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師走の洛北・洛西 2007年12月29〜31日

大仙院

だいせんいん

京都府京都市北区紫野大徳寺町

市バス「大徳寺前」・「建勲神社前」下車徒歩5分

マピオン

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大徳寺塔頭大仙院

大徳寺前バス停で下車。

店の名前は知らないけど、大徳寺前でこんなかわいい窓の店を見つけた。

この貼り方はどうだろうか…。大徳寺前の消防署の出張所みたいな小屋(?)にて。

同じような構図で、下の標語が「火をつけた あなたの責任 最後まで」というポスターを見たことがある。女の子はこっち見てるし、かなり意味深なポスターだった。考えすぎか…。

さて、今回の目的は大仙院の庭園を観ることだが、他の塔頭にも行けるところまで行ってみた。

芳春院。呑湖閣という多層建築を抱える塔頭。残念ながら未だ拝観叶ったことがない。

山門前の壁。瓦がレイヤーされていた。時に丸軒瓦まで挟んでいる。サザンカが綺麗に咲いていた。写真ではわかりにくいが、センリョウも咲いていた。冬だってなかなかいいじゃないか。…すげー寒いけど…。

芳春院はここまでしか入れなかった。

如意庵。ここは山門まで。塔頭らしい塔頭。松の木が質実剛健な感じを醸し出していた。冬でも緑を保つ松、苔。

さて、大仙院に向かおう。この道を進んで先で左に折れれば大仙院なのだが、その手前に「境外庭園」のようなものがあった。盛り砂(左)があったり、立ち入り禁止になっている石畳の通路があったり(右)。

大仙院は左手にあるが、このまま直進すると、真珠庵。一休禅師ゆかりの塔頭。

大仙院入り口手前には松が大きく手を広げていた。

大仙院玄関前。奥に見えるのは方丈の屋根だ。

庫裡。庫裡前庭園もなかなかのもの。

庫裡前の石畳に、不自然に「子」。訊いてみると、これは方角を示すとのこと。つまり、北ということだった。

大仙院内部を図解してみた。いつものように縮尺はいい加減。

内部は写真撮影が不可となっていたので、メモを頼りに語るしかない。

まず、山門をくぐって、庫裡から内部へ入る。庫裡から渡り廊下で方丈へ向かうが、右手に東庭が見える。典型的な枯山水庭園で、砂を水に見立てて、船の形をした「宝船」が浮かんでいる。

宝船の浮かんでいる庭の先を見ると、火頭窓ごしに蓬莱山が望める。宝船が浮かぶ水の源流は、蓬莱山にあることが分かる。蓬莱山では滝が水の流れを生みだしている。この滝という「機能」により水は澱むことなく流れていく。

ちょいと脱線するが、最近庭園を観るようになり、火頭窓というものが、ただの飾りではないと思うようになってきた。火頭窓の先にあるのは必ず庭園となっている。仏教寺院で庭園とは、それそのものが一つの世界を形成している。火頭窓は世界を切り取る機能を担っているのではないかと思うようになってきた。

さて、火頭窓が付い書院のように付いている細い渡り廊下を「透渡殿」と言う。これが、蓬莱山とのしきりになっている。

一方、方丈へと向かうと、方丈前の南庭は二つの円錐型の盛り砂があり、西南隅に沙羅双樹がある他はひたすら砂のみ。静かな大海を表しているのだとか。水は滝から生まれたが、もうここにはどっちが上で下かというような差異などは存在しない。すべてはそれぞれとして、等価値のものとして存在している。だから波なども立たず、すべてが穏やかなのだ。

また、蓬莱山で生み出された水の流れは、そのまま時間や存在のありようを意味しているのではないだろうか。一つの源より発生した存在は、流れ流れて大海に注ぎこむ。大海とは、この世界そのものを表している。つまりこの庭園は、一瞬のものではない。時間を凍らせることによって、時間の幅を表現することに成功し、存在の歴史全体を表しているのかもしれない。

