江州巡覧 2007年7月14〜16日

近江八幡は彦根から15分程度。さらにバスの出発まで9分。もう正午を過ぎたが、息つく暇もなし、昼食はもう少しあとで。

駅からバスで5分程度のところに、近江八幡の中心街がある。八幡山城の城下町であり、ある程度の観光スポットでもある。自分も少し観ていくつもりだが、まずはその先にある長命寺を観てからにしたい。

長命寺までの路線バスは、今回使用している「周遊きっぷ近江路ゾーン」のフリー区間に入っている。駅からは、おばはん五人と乗ったが、自分以外はすべて城下町で降りてしまった。


途中琵琶湖に注ぐ長命寺川を渡る。まだ台風の影響だろうか、どんよりとした雲が動いていた。ただ、雨を降らすような雲ではなさそうだ。

結局城下町から終点長命寺まで、自分ひとりだった。今回もこのパターンか。

長命寺バス停は琵琶湖のほとり。ボートなどが泊まっており、開放的。

長命寺

さて、長命寺は山の上らしい。昨日、彦根のバスガイドのおばちゃんから聞いたところによれば、長命寺の階段は808段だという。気合いを入れねば。

長命寺の麓には、微妙な土産屋が一軒建っていた。観光客など一人も見当たらない。往時はあるいはある程度賑わったのかもしれないが、連休中でこの状況はちょっと厳しい。そばが食べられるらしいが、あまりここで食べる気がしないな。


土産屋を抜けるとちょっとした寺が。無住のようだ。ひょっとすると、長命寺の御坊だったのかもしれない。


さて、頑張りますか…。もう七月の中旬だが、ここでもアジサイが咲いていた。


こういう階段を登る場合、途中で休まず一気に上ることにしているが、正直つらい。でも歩みを少しでも緩めると大量の蚊が寄ってくる。そいつらを追い払う意味でも、ペースを乱すわけにはいかなかった。

水の入ったペットボトルを持って歩いていたが、808段はやっぱりきついもので手に余計なものを持つことさえうっとうしくなってきた。邪魔なので途中の階段で置いておこう。結局帰りもここを通るわけだし、自分以外に人が通るようなこともなさそうだ。

蚊もたくさんいたが、トカゲや蛇などもいて、カサカサと次々と逃げていく。基本的に人など通らないようだ。では蚊がいるのはどうしてだろう。野生動物などが出るのかもしれない。

途中、車で来る人のために駐車場があった。帰りにこちらを通ろうかと思ったが、結局やめた。なぜなら日を遮る木々もなく、アスファルト道路のために照り返しが厳しそうだし、何より車を通すのだから蛇行しており、階段よりずっと距離を歩かなくてはならなそうだからだ。水も回収しないと。


さて、やっと長命寺の入り口が見えてきた。

 
城のような石垣の上に長命寺の本堂が建っていた。堂々としている。アジサイが群生していた。

 
長命寺には三重塔が備わっているが、残念ながら工事中で近づけない。長命寺の本堂は奈良にありそうな古い様式で建っている。和様? ともかくも崖の上に建っているし、なにより巨大なので正面から撮りきれるものではない。右画像のように、一部しか撮れない。三重塔とセットで。


本堂から琵琶湖を望む。


看板には「太郎坊大権現」とあり、どうやらこの先に天狗を祀っているようだ。さらに階段か…。既に808段登っていて、気力がないし、最近自己の天狗ブームも弱まってきていて足が向かなかった。それよりアジサイが奇麗だった。


代わりに、鐘楼のある丘まで登ると長命寺の伽藍が一直線に見えた。これはベストショットだ。

 
一番手前の赤い堂は護法権現社の拝殿、そのすぐ奥が三仏堂。一番大きな茅葺の堂が本堂。これらの三堂宇が回廊でつながっている。

三仏堂には釈迦如来、阿弥陀如来、薬師如来の三大如来が祀られている。如来のみを仏というから、三仏堂といえばこいつらが祀られているのは間違いない。そしてこれらを同格に祀るのは天台宗しかない。

護法権現社は要するに長命寺の鎮守であり、元々建っていた神社のこと。(仏)法を護る権現とは武内宿彌だとか。長命寺を開いたのが武内宿彌としているので、開山堂でもある。護法というぐらいだから、「神>仏」ということになり、格としては武内宿彌が上ということになっているようだ。

なお、神社と寺院が一緒になっている場合、神が神であるための苦しみから解脱したいという願望を抱いている、という論理で矛盾を解決していることが多い。蛇足だが、このことからも日本の神は、唯一神であり無謬の存在であるゴッドとは根底より異なる存在であることがはっきりする。

