那谷寺:石川県小松市

地図(マピオン) 小松駅から那谷寺行き北陸鉄道バス35分乗車、終点那谷寺下車。もしくは粟津駅から那谷寺行き北陸鉄道バス15分乗車、終点那谷寺下車。徒歩3分。
那谷寺ホームページ

 当初、予定では小松駅からバスに乗ってハニベ厳窟院に向かう予定であったが、金沢駅で手に入れたガイドに載っていた那谷寺の境内にかなり興味を持ったので、急遽、予定を変更して那谷寺に向かうことにする。

 ちなみに小松駅でゲットしたハニベ厳窟院のパンフレットの表紙(↑)。凄いでしょ。これだけで珍物件の臭いがぷんぷんするでしょ。で、これ(↓)がハニベ厳窟院の外見。大変なところなんですよ。

 小松駅には11:02に到着していたが、次の那谷寺行きのバスは12:00だったため、駅のそば屋で少し早いそばを食べた。白山そばというが、別に何の変哲もないそば。京都駅うどんの透明だしよりは醤油色。それでも関東のだしよりは薄かった。駅の周辺にはこれといって見るものも無く、駅内をぶらぶらしたり、待合室でパンフレットを物色したりして時間を潰した。雲行きが怪しい。宿で天気予報を見てきたが、やっぱり午後から雨が降るらしい。


小松駅の自販機にはこんな飲料が。「優香」

 小松駅を出ると、ほどなくして雨が降ってきた。バスは年寄りでいっぱいだった。しかし粟津温泉までには全ての乗客が降りてしまい、結局終点まで乗っていたのは僕一人でした。12:35頃那谷寺バス停到着。バス停には「那谷寺駅」という名のついた待合室があった。きっと昔は鉄道駅として活躍していたのでしょうな。駅行きのバスの時刻表を確認すると、次のバスは12:45発。10分後である。その次を見ると15:45。雨も降っている中、この付近で3時間以上も過ごさなくてはならなくなった。

 雨はそれ程激しくなかった。傘を取り出し、寺へと向かう。バス停から500m程離れている。寺の前にはやっぱり寺に寄生するセンスのない店が群がっておりました。おばちゃんの呼びかけを無視し、境内へ入る。


山門。


境内に入ってすぐ左には赤い堂が。華王殿というそうで、結構新しいものだそうだ。

 十一面千手観音とその両側に描かれた両部曼陀羅を撮影していると、「撮影禁止です」と怒られた。この観音の手には目が入っていました。また、天井を見上げると宝輪のようなものがあって、八つの梵字が円をなしていました。この梵字一つ一つが電気仕掛けで七色に光っていてとても格好良かったです。仏事の時は二階の空中回廊からこの観音を見ることができるようです。


雪が残っています。

 華王殿の側にはお茶処と展示館を兼ねた建物がありました。博物館そのままにガラスケースの中に十二天屏風が展示されておりました。説明に拠ればこの屏風はこの寺の儀式の時に使用されるとのことですが、いちいちガラスケースから取り出してんの?


境内を入っていくと、ポタラをイメージした池があって、小島を作ってありました。


この池とは違う別の池では、白鳥が一羽だけ居て、雨の中淋しそうでした。

 
 この寺のウリである奇岩はこんな感じ。岩肌をけずって階段を作り、岩の上を移動できるようにしてありました。

 洞穴風になっている部分には仏像を置いています。雨が降っていた為に、岩の上を移動する客はいませんでしたが、僕はやりました。洞穴に入ると鳥が巣を作って生活しておりました。僕が入るとかなり警戒した様子で鳴いておりました。鳴き声が奇麗な鳥でした。鳥についての知識が全くないので何の鳥なのか分かりませんでしたが、見た目は焦げ茶色のあまりさえない感じの小鳥でした。

 
 階段は結構急で、踏み外すと一気に下の池に落ちてしまいそうな感じがあり、多少のスリルが味わえます。岩肌に通路を作って行き来できるようにしてあるのは面白いです。まるでFF7のようでした。普通に歩いていては見落としてしまう「隠し通路」などもあり、益々FF7のようでした。「隠し通路」の先にはこの寺の僧侶の墓などもありました。


ちなみにパンフレットの写真はこちら。紅葉がきれいです。

 この寺の本堂は、岩をくりぬいた部分に作ってあり、「胎内巡り」と称していましたが、大したことはありませんでした。「撮影禁止」と謳っていましたが、別に撮影意欲は起きません。


 本堂を抜けるとこんな感じ。

 その先からは山道が続き、西国三十三ヶ所のミニ霊場が続いております。この寺は三十三ヶ所に数えられている訳でもなく、番外でもない。花山天皇がこの寺にやって来たときに、「この寺は三十三ヶ所を全て廻ったのと同じようなすばらしさがある」などと宣ったそうで、それで、一番の那智の大滝の「那」の字と、三十三番の谷汲寺の「谷」の字を取り、「那谷寺」としたそうだ。


 参道からはずれるとこんな景色も。なかなか良い景色なんだけど、なんか谷汲山の華厳寺とかぶってるんですけど。

 
懸造り物件です。
 
懸造りのお堂からの眺めは最高。


塔もある。

 
こんな大岩も。これ、参道ですよ。苔生していて感じが出ています。その参道から降りると、こんな感じ(右)。不動明王でしょうか


 境内には若宮白山神社がありました。石でできた鳥居は、中央部から割れていて、「近寄るな危険」の札が下がっていたので、遠回りして神社内部へと入りました。中には戦没者慰霊碑がありました。建立したのはなんと森善朗。

 うーん、こういう宗教的モニュメントに政治家の名が入っているってどうかと思います。通産大臣の頃に建てたものです。

 白山明神を祀った神社のようです。つまり、山を御神体としているわけです。宮殿は、祖父江で見た神明社のような構造になっておりました。拝殿の先に本殿があって、拝殿と本殿の間の空間は囲われており、参拝者は本殿には近寄れないようになっているのです。また、本殿は透明なアクリル板で全体を覆われておりました。保存の為でしょう。宮殿の後ろには雪塊が残っていました。

 あとで気付いたんですが、奥には五百羅漢もありました(↑)。失敗した。
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