ちなみに滝の周りの岩には筋や刻み、割れ目などがあるが、これらは滝のごうごうたる音を表現しているのだとか。音が結晶化しているのだ。音というのは波の進み方であり、一瞬を切り取ってしまうとそれはもう音たりえない。音は時間の幅を必要とする。だから、やはりこの庭園は、時間の一瞬を切り取って単に模写したものではないことを再確認できる。

さて、蓬莱山からの水の流れは南の方向以外に、西の方にも流れていき、井戸がアクセントになっている、これまた穏やかな北庭へと注ぐ。ここは方丈と拾雲軒と呼ばれる、おそらく書院との間に囲まれており、その名も「中海」。坪庭のような規模で「中」といっているのかもしれないし、地中海という意味で「中」といっているのかもしれない。

建物に囲まれた枯山水が地中海なら、建物は「陸地」ということになる。ということは、「大海」と呼ばれる南庭は、大海原を示していることになろう。

南庭の視線の先には壁があるが、これが世界の果てを示しているものでは決してないことになる。世界がこの中にすっぽりと収まっている、ということを示している。有限の壁で囲むことにより、世界の無限の広がりを示すという、逆説的なやり方になっていることに注目したい。

南庭の西南隅に一本だけある沙羅双樹、これが鍵を握っていそうだ。沙羅とはサンスクリットsalaで「無限遠の境」を意味する。いささか言語的に矛盾を抱えた表現ではあるが、上に述べた南庭の逆説的な意味そのものを表していよう。

部分は全体であり、全体は部分である、ということか。

さて、細かい部分に目を遣ると、面白いものが見つかった。方丈東側の軒に、丸い木の板がつるされていて、大きく「大」と書かれていた。このことを尋ねてみると、カレンダーなんだとか。30日までの月には、くるりと裏返して「小」の面を出しておくのだという。

また、方丈から玄関(拝観客がこの玄関から入ることはできない)までの石畳(石畳に降りることはできない)にも、火頭窓が付いており、そこには「漱石」という額が下がっていた。字のまま読めば「石で漱(くちすす)ぐ」という意味。

元ネタは「枕石漱水」で、「石に枕(まくら)し、水で漱ぐ」となり自然のままに生きることを意味する四字熟語なのだが、それを「枕水漱石」と言い間違ってしまった人がいた。で、その人は負けず嫌いな人だったので、「いや、これで正しいのだ、『水に枕す』とは髪を洗うことであり、『石で漱ぐ』とは歯磨きのことだから、何も意味としておかしいところはない!」と言い切ってしまった。

というわけで、「枕水漱石」というと、転じて自分の間違いを認めない強情な人のことを指すことになった。ちなみに夏目漱石がペンネームに漱石を選んだのも、自分の偏屈なところを表したということだ。

さて、ところでこの「漱石」という言葉がどうして火頭窓に掲げられているのか、という問題…。難しい。何もヒントが無いが、無理に考えれば、この言葉を掲げることで、かえって人の「ナチュラル(=あるべきありよう=自然(じねん)=自ずから然り)」に対する強情なまでの抵抗を嘲っているのかもしれない。すべてあるがままにまかせよ、ということを逆に諭しているのかもしれない。

方丈内の襖絵には、狩野元信の筆による「四季花鳥図」が。数々の鳥と自然が描かれているのだが、鳥たちの視線が不自然ということだ。キジのつがいは見つめ合っているし、松の幹にとまった三羽の小鳥は同じ方向を見ていた。これも「供視」か。彼らは心を通わせているのだ。ひょっとしたら鳥を人に見立てているのかもしれない。

以上、長々と妄想と思えるようなことをつらつらと書き連ねたが、禅が面白いと思うのは、そのものずばりを示していないことだと思う。そのおかげで自由に発想できるのだから。これが禅という仏教のゲームだと私は思う。何も示していないから、答えも無い。だから自由に作ることができる。自分が見いだした答えは、自分にとっての答えでしかない。絶対的なよりどころを外部に求めてはいけない。それこそが<答え>なのだと思う。

