雍州春景 2007年3月30日〜4月1日

銀閣へはバスで移動。


河原町今出川交差点で停車中、五山送り火の「大」が見えた。


賀茂大橋で停車中、河原で何かを取っている(探している)親子(にしては女性が若すぎるが)を発見。何してんだろ?

銀閣寺前バス停から銀閣までは少々歩く。

 
琵琶湖疎水沿いに歩く。桜の見頃はまだ少し後だけど、鯉がいたり、ハトがお花見デート(?)してたりと雰囲気は良し。


銀閣の門前町は「修学旅行生御用達」といった感じ。少々の登り坂になっている。ある外国人旅行者が"what a beautiful !"と言いながら和服姿の女性たちを勝手に撮っていた。どさくさに紛れて自分も。危ねぇ…

慈照寺

銀閣も金閣と同様中学の修学旅行で来て以来、一度も訪問していない。金閣は団体行動のスケジュールに組み込まれていて、しかも雨が降っていたためか、当時からあまり思い入れがなかった。一方銀閣のほうは、自由行動で訪問したため、それなりに感慨がある。非常に落ち着いているなという感想を持った。

最前の金閣には、境内に入る前に既にがっかりさせられていたが、銀閣はそんなことはなかった。


まずいきなり感動したのはこの垣根。みんなが見とれていた。雪国の冬場みたいだぞ。


中門をくぐると、白砂が敷き詰められた庭が広がる。先のほうには桃山風の唐門がある。


その唐門から(反対側から)同じ庭を。見る向きが違うだけで、だいぶ印象が変わる。

唐門から菱形の石が伸びている。そうか、これらの菱形は庭の装飾(東福寺の菱形のような)ではなく、飛び石だったのか。つまり唐門をくぐるための「正式な」参道で、我々が通ってきた道はいわば「勝手口」のようなもの。唐門側から見ないと良く分からないね。

唐門は、もはや門としての役割を持っていないが、ひょっとすると勅使門のような位置づけなのかもしれない。


先に見えるのは、向月台。自分はむしろ、その手前に伸びた苔庭が良かった。きれいですな。


唐門の反対側の、火頭窓から眺めた銀沙灘。

先ほどの唐門前の砂庭、向月台、銀沙灘といい、「銀閣」の「銀」とはこの砂のことを指すんじゃないかと思うくらい、境内は「銀」の海となっていた。実際「銀沙灘」は、そのまんま「銀色の砂の海」なのだから。

「月」とか「銀」という文字でピンときたのだが、ひょっとすると月夜には、砂が月光を反射し、それこそ間接照明のように境内を銀色に照らすのではないだろうか。その光によって照らされた観音堂こそが、「銀閣」なのではないだろうか。


東求堂。そう、方丈に着いてから思い出したのだが、銀閣ではこの時期東求堂の特別公開中だったのだ。

えっと、何時までだったか? 確認しているより問い合わせたほうが早い。急いで申し込みに行くと「もう終了したんです…」との返答。16:00までだそうで、ちょうど時計は16:00を指していた…。

東求堂は外から眺めるしかない。中では説明を受けている人々が。東求堂の中には、同仁斎という四畳半があり、義政の時代の前衛芸術家たちのサロンだったとか。今でいえば、オタクたちが仲間のアパートの部屋に集まっていたということになる。「同人斎」でもあったわけだ。

 
さて、かなり焦らしたが銀閣。第一層目の北東の方角の庇が凹んでいるのは、鬼門よけということだろうか。

ところで、今回私は二層目へと登る階段の位置を発見してしまった。上の右の写真をみると、二層目の扉の手前に、金属の手すりがあるのが分かる。すなわちこれは、階段の手すりなのだ。きっと一層目の白壁の中に階段があるのだろう。階段自体を見ることはできないが(どんな角度からでも窓越しに階段を見ることはできなかった)、位置(北側)は分かった。

さらに興味深かったのは、階段の手すりが金属であったこと。これはおそらく後世になってから取り付けられたもので、拝観客を二層目へ登らせていた時期があったことを物語っている。

先ほどの金閣は階段の位置を探ることはできなかったが、『都名所図絵』のような絵画史料によって、二層目、三層目へと参拝客が登っていたことを確認できる。一方、銀閣については、これまで絵画史料によって二層目へ参拝客が登っていたことを確認することができなかった。

今回の訪問により、銀閣の内部構造が少し分かった。


南側の窓の中を撮った。立て札があるということは、内部公開の可能性があるということだろうか。さて、気になるのは階段である。右側奥のほうに斜めに走る黒い筋が確認できるが、これが階段の手すりなのだろうか。

 
銀閣へは割と接近できる。左は南側から、右は北西からのショット。


再び階段のある北側からのショット。階段を登る方向とは逆についたてがあり、参拝客の導線を制限しているかのようだ。確かに過去に公開したことがあることを物語る。そして今後の公開の可能性も…。

確かに、二層目の、階段のある方角以外の面には、火頭窓がある。北側は出入り口という位置づけなので、この面だけ火頭窓がないのだろう。

東求堂内部は拝観できなかったが、ほくほく顔で銀閣を出る。面白かった。

金閣には無かった哲学が、ここ銀閣にはあった。


銀閣に向かう時には気が付かなかったが、民家の二層目にミニミニ鍾馗が! 一人の外国人が気づいてカメラを向けていたので、自分も存在に気が付いた。ありがとう! コーカソイドのおばちゃん。民家の魔よけだね。


銀閣寺道バス停あたりで見かけた釜めし屋。銀閣を模しているようだが、張りぼてで面白い。

もう17:00をまわっているので、今日はもう宿にチェックインしよう。

今日の宿は二条駅前。少し考えた末、東山三条までバス、そこから地下鉄とした。


宿の近くで見た靴屋。「研究所」とはなんと大げさな!

JR二条駅近くのビルには、割と大型の大垣書店があったので、今朝嵐電で知った「らくたび文庫」を買い求めた。とりあえず嵐電沿線ガイドと庭園NAVI。さっそく宿で庭園の勉強を一夜漬けで。なかなか分かりやすい。


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