恩院と同様に意匠が奇麗だし、何より特別に内部の拝観ができたので非常に満足です。

おばさんに羅漢が好きで今非常に興奮していることを話すと、いろいろと問いかけてきてくれた。

おばさん「・・・バリアフリーってどう思う?」

いきなり重い話題になったが、実は京都の一部の社寺ではバリアフリーということで身体障害者の拝観が容易になるような措置を施している。

僕「僕は健常者ですが、一人のお寺、仏像好きとして、それらに興味のある全ての人が同じ感動を味わえるようになったらとても幸せなことだと思うので、賛成です。」

と述べると、おばさんは神妙な面もちで

おばさん「でも確実にお寺の形は変わっちゃうよ。」
僕「・・・!」

そうか。万人が三門に登れるようにしようとすればリフトなどを据え付けなくてはならなくなる・・・。これはこれで困った。難しいなあ。軽率に答えすぎた。

僕「そうですね。確かに難しい問題ですね。・・・でも一つ提案があります。奇麗で詳細な写真を図録やインターネットでどんどん公開するという方法もあると思うのです。」

障害者も感動をできるだけ同じ様な感覚で味わえるよう、写真で体験するという提案なのだが・・・。おばさんはどう受け止めただろうか。お寺も合理化を目指す必要があると思う。お守りの自動販売機とか、がま口上まがいのお守り売り(○虫寺)とか、そういう残念な合理化じゃなくてさ。


おばさんは釈迦如来や羅漢たちの手前に置かれた皿に水を差しながら会話している。毎朝行っている仕事なのだろう。これ以上邪魔できないので丁寧に感謝の意を述べて失礼することにした。

果たしてどうなのだろう。本当に南禅寺三門の内陣の拝観は特別なことなのだろうか?こういう由緒あるお寺で特別待遇なんてあり得るのだろうか。・・・今はおばさんの御厚意によるものだと素直に解釈しなければならないだろう。やはりお寺の人と仲良くなるといいことがあるなぁ。
【追加】めきゅさんより「普段は正面の扉が開いており、そこに金網がかかっていて金網越しに中が見られるようになっている。金網中央には直径30cm程の穴があいており、そこからなら金網の邪魔がなく見られるようになっていた。」とのご指摘を頂きました。ありがとうございました!内陣に上がったということが稀少体験だったようです。2003.3.28.

釈迦如来の脇侍、文殊菩薩を見て思う。彼は剣を持っている。知恵と力を具えているのだ。清朝の皇帝はダライラマより文殊菩薩の化身と認定された。また仏教において俗世界の理想的帝王はチャクラヴァルティンcakravartin(転輪聖王)と称されるが、清朝皇帝はこの称号もあわせて贈られた。文殊菩薩が理想的帝王ということなら、仏教世界では帝王たる者は知恵と力を具えていなければならない、というわけだ。・・・ブッシュアメリカはどうだろうか。確かに力(軍事力、経済力)はある。しかし知恵がともなっていない。

 
三門を降りた後、有名な洋式アーチを観る。南禅寺も初めて訪問するお寺だ。この辺り雰囲気いいなぁ。

南禅寺の境内は拝観が自由のようだ。


再び三門の側を抜けてお寺を出る。何度観ても重厚な雰囲気。まるで城だ。


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