新薬師寺を出て、もとのバス停に戻る。寺に入る前に買って半分飲んだ水を、もう一度口に含んでむせそうになった。既にぬるま湯になっていたのである! 夏なら浴槽に入れて入ることができるくらいの水温だ。すさまじい…。

携帯で天気予報を調べてみると、今日の予想最高気温は37℃…。現在まだ10:30を回ったところ。これからもっと上がるだろうに、何なんだ、この暑さは!バス停に戻るまでの間にもう一本水を買った。

バス停には屋根がついていた。水分を含み、肌にまとわりつくような重い東京の不快な熱風とは違い、わりと軽くさわやかな風が吹くので、日陰に逃げ込めば外でも暑さをしのげる。

2つほど先のバス停に次の目的地があり、歩いて行けなくもないが、この暑さで連続で歩いたら大変なので、バスを使ってしまう。バス待ちの時間も休憩時間になるし。

さて、次の訪問先は頭塔。『法隆寺の謎』で紹介されていて、急遽予定に入れた物件である。


これが頭塔。復元したものらしいが、ピラミッドのように石を積み上げた信仰装置。『法隆寺の謎』では、これもプラダクシナー・パタの一つと紹介されていた。各段に参詣道が設定されている。他に類例を見たことがない。原初的な信仰空間という印象を受ける。

頭塔(ずとう)という不思議な名前は、どこぞの誰かさんが五体を散らせて、そのうちの一つ、首がここに飛んできたという言い伝えに由来するのだとか。首塚の一つと考えてよいだろう。

手前には見学用のものとおぼしきウッドデッキが張り巡らせてあった。どうやらどこかから入ることができるようだが、なかなか入り口が見つからない。

上の写真は、実は厚生年金飛火野荘という宿泊施設の駐車場から撮ったもの。あまり長くいると施設の人から出て行けと言われそうだったので、すぐに立ち去る。

少し周辺をぐるぐると回ったが、それでも入り口が見つからない。バスの時間が来たので諦めた。

帰ってきてから調べたところによると、近所の表具屋さんが鍵を管理しているとか。200円で見学が可能とのこと。調べていなけりゃ絶対分からないなぁ。調査不足だった…。

バスで一旦近鉄奈良駅へ。ちなみに、どうでもいいが、奈良の若者は近鉄奈良を「近奈良」と略すらしい。キンナラ。二十八部衆にもそんなのがいるなぁ。般若寺行きのバスに乗り換え。到着までまたまたしばらくの休憩タイム。

 
般若寺の楼門。なかなか立派だ。楼門から一直線に、石塔が見えた。ただここからは入れない。迂回して寺域に入ることになる。西向きなので正門ではないようだ。回廊の遺構というので、おそらく他に南向きの正門があったに違いない。

入り口近くには牧場があり、牛の糞の臭いが立ちこめていた。売店ではここの牛乳を使った乳製品を販売していて、なかなか美味しそうだったが、買ったとしてもこの暑さではすぐに悪くしてしまいそうだったので諦める。

受付のそばには蝉が入ったかごを持った子供がいた。近所の子がうろうろしているのかな? と思ったら、受付の方はこの子のお母さんだった。パンフレットとともに、筋雲の流れる秋空の下、石塔とコスモスを撮したポストカードを貰った。


ここの本堂の入り口でも、年配の女性たちが座りこんで休憩していた。


ここも花の寺。やたらとそこかしこにコスモスが植えられていた。境内が一つの大きな花壇のようになっていたが、まだまだコスモスは小さく、土が目立ち、この季節は少々暑苦しい感じ。日陰もなく、さわやかな寺という印象は無かった。

石塔の四面にはそれぞれ、北弥勒如来、東薬師如来、南釈迦如来、西阿弥陀如来と書かれ、東には小さな薬師如来像が安置されていた。

さて、本堂内中央の厨子内に安置されているのは、剣を持った八字文殊菩薩。獅子に乗っている。獅子は少し左を向いて睨みをきかせている。

八字とは種字の数のことらしい。他に一字、五字、六字などがあるという。真言の長さに合わせてヴァージョンが違うのだろうか。もしくは八髷文殊菩薩とも呼ばれるらしく、よく見ればお団子のような髷がある。真言の字数と髷の数が対応しているようだ。

さらには、調べたところによれば一字は増益・安産・雨乞い、五字は和合・親睦、六字は滅罪・調伏、八字は息災の修法の本尊となるそうだ。

奈良から帰ってきて、たまたま網野善彦『異形の王権』(平凡社ライブラリー)を読んでいたら、般若寺の文殊菩薩像についての記事があり、そこではなかなか面白い論考が展開されていた。

