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フエの陵墓・王府祠堂巡覧 2015年3月6~10日

長延陵

Lăng Trường Diên

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長延陵

フエ2日目の朝。6時起床。早い時間だが,昨日相当の早寝をしたので睡眠時間はたっぷりだ。

6:30,朝食のために1Fのレストランに赴いたが,当然ながら自分以外にまだいない。そのうちやってきた西洋人は,普通のアメリカンな朝食を摂っていた。

朝食は無料サービスになっているが,ハノイで泊まったホテルと同様にメニューから食べたいものを注文する形式。そこでフォーを注文。朝はやっぱりフォー。牛肉はハノイで既に食べたので鶏肉とした。ジュースはバイキング方式,というかセルフサービスで持ってくる。飲み放題。

フォーを注文したら,ウェイトレスに「それだけ?」と言われた。実際ちょっと足りないと自分でも思うが,おなかいっぱいにしてもツラくなると思ったので,これだけにした。

今日は車をチャーターして,オーダーメイドの行程で回ってもらう。昨年担当してくれたドライバー,ニンさんが親切で,かつ英語ができるので名前を確認し,指名した。観光客が訪れないような陵墓ばかりを見て回るため,地図で場所を確認しながら粘り強く探してくれた。言葉が通じないと相談すらできないため,今回も彼にドライバーを担当して欲しかったのだ。

いったん部屋に戻り身支度を調えてロビーでニンさんを待つ。昨夜お世話になった男性スタッフが待機していたので,「おはよう,昨夜はありがとう」と改めて感謝の意を伝えた。ホテルスタッフが「もうそろそろ来るよ」と伝えてきた。

ニンさんは6:55にホテルにやってきた。約束は7時だから,5分前行動。ベトナム人は一般的に時間にルーズだが,外国人旅行者を相手に商売している人は時間にシビアなようだ。顔を見るなり「また会えたな!」と言ってきて握手した。彼も私を覚えてくれていたらしい。たぶん自分のような客は初めてで印象深いんだろうな。昨年,ホテルスタッフからはニンさんと名前を伝えられていたが,それはニックネームで本名はユンdungさんとのこと。

ベトナム語にはđとdの子音の別がある。コンピュータ環境ではそれらの違いをなくし,一律dで書き表すことがあるが,それらの発音は全然違う。ホテルスタッフからメールでdungと伝えられていたが,これではđとdのどちらなのか分からなかった。もしđだと[d]の音なので「ドゥンさん」となるが,素直にdだと解すると[z]に近い音となるので「ズンさん」。しかもフエ以南だと[j]の音に訛るため,「ユンさん」となる。そこで「君の名前は『ユンさん』かい?」と訊いてみたら,そうだという返事。今後はニンさんではなくユンさんと呼ぶことにした。

なお北部ではdungは「ズン」という発音になる。フエ以南では「ユン」となる。ベトナムの伝統衣装をアオザイao daiというのは周知の事実だが,それはあくまでハノイでの発音であり,フエ以南では「アオヤイ」となる。

早速車に乗り込む。ホテルのボーイは後部座席を開けてくれたが,前回と同様に道に迷った時に相談しやすいので,助手席に乗ることにした。前回も作ってきた行程表をユンさんに渡し,まずは打ち合わせ。行程表と地図をにらめっこし,「まずはミンマン(=明命帝廟)の方に行けばいいんだな」ということになった。今回の行程表には,各陵墓に誰が埋葬されているのかを英語で書いておいた。行くだけなら全く意味のない情報であるが,ドライバーのユンさんが一緒に付いてきてくれる人だということが分かったので,彼のために書いておいたのだ。陵墓はどれも大して変わり映えしない。ユンさんも誰が埋葬されているか知りたいだろうと思い,そういう情報を付け加えておいたのだ。しばしの打ち合わせ後,ホテル前を出発した。

この日が女性の日であることは知っていたので,会話のネタとして「女性の日か」と訊ねると,男が花を買って女性にプレゼントする日とのこと。なるほど,街なかにはアレンジされた花を売る女性が並んでいて,ユンさんが指さしてくれた。ツアーが終わったら,どこかの店に立ち寄ってもらい,女性ホテルスタッフ全員のために一つ買って帰ろうかと思った。

まずは郊外の河の向こう岸,ザーロン帝廟のある方面へと向かう。今回は迷わないよう,所在地として通りの名を調べて併記している。

現時点でフエの気温は21℃。半袖,七分丈のズボンという格好では車内の冷房が寒く感じられるが,昼過ぎあたりに31℃まで上がるらしい。去年7月に訪れた時は36℃,体感で40℃くらいまで上がったので,それに比べればだいぶ動きやすいと思う。しかしユンさんに「昨年より涼しい」と伝えると「だけど朝のうちだけだ。昼になれば暑いぞ」と。まぁ暑いのは暑いんだろうけど,その暑さが全然違うじゃないかとつっこみたくなった。多分ベトナムの人は天気予報を見たりしないから,数字という客観的な差異をあまり認識しないんだろう。日本人はなまじ数字を見るから暑いとか涼しいとか感じちゃうのではないかな。

