千五百羅漢

 さて、地獄のぞきを経て次は千五百羅漢です。普通羅漢というと五百です。十六もありますけど。中国に八百羅漢があって、それを凌駕するのがこの千五百羅漢。うーん。はりあっているのは恰好悪いけど、数が多いのは僕にはたまらんね。

 わかるだろうか。右上。首がない。明治期の廃仏毀釈の際に切り落とされたのだ。だいたいの羅漢像が首を切り落とされていて、今首のある羅漢像は後にくっつけられたもの。なんだか悲しいね。僕に信心はないけど、わざわざ首を切ることはないと思う。

 羅漢像の楽しみはその豊かな表情と数にある。いろんな羅漢がいる。ほほえんでいる羅漢、ひょうきんな羅漢、悲しんでいる羅漢、怒っている羅漢、そして首のない羅漢・・・。無言の叫びがきこえてきた。なんかコメントが僕らしくないね・・・。千五百羅漢を見ている間は、多分僕の口数は少しだけ減っていたと思う。

 首の無い仲間を側にして彼らは何を思っているのだろうか。ほほえみの中に限りない仁愛を感じた。中段の2人の羅漢は何かを話し合っている。

 この寺は復興の為に寄付を呼びかけているが、この千五百羅漢だけはこのままにしておくべきだと思う。・・・らしくないなぁ。センチメンタリスムに浸ってしまう。


途中こんな切り通しがある・・・


逆側から見たら実は山門風味になっていた。「二天門」。両側に仁王が立っている。


首だけが置かれた羅漢も・・・。痛々しい。


羅漢が配置されているのはこんなところ。浸食によってできた窪みに配置しているのだ。


両側の友を失った仏は今何を思う?

 一番印象に残っているのがこの羅漢。なんとか首は繋がっているものの、手を失っている。苦悶の表情と浮かび上がったあばら。なんだかこの柵が檻のように見えてきた。

 しかし、思ったのはこれら羅漢の強さ。腕を失おうが、首を失おうがずっと静かに、しかし力強くどっしりと座っている。ある種の恐怖まで感じた。鬼気迫るものがある。『火の鳥』の我王を思い出してしまった。鳳凰篇は何度読んでも涙が出ます。

 これが「汗かき不動」。悲愴感漂う中にもこういう清涼な笑いを提供してくれる日本寺に感謝。「汗かき」って。・・・でもね、この不動明王、剣を取られているのです・・・。

 
こんな感じで羅漢が敷き詰められております。


邪鬼が力強く感じます。なんだか邪鬼も一緒になって頑張っている感じがする。


その下には首をつけようとも首を完全に消失してしまった羅漢たちが無言の叫びをあげている。

 

 これが奥の院。どの仏も首刎ねを免れることができたようだ。まさに奥の院。何か語り合っているようだ。踏みつけられている邪鬼も加わって。何だかだんだん『見仏記』っぽくなってきたけど、大丈夫か?


奥の院に向かう途中にはこんな石のトンネルがある。


中には小石で代用している羅漢も。

 これは「不動の滝」・・・らしいが、水がない。上をみるとプラスチック製のパイプが出ていた。水道水やん。悲愴感の中に清涼をありがとう!


これは「不動の滝」そばにある「天台石橋」。


またまた石のトンネル。微妙にアタマをぶつけそう。

 するとこんな札が。Heedって何?Headでしょ?「注意」って「こんな単語の間違いはしないように!恥ずかしいよ!」って意味の「注意」なのだろうか。分かるだろうか、eの上にaが書かれている。ツッコみ。これと同じ札がもう一つあった。間違いを量産してしまったのだ。


まあ、何はともあれ、凄いよね。この羅漢の配置は。

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