江州巡覧 2007年7月14〜16日

さて、龍譚寺を出て大洞弁財天へと向かおう。龍譚寺のすぐ隣には清涼寺があるが、原則非公開であることを知っていたので、後回しとする。


少し勾配のある山道。龍譚寺付近にも増して人の気配がない。


途中で観音堂(?)を発見。内部は確認できず。

しばらく進むと大洞弁財天に到着。それほど高い位置にあるわけではない。

大洞弁財天(長寿院)

大洞弁財天は正式には長寿院という寺だが、弁財天のほうで有名。弁財天と大洞というのが、なんとも意味深な感じ…。

 
大洞弁財天の山門。無理やり楼上に登るための階段を取り付けている。何でも、楼上には大黒天がたくさん奉納されているのだとか。その数4000体に及ぶとか。創建当初は一万を数えたらしい…。

山門から外を望むと、ちょうどまっすぐの位置に彦根城が見える。

 
さて、山門裏手には、弁財天ということで狐が。しっぽの先が変。

 
表のほうには見たこともない勇ましいやつらが控えていた。この仏像って一体? ポーズだけみれば、マヘーシュヴァラのようにも見えるが…。鬼神系の天部であることは間違いないだろう。

 
門の天井は格子になっていた。門はそれほど変わったものではない。

すごいのはここからだ。


本堂。ここは一つのマニアックな宇宙となっている。

 
この装飾を見よ! 日光東照宮を造営した職人たちを使って造ったという、まさに権現造り。そのため「彦根日光」と呼ばれるらしい。


彫物をクローズアップすると、なんと、なまずが彫られているのが分かる。どうしてなまずなんだろう。

 
龍馬。日光東照宮でも見かけるやつら。

 
これらは普通に見かける象だが、精巧に彫られている。


大宝王。阿弥陀如来のことを「無量大宝王」という。アミターバ(阿弥陀如来)とは「無量光」という意味。境内にはほかに阿弥陀堂があるので、ここにも「大宝王」という額が掲げられているのかもしれない。

早速内部へ潜入。


正面には掛け仏。おそらく阿弥陀三尊か。まず中央は、如来形なので阿弥陀、釈迦のどちらかが考えられ見分けがつかないが(薬師はほとんど薬壺を持っているので外れる)、その左右の脇侍が膝をついて膝まずいており、勢至と観音と判断がつくので、それでは中央の如来は阿弥陀なのだろう、と推察される。

掛け仏というのは、大体それが掲げられている堂の本尊をモチーフにする。さきほどの「大宝王」という額といい、この掛け仏といい、本来ならこの堂には阿弥陀如来が安置されていてしかるべきなのだが、ひょっとすると、いつの間にか人気のある弁財天にすり替わった可能性がある。もともとの住人である阿弥陀如来は、よその堂へと引っ越して、そこが阿弥陀堂と呼ばれるようになったのではないか。

 
まず狛犬がお出迎え。お堂の中に居るのは何か不自然な感じがする。角の有無で、阿形がオス、吽がメスというのが分かる。金ピカでゴージャス感を演出している。

さて、狛犬たちが守っている階段を上ると、外陣と内陣。弁財天が安置されている内陣は、一つの「部屋」になっている。さらにその周りを囲むように回廊ができており、人が通行できる外陣となっている。

橋の手前側が神社でいう「拝殿」、その先が「神殿」となっているようなつくりになっている。

 
内陣から怪しげな表情でこちらを見ているのが弁財天。鼻が潰れており美人とは言い難い。正確なところはわからないが、六本くらいの腕を持っていそうな感じ。


ズームしてみると、弁財天の両肩背後には、二匹の白狐が居ることが分かる。弁財天の頭上には、白蛇身翁面の宇賀神は載っていなかった。

弁財天自体も細かくよくできているのだが、その左右にもいろんなものが安置されているようだった。

 
まず弁財天向って右だが、まず金ピカの龍が目立つ。弁財天の水神としての属性を暗示しているのだろう。問題はその奥である。最奥には僧侶の頂相が安置されている。顔は見えなかったが、ここにも金を使っているようだった。その手前にも鬼神らしき天部像が少なくとも三体安置されていた。画像の一番右の像は、どうやら弁財天の夫毘沙門天のような気がする。中央の像は何だろうか。雲のようなものに乗っているようだが…。全くわからない。