なおユンさんに「昨年より涼しい」と比較級で伝える際,it's more cool than last yearとブロークンな英語に合わせて言ってみたら見事にすんなり理解してくれた。ユンさんはなぜかhaveを多用する。動詞の前に付けるが,動詞は過去分詞にならないので完了形とも違う。まぁそれでも通じてしまうから問題はない。なおベトナム語には動詞に時制変化がない。

ホテルから20分でミンマン通りに出た。ここからミンマン帝廟方面へと走る。気温差が激しいからか,山には朝霧がかかっていた。

私はまず橋の向こう側の細かい陵墓を巡るつもりで,行程表にはそれらを最初に書いておいたのだが,ユンさんは橋の手前の小さな陵墓を先に見に行くという。よく考えればその方が効が良いので従っておく。

まずは長延陵Lăng Trường Diên。三代目の阮主阮福瀾Nguyễn Phúc Lanの陵墓だ。ユンさんは最初「去年行ったところだよな。もう一度行きたいのか」と逆の方向へと向かおうとしていた。どうやら長衍陵Lăng Trường Diễnと混同しているようだ。どちらも通常のラテンアルファベットで書くとlang truong dienとなるので,紛らわしいかとは思うが,ベトナム人が混同するとは驚いた。元の漢字で書けば全く違う。それに地図を見せているはずだから間違うはずないと思っていたのだが,やはりベトナム人には地図を見る習慣がないようだ。どう説明してやればいいか難しかったが,とにかく道を間違えていることを伝え,指示通りに行ってもらった。

ユンさんに「ベトナム人は地図を見ないのか?」と訊いてみたらやっぱりそうだという。笑って答えていた。今回もユンさんは悪戦苦闘だった。分かっているのかなと思っていたら,実際に指し示す方角が正反対でずっこける。

google mapsの衛星写真にはしっかり陵墓が映っているのだが,実際には高低差があるし,しかも周りに木々が生えていると,そこに陵墓が隠れてしまい,存在がよく分からなくなる。しかも日本のように丁寧に案内板があるわけではない。多くの陵墓はろくに管理されておらず,観光資源となっていないのだ。観光のための遊歩道もなく,見学には苦労する。ただ,これらの陵墓も世界遺産に登録されていると思うので,まだまだ管理が行き届いていないだけのこと。今後整備していくものと思われる。それを早めるにはベトナムが経済発展するか,あるいは国外の協力を得るしかない。フエが世界遺産に登録されたのは1994年で既に20年が経っているのだが,まだこの有様だ。このスピードだと,全ての遺跡を整備しきるにはおそらくあと数十年かかるだろうな。

7:25。おそらくこの辺りに長延陵があるだろうというところで細い道に入ってもらうと,陵墓の羅城が見えてきた。陵墓探しの苦労はユンさんも昨年経験しているので,陵墓を見つけた時は2人で歓声を上げた。大通りからは30mくらいしか離れていないが,高低差があった。しかもやはりまともな道がなく,伸び放題の草花をかきわけて進むしかない。それらの草花の中には,種を撒き散らすために服にくっつくものがあり難儀した。それと朝露が残っているので服が濡れる。

阮朝初代の嘉隆帝は,即位すると自らの祖先の陵墓をフエ周辺に改葬した。この長延陵はその一つ。

門は閉まっていた。しかし羅城が半ば崩壊しているので,崩壊の激しい部分を乗り越えて中に入ることができた。

ユンさんの主導で羅城を乗り越える。これは外に出るときに撮ったもの。

門をくぐってすぐにあるはずの屏風は基壇とわずかな部分を残してすっかり崩れていた。

これは陵墓の中。バナナに似た植物が大きく育っていた。かなりの荒廃ぶり。

ただし中心の宝城の前の祭壇には線香立てなどが備えてあるため,人の出入りはあるようだ。宝城の斜め後ろから撮ったもの。

背後の屏風には竜。こちらは崩壊しておらず,埋め込まれた陶器の一部残っていた。

外の羅城と内の羅城の間。

外の羅城の上によじ登って,先ほどの入口付近のバナナのような木を撮る。

荒廃した陵墓ではあるが,ちゃんと案内板が据えられていた。

こちらが門の前に延びる階段跡。階段の両端には柵があるので,誰かの土地になっているように感じた。

車に戻る前,ズボンに大量に付いた草の種を振り払う。今日はこんな感じで汚れていくのか…。


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