 

さて、これまでみてきた大仙院の内部について、質問したいと思い、寺務員がヒマになるのを待っていたが、いつまで経ってもヒマにならない。というのも、土産物売り場で大袈裟に鎮座まします僧侶が、拝観客相手に人生訓をぶちながら、握手やサイン、記念撮影などに応じていて、寺務員の手が空かなかったからだ。行列を作っていたので、だいぶ待たねばならなかった。

大仙院内部は撮影禁止のはずなのに、この僧侶との記念写真は可となっている。どういうこっちゃ。

どうやらこの僧侶は「カリスマ」僧侶らしく、テレビ番組にも出演して「人生相談」的なことをぶっていたらしい。その僧侶の後ろには、番組出演時の写真パネルなどが置かれており「出たがり」な印象を受けた。関西ローカルのようだし、だいぶ過去の番組のようだったので、私はこの僧侶を知る由もないし、興味もない。

僧侶のしゃべりとそれにたかる拝観客がようやくとぎれたので、寺務員に質問をしていたところ、ヒマになった「カリスマ」僧侶が答えだした。どうやら相当のしゃべりたがりのようだった。で、最初は質問にまともに答えていたのだが、途中から様子がおかしくなり、いつの間にか人生訓をたれるようになった。

いろんな価値観があるし、それぞれを尊重する必要もある。どう生きようとその人の勝手だが、押しつけになってしまってはいけない。独善的になっているように感じたし、そうなってしまっては、外部に絶対のものを仮定しないという禅の根底から外れてしまっているように感じた。

私はテレビに出演するような僧侶が嫌いなわけではない。押しつけ気味な説教が気に入らないだけだ。

その「カリスマ」僧侶は、握手もサインも求めず、ひたすら大仙院のことだけを質問しに来た私を訝しげに見ていた。

「自分が望むことを他に施せ」というのはキリスト教の教条だが、私はこれをお節介主義、悪しきパターナリズムと感じている。何が善かは人ぞれぞれなのだから、一つの価値観を押しつけるのは迷惑以外の何者でもない。こういったことを、いやしくも禅僧たるものが実行してしまっているのが情けない。

また、こういった僧侶に群がる大衆も救いがたいとしか言いようがない。宗教は「癒し」なんかではない。受け身という都合のいい立場でいるのではなく、自ら決意し望んで努力していくのが、本当の宗教なのではないか。かりに「救い」があるのだとしたら、その努力の先にあるのではないかと思う。

私は何の宗教にも帰依しないし、どんな宗教的行為も無信仰の立場で対処する。よく、お守りを買ったり、賽銭を投げたり、さらには効き目がないからといって文句を言う人がいるが、どうにも救いようがないように見える。それらの宗教的行為は、全て本人の本願に対する決意を示すこと以外の何者でもないし、努力もせずに、それが成就しないからといって、寺社に文句をたれるのは責任転嫁、八つ当たりでしかない。

何をするにも主体は本人でしかない。そこに神仏が介在することは一切ない。かりに本願成就を願う人の立場になって、神仏が実体のあるものと仮定したとしても、絶対的な存在にとってそんなどうでもいいこと(諸々の祈願)に力を貸すことはありえないのは当然のことだ。成就しなかったのは、単に努力が足りなかったからだ。こんな明快で誰でも分かることが理解できない人がたくさんいる。それを認めようとしないのは、逃避でしかない。「癒し」とは単なる現実逃避だ。少なくとも仏教は現実から逃避することを奨励する宗教ではなかったはずだ。

大仙院はせっかく「絶対的なものを仮定してそれに拠るな」ということを全体で示しているのだが、上記のようにそこの僧侶も、訪れる人もそれを全く自覚していないのが悲しい。

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