 
続いて弁財天向って左。ここにも金ピカの龍。先ほどが阿形だったのに対し、こちらは吽形。その最奥には厨子があった。内部には何も安置されていないようだ。内部は細かく荘厳されており、よく色が残っている。近くで見てみたいものだが…。本来この厨子に安置されていたものとは?

やはりその奥にもこまごまとした像が並んでいる。一番左の像は何かの童子像か。弁財天の眷属に十五童子というのがあるから、ひょっとするとそのうちの一体なのかもしれない。

その右の天部像も毘沙門天か? あるいは足をずらしているところから大黒天かもしれない。大黒天というと、日本ではふくよかで穏やかな笑みをたたえた翁が一般的だが、本来はシヴァ神のことで、マハーカーラと呼ばれる非常に恐ろしい形相の憤怒神なのである。また、片足を一歩前に出す「走り大黒天」というものもあるので、中央の像は、ひょっとしたら、走り大黒憤怒バージョンということなのかもしれない。この寺の山門にも大黒天がたくさん安置されているので、何か関連があるのかもしれない。

さて、一番右の雲に乗っているような像を見てピンときた。先ほど弁財天向って右にも同じように雲に乗る像があったが、こいつらは阿弥陀如来の脇侍である勢至と観音かもしれない。というのは、阿弥陀の来迎時には、二十五菩薩を伴い、全員雲に乗って現れるのだが、そのうち勢至と観音の二体はそれらの先頭を切って現れる。

先ほど額や掛け仏の内容から、この堂の本来の主は阿弥陀如来ではないかと推察したが、またひとつその説を補強するような材料がここに見つかった。

とすると、奥の厨子内にはここの主だった阿弥陀如来が安置されていた可能性もあるかもしれない。

外の彫刻もすごかったが、堂内も数々の彫刻で荘厳されていた。

 
背に甲羅を乗せた龍のような動物。なんだっけ?

 
左右に鶴亀。元は鮮やかなカラーリングが施されていたと思われるが、煤で黒光りしている。

 
ウサギとハヤブサ? 鳶なら愛宕神社の使いか。拝殿の方なので煤に覆われることなく色が残っているのだろう。


これは鳳凰か。


大黒天として、青色の新しい像が拝殿の中に安置されていた。…そうか、山門の二体の鬼神は大黒天だったか! あいつらも小槌を持っていたし、兜を被り、足の組み方も同じ。二体ともが同じ種類で、山門に一緒に祀られるというのは珍しい。あるいは二体には何か区別があるだろうか?

 
こちらは阿弥陀堂。ひょっとしたらここの本尊阿弥陀如来が、本堂の本来の主だったかもしれない。阿弥陀如来の前に不動明王が不自然な感じで安置されているし、須弥壇向って左下には床に直接別の弁財天が安置(放置?)されている。阿弥陀堂とはいうが、かつてはそれぞれが別々の堂で祀られていて、堂宇を失ったことでここに集まっているだけなのだろう。これも、本堂の本尊が本来は阿弥陀であったことの状況証拠の一つかもしれない。

元々は本堂こそが阿弥陀堂だったが、弁財天の人気の高まりにより、阿弥陀とその場をすり替わったということなのかもしれない。

さて、もう大洞弁財天は見つくした。早く戻らねば大雨の中、一時間以上バスを待つか、何十分も歩くかどちらかになってしまう。帰りは下り坂になるので戻るのは早い。


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