謙壽陵,執謙殿,陪陵,思陵
11:30,まだもうちょっと見学が続く。暑い…。
流謙湖に繋がる水路のどん詰まりに謙壽陵が建つ。謙壽陵は当初の建築計画にはなく,後から付け足されたものである。右写真は謙壽陵から水路の方を向いて撮ったもの。水位はだいぶ低い。降りていけるように階段がある。
華表柱も小振りながら対になって存在する。
拝庭は全部で五段。しかしあっさりとしており,すぐに石室へと向かう門が見える。
門の先には装飾性の高い屏風。龍ではなく,皇后を暗示する鳳凰が対になっている。カイディン帝の陵と同じように,陶磁器によって装飾されている。
屏風と門を裏側から。
そしてその背後には石室。この石室はタインホア産の石を使っている。そしてその背後にもまた屏風が二重になっている。また,トゥドゥック帝の陵と同様,壁が二重になっている。
続いて陪陵Bối Lăng。陪陵も当初の建築計画には無かった。ここに祀られるのは,廟号を簡宗Giản tông,紹德志孝淵睿毅皇帝Thiệu Đức Chí Hiếu Uyên Duệ Nghị Hoàng Đế と諡号されたグエン朝七代皇帝建福帝(キエンフック帝)Hoàng đế Kiến Phúc(阮福昊Nguyễn Phúc Hạo,1869-1884)である。堅太王阮福洪侅の子であり,トゥドゥック帝の養子のうち最年少だった。
キエンフック帝は在位たったの半年であり,先代の六代皇帝協和(ヒエップホア)帝Hoàng đế Hiệp Hoàが権臣によって在位4ヶ月にして毒殺された後,15歳で即位したが,権臣の意志に反する処分を降そうとしたためにまたもや毒殺された。このような経歴があるため,独自の陵は造営されず,養父であるトゥドゥック帝の陵に造られたのである。陪陵とは「あわせて造られた陵」の意味であり,特別な意味を持つものではない。
陪陵は小振りながらも,寝と陵に分かれている。まずは寝部分。階段はよく残っている。
ただし,その上は廃墟然としている。かつては瓦家が建っていた。
瓦家から回廊が接続されているが,全て廃墟となっている。ちなみに先に歩いている男性がチュンさんである。いかに細いかが分かると思うが,チュンさんだけが細いのではない。
回廊で繋がっている殿宇は執謙殿であるが,内部にはキエンフック帝の位牌が祀られている。チュンさんから靴を脱ぐように指示された。
執謙殿の背後には壇があり,かつては上に彌謙楼なる殿宇があったが,現存しない。
壇の上には,後付けのような基礎が置かれているだけ。右写真は背後から撮った執謙殿と回廊。
執謙殿から降りる階段。短命の皇帝の陵ではあるが,龍がほどこされており,ちゃんと皇帝扱いされていることが分かる。
次は陪陵の陵部分。三段の拝庭がある。ここも廃墟然としていて雰囲気がいい。
陵部分の階段も龍があしらわれている。
あっさりとしていて,すぐに石室へと到達できる。ただし,しっかり二重の壁になっている。
陪陵の寝と陵部分は階段が共有されている。奥が寝で,手前が陵である。
陪陵の陵の前の水路。ここにはかつて循謙橋が架かっていた。
帝廟の東側の門,自謙門か。帝廟内には松が植えられており,とにかく松葉の掃除が大変そうだった。
巨大な屏風が外城の一部となっていた。
流謙湖にかかる冲謙榭。榭とは地と水場の両方にかけて建つ建物のことである。
11:50,これでようやく謙陵は終了。ここで当初の予定の倍,1時間以上もかけてしまった上,非常に疲れた…。暑い…。
iPhoneで写真をばしばし撮っている私が気になったようで,チュンさんは一体どんなアプリを使っているのかと尋ねてきた。パノラマ合成ができるphotosynthというアプリを紹介してみた。無料だと伝えると食いついてきたので,是非ダウンロードしてみてくださいと言っておいた。
奥さんが入り口付近の土産屋で水とジュースの二本買っていた。屋外なのに冷蔵庫があるのが凄い。…うーん,さっきから疑問なのだが,陵内のこういった土産物屋というのは特別な許可を得て営業しているのだろうか。
トゥドゥック帝廟の入り口はまだ大混雑状態。ドライバーが車を回してくるまで少し待たねばならなかった。
次はドンカイン帝廟Lăng Ðồng Khánhは,廟号を敬宗Cảnh Tông,弘烈統哲敏惠純皇帝Hoằng Liệt Thống Thiết Mẫn Huệ Thuần Hoàng Đếと諡号されたグエン朝九代皇帝同慶帝Hoàng đế Ðồng Khánh(阮景宗Nguyễn Cảnh Tông,1864-1889)の陵墓であり,正式名を思陵Tư Lăngという。
ドンカイン帝廟はトゥドゥック帝廟から500mも離れていないので到着はすぐ。トゥドゥック帝廟はあんなに騒がしかったのに,少し離れただけで急に静寂に包まれた。
しかしこの有様。まだ修復工事中のようだ。出発前に調べて,2012年4月から公開開始とあったような気がしたのだが…。思い違いだろうか。そういえば,ティエウチ帝廟も2012年4月から公開開始とあったような…。ベトナムでは時間が遅く流れているのだろうか…。
なんとか見学したかったのだが,入り口が見つからない。チュンさんも一緒になってなんとか見学できないかと調べてくれたが,無理のようだった。仕方がない。
【注】
その後再訪に成功した。