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フエの陵墓・王府祠堂巡覧 2015年3月6~10日

長茂陵

Lăng Trường Mậu

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長茂陵

次の陵墓は長清陵から200mも離れていない。長清陵のようにあっさり見つかるのではとたかをくくっていたが,そうはうまくいかなかった。衛星写真と実際の道の曲がり具合が一致したところで車を駐め,周りを見渡したが,道路が林に囲まれてしまい城壁のようなものは見つからない。

とりあえずいったん車を降りて二人で周りの様子を窺っていると,通り過ぎようとするバイクが見えたので,ユンさんが道を阻んで強引に止めた。

一台のバイクに三人乗っていて,しかも一番後ろの子はノーヘル。いくらベトナムでも交通警察(黄色の制服。緑の制服の公安警察とは別)に見つかれば注意されてしまう。ただこの辺りは田舎なのでやりたい放題なんだろうなぁ。


彼女たちがマスクをしているのは排気ガスと埃(乾季だと土埃が舞い上がる),そして日焼け防止のため。この季節に長袖というのも日焼けを防ぐため。ベトナムでも一般的に色白の女性が好まれる。

話している内容は全く分からないが,彼女たちの反応から「まったく知らない」という訳ではなさそうだ。ユンさんが指さしている方向は,確かに衛星写真が示す陵墓の位置と一致する。どうやら見当がついたようだ。「湖の近くにある」という情報を得たらしい。聞き込みが終わったようなので彼女たちに「ありがとう」と言うと笑顔で頷いて走り去っていった。

その後でユンさんに「一台のバイクに三人,ベトナムスタイルだな」と言ったら「まさしく」と笑っていた。

こんな丘を登って行ったところに陵墓があるという。ユンさんはこの先の丘の上に羅城が見えたらしい。確信しているようで,実際に写真の中央やや左の笹が陵墓を隠しているのでこの位置からは見えない。


ところでこの辺りの木には左のような皿が備え付けられている。樹皮に傷を付け,樹液を採取するためのもののようだ。ユンさんに「これは何だ?」と訊いてみたが,分からないようだった。というより説明するための英語が思いつかなかったのかも知れない。おそらくゴムノキではないだろうか。


8:56。ようやく私にも城壁が見えた。いったいユンさんは城壁をどのタイミングで見たのか,今でも不思議に思っている。


長茂陵Lăng Trường Mậu。五代阮主阮福溱Nguyễn Phúc Tháiの陵墓だ。城壁や門の状態からかなり修復の手が入った陵墓だと感じた。


まずは門から続く階段を下りてみよう。長泰陵のように,階段の先が草で覆われてはおらず,ちゃんと通行できるようになっていた。左の写真に写っているのが,彼女たちが言っていた湖か。ユンさんはlakeと言っていたが,これは池pondだ。一般的に皇帝の陵墓の前には月湖と呼ばれる池がある。阮主の陵墓に月湖があるのは破格の扱いだが,人造の月湖であれば池の縁に石垣があるはず。おそらくは自然にできた池だと思う。

花も植えられているので,かなり管理の手が行き届いた陵墓と思われる。しかしその割には扉が開放されているのが不可解ではある。階段にも皇帝陵で見られるような龍があしらわれている。これは修復ではなく勝手に追加してしまったように思われ,ちょっとやり過ぎの感が否めない。


門をくぐってすぐの屏風。これは大部分が創建当時のものと思われる。上の部分は崩れていたのか,コンクリートで補修されていた。おそらく麒麟か。


羅城の内部にはパパイヤのような木々が植えられていた。確かに管理はされているようだが,歴史的建造物として適切な管理ではないな。

コンクリートで固められてしまっている。確かにこれでは草が生えてくることはないだろうが…。


屏風の裏側は対になった龍。


なんと内部の囲いの入口にはなぜか一本の木が植えられている。これはありえないだろ。


宝城。背後の屏風は創建当初のもののようだが,装飾はほとんど剥離していてよく分からない。


帰り際発見してユンさんが喜んでいた果物。英語でなんと言うのか分からないが,ともかくユンさんによると美味しい果物らしく,ユンさんは良さそうなものを見繕ってもぎ取り,幅の広い葉に包んで持ち帰っていた。


帰りもまたこの林を通る。

このあと,ザロン帝廟の方へ800mほど行ったところで,名称不明の陵墓の存在を衛星写真上で確認していたのだが,連続して陵墓探訪が成功して舞い上がっていたのかスルーしてしまうという失態を犯してしまった。

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