般若寺の文殊菩薩像を造像したのは、西大寺系の僧で後醍醐天皇に重用されていた文観であり、像には「金輪聖主御願成就」との墨書盟があるという。「金輪聖主」とは後醍醐天皇を、「御願」とは第一次倒幕計画を指すのだという。(西大寺には明日訪問することになる)

とすれば、なかなか面白い。インドでは、仏教の大施主として世俗権力を握る理想的帝王のことを転輪聖王(チャクラヴァルティラージャ)という。さらにシナ大陸では、ゲルクパ(チベット仏教の一セクト。ダライラマのセクトと言えば分かりやすい)の大施主としてふるまう清朝皇帝が、ダライラマ政権より転輪聖王の称号を奉られ、同時に文殊菩薩の化身として認定されている(ちなみにダライラマは観音菩薩の化身)。つまり清朝皇帝は、文殊菩薩の持つ智慧と、剣に象徴される力を兼ね備えている理想的帝王である、という意味が込められているわけだ。

さて、転輪聖王には金輪聖王、銀輪聖王、銅輪聖王、鉄輪聖王の4つのランクがあり、中でも金輪聖王は4つの大陸を支配する。金輪聖王は動かずとも周辺の諸王が自ら投降するといい、銀輪は出陣しただけで、銅輪は布陣しただけで、鉄輪は武器を振り上げただけで諸王が投降するのだという。つまり戦争をしなくても世界を征服できる徳力を持った帝王が、すなわち転輪聖王なのだという。

おそらく、後醍醐を指すという「金輪聖主」は、転輪聖王の中で最もランクの高い金輪聖王の同義語であろう。アジアレベルで、転輪聖王思想が共有されていたとするならば、文観の造像した文殊菩薩は、仏教世界における理想的帝王としての後醍醐を象徴しているのではなかろうかとの推測が成り立つ。

さらには、獅子の向いている方向にも、特別な意味が込められているのではないか。文殊菩薩が南面しているとすれば、獅子の向いている方角は東、つまり鎌倉の方角であり、ここには倒幕成就の願が込められているのではないだろうか。

ちなみに、文殊菩薩の化身として認定された乾隆帝(清朝の最盛期を治世)については、僧形の肖像画が残っている。いっぽう後醍醐天皇についても、袈裟を纏い金剛杵を持つ肖像画がある。

後醍醐の「御願成就」のために文殊菩薩を本尊としたのには、以上のような特別な意味があったのではないかと思われるのだ。もし「八字」ではなく「六字」であれば調伏の本尊ということになり、ますますこの説を補強する材料となるのだが…。

なかなか勇壮な獅子だ。獅子の逞しい表情は、後醍醐の決意を表しているのではないだろうかと、今ではそう思う。

さらにアヤシイ議論を続けるならば、文観、その名も気になるところである。これは文殊と観音から一字ずつ取った僧名であり、言葉遊びのように、他に殊音とも名乗っていたという。ここからは、文観に聖俗どちらの世界にも君臨しようとする志向があったとみることもできる。事実、彼は僧籍でありながら武器を取って戦を好んでいたというし、さらには東寺の長者にもなっている。

さて、寺名の「般若(プラジュニャー)」は「智慧」を意味する。文殊菩薩にふさわしい寺名だ。ちなみに文殊菩薩の司る智慧は、知識が豊富という意味ではなく、理性的な判断ができるという意味で、まさに悟りの智慧(=般若)のこと。蛇足だが、知識が豊富なのは虚空蔵菩薩(=アーカシャガルバ「無尽蔵(の知識)」という意味)のほうで、空海は記憶力増進の「求聞持法」を修している。


厨子向かって右に不動明王。江戸作だろうか、炎が3Dだ。


不動明王の他には四天王の像もあった。肌が緑色。袖が風に吹かれていてかっこいい。手前の小振りの像は文殊菩薩か。他に、厨子向かって左には空海像があった。


バス停までの間にこんなものを発見。かわいいぞ。

既に正午を過ぎている。17時までの間に、あと9ヶ寺を回れるだろうか。再びバスに乗って近鉄奈良駅へ、と思ったら、来たのが次の訪問先である大安寺行きだったので、直で行ってしまう。


途中転害門(てがいもん)の前を通過。この辺りの町名は手貝町となっていた。


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