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アンコール遺跡・フエ阮朝史跡巡覧 2014年7月12~17日

育徳帝廟(安陵)・墓

An Lăng

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育徳帝廟(安陵)・墓

次の目的地は安陵。育徳帝が祀られているため育徳帝廟と呼ばれる。これまで巡ってきた陵墓とは違い,バイクがけたたましく走る街中に位置する。そのためニンさんも場所を知っているはずだと思い,疲労もあったので車のシートに身を埋めてぼーっとしていたら,ニンさんはおもむろに「安陵はどの通りにあるのか?」と訊いてきた。

偶然覚えていたので「ズイタン」と答えたところ,ニンさんは「ユイタン? ユイタン通りなら分かるぞ。大丈夫だ」と言っていた。ズイタンとは「維新」のベトナム語読みでduy tânと書く。ベトナム語では普通「ズイタン」のように発音され,ガイドブックや関連書籍,さらには歴史研究書にもそのカナ表記がなされているので驚いた。

嘉隆帝の嘉隆gia longも一般的な発音・表記である「ザロン」ではなく「ヤロン」だったので,日本語のザ行に近い発音はフエ方言では全てヤ行に置き換わるのだろう。自分ははっきりと「ズイタン」と言ったはずなのに,ニンさんは「ユイタン?」と復唱した。フエ方言の話者にとり,ザ行の発音は存在しないのだ。これは英語のthに相当する発音が日本語にないため,日本語話者がそれをs/zの音にしか聞こえないのと同じである。

同様に,育徳Dục Đức「ズクドゥク」も同様にフエ方言では「ユ」と発音され,ニンさんも「ユクドゥク」のように発音していた。やはり地図よりも通りの名で伝えた方がベトナム人ドライバーには通じるということもよく分かったのだ。

17:04。5代目皇帝である育徳Dục Đức帝の陵墓,安陵に到着した。ニンさんはやはり初めて訪問した様子。2年前に訪問した時には寝部分しか見学できなかった。帰国後に他の方の訪問記を拝見したところ「寝の裏側に出入り口があり,そこから墓へとアクセスできる」ということを知り,今回挑戦してみることにした。写真の扉は閉まっていたが,他の門から中に入ることができる。

まず安陵の寝部分。寝は西側を向いて建っている。これは寝の北側。写真の右手奥にある門をくぐると寝の殿宇隆安殿にアクセスできるが,2年前に既に訪問しているので,情報を頼りに「寝の裏側」へとアクセスしてみる。写真の左手(つまり寝の東側)へ。

寝の東側に位置する門。寝との間には屏風がある。一見して門の扉は閉まっているように見えた。ここではないのだろうか…。時間的にここが最後にするほかないし,後のことを考えなくて済む。落ち着いて安陵をぐるりと回って調べてみるか。

隆安殿の方へと回り込んだ。隆安殿から北に延びる石畳の通路と門。この門の外が,先ほど閉まっていた門。

墓部分は寝部分の南に位置していることは衛星写真などで分かっている。ただ,寝部分は壁で囲まれているし,南側に位置する門の扉全てが閉まっている。

寝部分を囲む羅城の一部には,わざと墓部分を覗けるようにしているのか,レンガ一ブロック分開いている。壁の向こうにあるのがまさに墓部分で,寝部分から道が延びていることが分かる。が,この道に行き着くにはいったいどうしたら?

諦めて隆安殿を東南方向から撮る。

隆安殿を反時計方向に回って出ようとしたら,先ほど見た隆安殿の背後の門がまた目についた。いちかばちかだと思い,閉まっている扉の方へ行ってみると,木製の扉にはカギがかかっていなかった。押すと簡単動いた。これは…。

扉を開いてみると,右手つまり南方向にかなり狭い獣道のような通路がある。南方向というと墓に向かっている…。

とりあえず外側から裏手の門を撮る。既に17時を過ぎている。隆安殿に附属する建物には管理人が何人かいるので,もしかしたらここを閉めに来るかもしれない。ただ諦めるのも嫌なので,急いで墓部分を見学しよう。

