近江京師巡礼 2007年8月11〜14日

円光寺からさらに歩いて詩仙堂へ。このあたりになってくると人で賑わい始める。

詩仙堂


詩仙堂は石川丈山の造営。徳川家康に仕えたいわゆる武士だったが、大阪夏の陣後、学問の道へ。隠居後は詩仙堂を造営し、ここで死ぬまで暮らした。大阪夏の陣というエポックメイキングな事件の後で武士を廃業し学者になるというのは、先見の明があったということだろうか。自己矛盾的な存在になるよりは、権力欲を捨てて静かに暮らそうというのは、なかなか賢い人だったのだろう。

さて、石川の造営したのは正確には「凹凸か【上に穴、下に果】」といい、詩仙堂はその一部である。現在は丈山寺という京都では珍しい曹洞宗の寺院となっている。


門を入って振り返ったところ。「凹凸か【上に穴、下に果】」には十境と呼ばれる見どころがあり、竹林を縫うように走る階段は、その一つ「小有洞」という。洞窟に見たてたのだろう。


階段を登り切るとまた門がある。これが十境の一つ「老梅関」。

 
これが丈山寺の本堂。恐ろしいまでの奇怪建築だ。茅葺の屋根と瓦屋根がジョイントしているのは、茶室建築でよくみられる。なんてアクロバティックな建築なんだ。


本堂上に乗る楼は十境の一つ「嘯月楼」という。

 
「老梅関」を抜けてすぐに落ち着いた砂の庭。名は不明。


アーチ型の梁(?)が面白い。入口上には「関」とあった。そのまんま「入口」ということだろう。玄「関」というわけだ。


禅宗の寺院らしく、堂内入ってすぐに庫裡があった。


メインの庭。モコモコ系の植木と禅宗らし白砂の庭。


庭がよく見渡せるよう、角部屋になっている。これも設計のうちだろう。中では大混雑。休憩室かというくらいの混みよう。みんなじっとして動かない。いくら暑いからといって…。

 
ジョイント部のデルタが良い。


詩仙堂を出てすぐに、お土産屋があった。京都名物というわけでもないのに、何故か京都以外では見ない「冷やしあめ」が売られていた。この販促ツールも京都以外では見たことがない。普通は「かき氷」になるはず。やたら甘いというのを聞いたことがあり、飲む気にはなれない。みうらじゅんが好きだという。

 
詩仙堂からすぐの金福寺を訪問したが、拝観を中止していた。「例年通り」というのが、なんとも上からの視線だよな…。


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