が、東福寺駅へと戻る道すがら見つけてしまった。
だが、今回様子が違う。「尺八奉曲」とあり、つまり尺八の全国演奏会が行われているということだった。しかも、門左手に立っている黒板には「求聴随意」とある。「聴きたいならご自由にどうぞ」ということだ。
いつも気にはなっていても、通過してばかりのこの寺だが、今日はついに中に入れるのだ!
そういえば今朝、和装の人が自分と一緒に東福寺駅で下車し、一緒に東福寺境内へと入った。あの人も尺八の演奏家だったのだろう。
山門にはスピーカーが置かれていて、中のライブ演奏をそのまま聴くことができる。この山門を通過する人も、この演奏が聴けるようにとの配慮だ。
入ってすぐの堂宇の奥では、尺八の演奏を待つ人が練習していた。競争ではないが、やっぱりいいものを聴かせようと思っているのだろうね。
おそるおそる玄関に入ると、寺務員が「どうぞどうぞ」と促してくれた。演奏プログラムを取り、座敷に入る。
三重奏が行われていた。おそらく仏前なのだろう。だから競争なのではなく、発表会でもなく「奉曲」なのだ。
初めて見る明暗寺の内部。ところどころにやはり禅宗、といったものがちりばめられている。
まずは達磨の掛け軸。
さらに「吹禅一如」といった、普化宗の神髄を書いた額も。普化宗では座禅をしない。ひたすら尺八を吹く。というのは、普化という宗祖が、切断された竹が、風が吹いたときに立てた音によって俄に悟ったことに起源を発する。
ここの襖絵にも見つめ合った鳥たち。
三重奏が終わり、次に出てきたのはマーサ・ファブリックという演奏家。演奏プログラムを見ると、半分が外国人なのだ。周りで聴いている人たちにも外国人が居る。ファブリック師が演奏しているのは「鶴之巣籠」。おそらく鶴の鳴き声を模したと思われる、ビブラートなどが巧みに演奏され、尺八の表現力の豊かさに驚いた。いいなぁ、尺八。
演奏が終わっても拍手はない。なぜなら、ただひたすら吹くというのが目的だからだろう。道元に「修証一等」という言葉があるが、同様に吹くということそのものがすなわち悟りということなのだろう。だから巧拙は関係がないのだ。吹いている姿、そのものが仏、如来なのだということだ。
貴重な体験をした。しかもこの明暗寺が今日一般公開されているということは、事前に全く知らなかったし、全くの偶然だった。
ありがとう、明暗寺! 良かったよ。
東福寺駅に向かう途中、自主的に吹いている方に出くわした。白い装束ということは、おそらく女性なのかもしれない。失礼かと思ったが、貴重な体験なので撮らせていただいた。
霊源院。内部非公開の寺だが、山門正面に立った時に真ん前に見える寄り添い地蔵が可愛かった。何でも覗いてみるもんだ。
さて、次は東山。バスで移動するか。
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