京都異境巡礼 2003年7月27日〜8月2日

渉成園を出て、河原町正面バス停から河原町三条へ。てくてくと歩き、次の訪問先の矢田地蔵へ向かうが、途中天性寺を訪問。…特に見どころはないので、矢田地蔵へ。

矢田寺(矢田地蔵)


商店街に突然現れるお寺。ここには炎に包まれた地蔵菩薩があるという。


…よく分からないな。中には入れない模様。仕方ない。かろうじて赤い炎だけは確認できた。

これで終わるのもさみしいので、境内の物件をチェック。
 
開運大日如来。真言密教では宇宙の根本とされている大日如来が現世利益のために働いていた。お願い地蔵のような小さなぬいぐるみがたくさんつるされていた。

さて、終わってしまったのでさっさと次へ。河原町三条から荒神口へ。

荒神口バス停からすぐ、目的の護浄院がある。ここでは「三宝大荒神」という日本最初の荒神が祀られているという。事前情報では、八面八ひの恐ろしい形相をしているということだったが、神社扱いになっているようで、像は見られなかった。残念…。

気を取り直し、徒歩で次の目的地へ。

清浄華院

浄土宗のお寺。ここに立ち寄ったのは、泣き不動信仰があるという情報を得ていたからだった。まず、浄土宗で不動信仰というのが興味深いし、何より「泣き」と「不動」という取り合わせが面白かったからだ。

ぐるぐると境内を回ってみても不動堂らしきものは見あたらない。そこで寺務所に赴くと、肉付きのよい若いお坊さんが現れた。かなり太いです…。泣き不動について問い合わせると、案内して頂けることになった。のっしのっしとゆっくり歩くお坊さんの後をついて本堂へ。

本堂の内陣向かって左に不動明王が安置されていた。聞くと、泣き不動というのは、別名身代わり不動といって、ある説話に基づく信仰のようだ。このお寺には、この説話を描いた絵巻があるという。本物は現在京都文化博物館で阿倍晴明に関する特別展示のために貸し出しているとのこと。どうもこの説話には阿倍晴明が関係しているらしい。本堂の壁には、その絵巻の四箇所を写した写真が展示されている。

智興という偉いお坊さんが不治の病に倒れた時、阿倍晴明が診察。誰かが身代わりになれば治るというので、弟子の若い証空が立候補。そして阿倍は祈祷を開始。

この場面はよく見る。お坊さんの解説に拠れば、阿倍が祈祷しているのを描いたものはこの泣き不動絵巻のこのシーンのみなのだという。つまり、このシーンが使い回されているというわけだ。祈祷の対象がユニークな妖怪だ。さて、この祈祷によって智興の病気は証空に遷るのだが、当然今度は証空が苦しむことになる。この証空の美徳に感動した不動明王が涙を流し、「じゃあ俺が」と身代わりにかってでた。病気になった不動明王は死に、地獄に堕ちる。

不動明王は両手を後ろで縛られ、後ろに控えている獄卒の牛頭、馬頭によって閻魔大王の手前に召し出されるのだが、事情を知った閻魔大王は土下座して謝り、不動明王は現世へ戻ることとなる。これが泣き不動の由来なのだという。不動明王の手前で偉そうに立っているのはキンカラとチュータカの二童子だろうか。まるで水戸黄門のようだ。「ひかえおろ〜」。

不動明王が死ぬというのも変だし、地獄で閻魔大王の裁判を受けるというのも変。また、閻魔大王が土下座している絵も珍しい。

このお寺の本堂に安置されている不動明王像は涙を流しているわけではないそうだ。ここは少し残念。だが、珍しく面白い話が聞けたので良かった。

浄土宗なのに不動信仰があるのは、このお寺がもともと真言宗のお寺として始まったかららしい。幾度の宗派変更を経て浄土宗になっているわけだが、宗派変更に関しては、このお寺の立地が影響しているようだ。この清浄華院は京都御所のすぐ隣りに位置する。天皇が真言宗を学びたいといえば、真言宗のお坊さんがこのお寺に来て授業をする。天台宗を学びたいと言えば天台宗のお坊さんが来る。といったように家庭教師の出張所だったようだ。境内には天皇のお墓もあり、境内にあるにも係わらず宮内庁の管理下にあって、このお寺のお坊さんでも立ち入れない場所があるという。


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