獣道を抜けると広場に出た。向こうに見える城壁が墓の羅城だ。よし! 急ごう! 寝部分の東側の羅城に沿って獣道を南下すると,今度は南側の羅城に沿って東方向へと道が延びている。

寝部分の南側に位置する門。この門から墓へと延びる道をのぞき見した。普通はこの門をくぐって墓へとアクセスするのだろうが…。

先ほどのぞき見した道に沿って墓へと急ぐ。右手の民家から子どもがこっちを見ていた。飼い犬がかなり吠えていてやかましい。

墓部分の手前にぽつんと立っていた墓。急いでいて碑文を読む暇がないので写真を撮って後で読もうとしたのだが,文字部分の彫りが浅く,ほとんど判読できなかった。「*南圻致奉*****寝」?

そのさらに先に小型の2つの墓が並んでいた。右手の羅城は墓部分。したがってこれらの小型の墓は安陵の墓部分の北に位置している。

まず手前,北側の小さい墓。囲みと祭壇のようなものがあり,背後には屏風がある。文字資料はなく,誰のものかは不明。

そのすぐ南側に附属する墓。これも詳細不明。

さてこれが墓部分の全貌。内部にはひときわ高い門とその奥に位置する,おそらく宝城が見える。

隆安殿と同様に東を向く正門は閉まっていた。内部の門をズームで撮っておく。正門の左右には屏風がある。

正門に隠れて内部の門は見えないが,その左右に2つの屋根が見える。小さな門が存在しているようだ。とりあえず正門以外に門がないか,羅城を反時計回りに見てみる。

地面はくるぶしの上まで背丈のある草で覆われているが,人が踏み固めたであろう道がうっすらとあるので,それをトレースして歩く。羅城の西側,つまり正門の反対側まで来たが,門は発見できなかった。左から正門,中の門,宝城,中の屏風,外の屏風と一直線に並んでいることが分かる。

ぐるりと一周したが,正門以外に門はなく中に入ることは適わないので,北東方向から中をズームで撮ってみた。内部の大きな門と宝城の間に中くらいの門があることが分かった。

手前には華表柱。これ以上ここにいても仕方ないし,ひょっとすると扉を閉められてしまうかもしれないので,急いで戻った。

一通り見学し終わったので車に戻ろうとすると,どこかから「hey!」との声で呼び止められた。振り返るとニンさんがduy tân通りの向かいのお店で食事を摂っていた。近づいて同じテーブルにつくと「何か食べるか? 飲むか?」と言われたので,ニンさんの遅い昼ご飯であることに気づいた。「要らない」と言ってしばらく付近を探索することにした。ニンさんの目の前で座っているのも,急かすようで悪い。ゆっくり食べて欲しかったので,彼が食べ終わるまでうろうろした。

昼ご飯を誘って一緒に食べれば良かったかと後悔した。ニンさんはこの時間まで昼ご飯を我慢していたのかもしれない。

画像は安陵の隣の墓地にある10代目の成泰Thành Thái(タインタイ)帝の陵墓。かなり小さい。本当は近づいて撮影したかったのだが,墓地の入り口に鍵がかかっていて入れなかった。タインタイ帝廟が小さいのは,タインタイ帝がフランスに抵抗したため,譲位させられてレユニオン島に流されてしまったから。

同じ敷地には11代目の維新(ズイタン)Duy Tân帝の陵墓もあるはず。ズイタン帝も同様にフランスに抵抗したため,父のタインタイ帝とともにレユニオン島に流された。

いくつかそれっぽいものはあったが,遠くてよく分からなかった。

まだニンさんは食事中なので,まだ外から見ていない安陵の正門を見た。どういうわけか正門の回りは鉄線で囲まれて入れない。おそらく正門前に屋台などが出店されてしまったり,バイクの駐輪場になってしまったりすると困るからなのだと思う。

そろそろかな? と思って車の方を見てみると,ちょうどニンさんが乗車するところだった。食事が終わったようなので戻る。


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