さて、天狗ブームが少し盛りかえしてきた今だから分かることだが、太郎坊は京都の愛宕山の天狗だ。天狗はもともと修験道の修行者だった存在であり、仏道修行者が道を外れると天狗道に堕ちるという。文字通り外道で、仏教の六道すら当てはまらない存在。だから、自分と同様に堕落させようと、修行者を誘惑するのが天狗なのだとか。大体天台宗の僧侶を狙うらしいが、ここ長命寺は天台宗であり、敵対する者を一緒に祀っている時点で矛盾しているが…。あるいは天狗を取り込んでしまっているということなのだろうか。

 
鐘楼のすぐ隣には如法行堂なる初めて観る堂宇が建っていた。内部には、左から福徳庚申尊、智恵文殊菩薩、勝運将軍地蔵菩薩が祀られている。この寺で一番興味深かったのがこの堂宇だ。


まずは福徳庚申尊。六本腕の明王風の像だ。手前に三猿があるから、庚申講と関連のある神だろう。まず、道教には、人間の体内には「三尸」という三匹の悪虫があり、その人の悪行を庚申の日の夜に天帝に報告し、寿命を縮めるという教えがある。

そこで日本では、庚申の日には徹夜をし、三尸が報告しないようにするという庚申待ちの風習が生まれ、その徹夜の寄り合いを庚申講といった。

さて、そこで庚申のコウシンという音から「荒神」なる神が庚申講の本尊ということなった。さらに荒神という名から、荒ぶる仏神ということになり、上の画像の明王風のような像で造像される。ちなみにこれは青面金剛と呼ばれる神と同一であり、全くインドに起源を持つことのない日本独自の民間信仰だ。「荒神」といい「青面金剛」といい、それらの語は一般形容でしかなく、固有名ではないことからも、しっかりとした体系もなければ、起源もないものだ。

青面金剛はそのまま「青い肌」をしていることを示している。おそらく不動明王などの憤怒神から着想を得ているのだろう。

さて、そしてその青面金剛の使いは、手前に並んでいる三猿である。庚申ということでサルで、それぞれ口、耳、目を塞いでいることより、三尸が天帝に報告しないよう人間の悪事を見ない・聞かない・言わないということを示している。

全く人間の都合によって生まれた神で、まるっきり民間宗教なのだが、この成立過程は面白いものがある。こういうのをアナロジーといい、このアナロジカルな発想がなければ仏教空間は読解できない。

なお「福徳」と付いているのは、まさにこれが道教にひとつの起源を持っていることを示している。福徳とは、長寿・子孫繁栄を示すからだ。


次に勝運将軍地蔵菩薩。白馬に乗り、武装した地蔵菩薩のことだ。地蔵菩薩はふつう僧形の、強力だが優しいいでたちをしているものだ。この手の地蔵菩薩をふつう「勝軍菩薩」というが、この起源もなかなかややこしい。

地蔵菩薩は釈迦如来の入滅から、弥勒菩薩が56億7000万年後に登場して如来となるまでの間、六道すべてを見守る菩薩であるため、六地蔵といって、六道それぞれに対応して六体の地蔵像が造られてきた。そこで、辻に安置された地蔵像が、道祖神信仰と習合した結果、道祖神をシャグジということから、シャグジ地蔵、漢字が当てられていつの間にか「勝軍地蔵」となり、意味が与えられてしまい、遂には、武装し、白馬に乗るといういでたちとなった。

なお、道祖神をシャグジというのは、諏訪のタケミナカタと同一視されるミシャグジ神(御+シャグジ?)と何か関係がありそうだが、詳しいことはわからない。道祖神信仰は長野で盛んだが、そこに何かヒントがあるのかもしれない。


最後に智恵文殊菩薩。「智恵」とは文殊菩薩の本来属性を示しているので、わざわざ付ける必要もないのだが、それでも付けているのは、他の二体の名と文字数の上でバランスを取りたかっただけだろう。獅子に乗っており、ノーマルなものだが、獅子の脚が太くてかわいい。

この如法行堂は、このように複雑な起源を持ち、そもそも実体のない神や仏を二体も含み祀る堂宇だった。これらの三体がなぜ一緒になっているのかよくわからないが、背丈がほとんど一緒なので、何らかの必然性があって合わせて造像されたのだろう。


順序が逆だが、最後に本堂を。本尊は絶対秘仏の千手観音であり、画像のように、内陣と外陣が明確に分けられており、古い密教形式となっている。内陣を護っている二体の仁王は、不自然であり、もともと長命寺には仁王門があったのかもしれない。


さて、山上伽藍に別れを告げ、再び808段の階段へと戻りますか。

帰りは行きよりずっと速く戻ることができた。途中で水を回収。


バスはまだ来ないので、バス停付近の四阿で一休み。ここまでずっと押し押しだったので、この休息は良かった。クローバーなんて久しぶりに見た。琵琶湖は穏やかだね。


バスの発時刻が近くなり、駐車場に泊まっていたバスが動きだして扉を開けたので、乗り込む。長命寺のローマ字表記がおかしい。Chomeijiなら分かるが、Cyomeijiはローマ字の正書法にない。


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