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フエの陵墓・王府祠堂巡覧 2015年3月6~10日

名称不明の墓

Chư Công

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名称不明の墓

ミンマン帝廟から3年前に訪れた基聖陵を過ぎ,昌陵(ティウチ帝廟)の方へと移動。

次に訪問するのは,Wikimapia上で「phế tích Lăng "Chư Công"」という名前で登録されていた場所。登録されていた写真には,いくつかの墓が写っていた。ただし,それ以上の説明はなかった。phếは「廃止する」(「廃」のベトナム音読み),tíchは蹟のことだろうか。Lăngは陵なので,皇帝一家の墓に関するものかと目星を付けたのだが,Chư Côngの意味がよく分からない。

2016年1/22現在,Wikimapiaから「phế tích Lăng "Chư Công"」の設定は削除されてしまっているが,そこに登録されていたと思われる写真は,ここで確認できる。門と屏風があるので,やんごとなき人々の墓地だということは分かるのだが,それ以上のことは分からない。複数の墓が存在すると言えば,慈孝寺内にある宦官たちの墓地を想起するが,門はあれど屏風はなかった。

道が合流するポイント手前の,道に挟まれた箇所にある領域がChư Công。長方形の囲いがあるのが分かる。

10:15。Wikimapiaが指し示す場所に行ってみると,上のサイトで確認できる写真とはおよそ違ったものがあった。ちょうど目の高さほどの壁に囲まれている。このあたりは土が乾燥しまくっていて,地面を踏むと砂埃がたちまち舞い上がる。靴がすぐに土で染まってしまった。


ただし門とその先に屏風があるのは一致する。上の写真で見られるものを新しく造り直したという感じがする。崩壊してはいたものの,創建当時のレンガなどが積まれていて風情があったのだが,それをそっくり除去して真新しいコンクリートで造り直すというのはどういうことなのか…。


中には入れないので,門の柵からレンズを出して屏風とその先の光景を撮ってみた。かろうじて墓石が見えるが,膝上くらいの丈ほどもある草で覆われていて,まったく分からない。上のサイトで確認できる写真では,崩壊していても内部は綺麗に管理されていた。コンクリートで「綺麗になった」のかもしれないが,内部の管理はまったくされていない。


ユンさんに「これ,何だ?」と訊かれてしまったが,苦笑して「…いや,分からない…」と答えるしかなかった。やんごとなき地位の人の墓であることは確かだと思うのだが,周囲には全く文字資料がなく,得るものは無かった。

日本でも測量に使う境界管理用の小さな柱のようなものがあったので,そこに乗ってみると中の様子がよく覗えた。でもやっぱりよく分からない…。

きょとんとしているユンさんに「…次に行こう」と促し,立ち去る。

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