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フエの陵墓・王府探索 2016年2月18~23日

永興陵

Lăng Vĩnh Hưng

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永興陵

荷物を整理しトイレを済ませた。部屋の水を持ち出して,早速自転車で繰り出そう。時間が勿体ないので幾分走り気味でフロントへ。さきほどの担当スタッフが,既に自転車の用意をしてくれていた。レンタサイクルには水がサービスされるようで,私が水を持っていることに気づいたスタッフは「帰ってきてから渡す」と提案してくれた。

「どこまで行くの」と訊かれたので「ミンマン[帝廟]まで行く」と伝えると,「かなり遠いよ」と言われてしまった。「前に行ったことがあり,道を知っている」と伝えると安心してもらえた。

ホテルの出口にある小屋に常駐している配車係のおじさんが台帳を持ってきた。「名前とサインを書いてほしい」とスタッフが言ったので,名前をローマ字で書き,サインは漢字で書いた。自分以外にも4人ほど借りているらしいが,日本人らしき名前はなかった。

自転車のサドル位置はかなり高かった。西洋人対応だな,これは。「僕,アジア人だよ」と言うと,おじさんがサドル位置を直してくれた。

出発。既に14:10になっている。この季節は18時前には陽が暮れるので急がないと。しかも郊外だけに街灯は期待できない。今日は流石に数カ所しか回れないだろうな。

今回,フエには明日まで滞在する。Google Mapsの航空写真で陵墓ではないかと目星を付けているところをレンタサイクルで回るのだが,明日いっぱいかけても見終わらない距離となっている。今日は3,4時間ほどかけてホテル以南の郊外エリアを走り,明日はホテル以北の市内エリアを走ることとしている。

ホテルからミンマン帝廟方向は降り坂だ。帰りのことを考えると辛くなるが,今は時間を短縮できることに感謝しよう。

その坂の途中,あやしげなものを発見。今回陵墓を巡るのが主な目的ではあるが,ついでに市内に点在する王府も見つけようと思っている。上の建物は,その構えから王府ではないかと思ったものだ。「Phủ Xưa」とあるのは「古い府」を意味するもの。「Phủ」は王府の「府」だ。レストランであるらしいが,王府をカフェに改装して営業している店も多いので,これも王府の一つなのかもしれない。

そのままの勢いでカイディン帝廟を通過。やはり観光客でいっぱいだ。

Khải Định通りを走っていると,またまた怪しげなものを発見。4つの華表柱があることから,おそらくは集落の守り神を祀るđình亭(ディン)ではないかと思うが,それにしても階段の左右には皇帝のシンボルである蟠竜があるので,阮朝関係の史跡ではないかとも疑ってしまう。

華表柱には「人民」という文字があることから,やはり阮朝の史跡ではないのかな? 祠堂中央の額には「金山亭」とあるので,ディンであろう。屏風に麒麟の装飾が施されているのも,皇帝ポイントが高いんだがなぁ。

こうして立派な華表柱などを見ると,ディンだろうが王府だろうがどうだって良いとか思ってしまうなぁ。右の写真のように,片隅には后土神を祀る祠もあった。

さて,最初の目的地である永興陵Lăng Vĩnh Hưngに急ごう。ここは場所と名前が分かっている。おばあさんとすれ違ったので,手製の地図の「Lăng Vĩnh Hưng」の文字を見せると,行き先を指さしてくれた。

14:50。出発してから40分かけて,ようやく永興陵への案内板が現れた。この先へと向かうらしい…。勿論舗装などされていないし,バイクしか通れない幅だ。雨が降ったため,泥はぬかるんでいて進みにくそうだ。

ちなみにこのあたりはこんな感じ。左を見ても右を見ても特に何もない。たまにバイクが通るくらいか。さて,進もう。

ぬかるみで左の靴を泥まみれにしてしまった…。せっかくリゾートに来ているのに申し訳ない。既に自転車も泥だらけだ。

ぬるっと永興陵が現れた。門の左右には,藁を束ねたものが立っている。去年は他の陵墓でも見たことがあるし,昨日はあぜ道のようなところでも見た。土着信仰に関係する何かなのだろうか? 門はあっさりしていて,装飾があまりない。中央にはクオックグーで「di tích lịch sử Lăng Vĩnh Hưng」(歴史遺跡永興陵)とあり,興ざめだ。

この門を撮影中,地元の青年が自分に近づいてきた。緊張を覚える瞬間。声をかけることもなく無言で,しかも私よりも背が高いのがより不安をかき立てる。この先の陵墓の中は,誰もいない行き止まりの場所なので,このまま前進するのも嫌だが,あまり刺激を与えても良くないので,つとめて無視しようと思う。

屏風は表にも裏にも一切の装飾がない。


門と屏風はコンクリートであり,内側の城壁とは全く質が異なる。特に外側の城壁のうち左右は,今にも崩れそうな石を積み上げただけものになっていた。かつては石の間に漆喰が塗り込められていたのかもしれないが,風化によって石が露出してしまっているのだろう。また,外側の城壁と内側の城壁の内部は,一見して畑として利用されているように思えた。畝のように盛り上がった土が列を作っている。

内側の城壁内部。宝城があるのは他の陵墓と変わりないが,奥の屏風に墓標がある。普通墓標は宝城の手前にしつらえるものだが,大理石製の墓標とコンクリート製の屏風だけがやけに白いので,後から補修が入ったんだと思う。外と内の城壁の間はバナナが生えている。青い実が生っているのが分かるが,人が栽培しているという可能性も捨てきれない。

下手くそな字で「慈敏昭聖恭静荘慎孝哲皇后永興陵」と,そして下部にはそのクオックグー表記が彫られていた。やはり後世の補修によるものか。永興陵は,太宗Thái Tôngの廟号を贈られた広南阮氏阮福瀕Nguyễn Phúc Tầnの正室で,名前は朱氏園Châu Thị Viên,慈敏孝哲皇后Từ Mẫn Hiếu Triết Hoàng Hậuと謚された人物の陵墓だ。


外側の城壁の奥にも屏風があったりするので,内側の城壁内部から見てみたが,特に何があるわけでもなかった。


なお写真には写っていないが,青年は内側の城壁入口でずっとこちらを伺っていた。結局,あまり関わらずに立ち去った。外国人と関わりたいと思っていただけの可能性も大いにありうるし,だったら素っ気なくしてしまい凄く申し訳ないと思うのだが,声ぐらいかけても良いと思う。何かあってからでは遅いので,ここは警戒モードを最大限に強めて対応した。

今日はまだまだ。さらに自転車を走らせる。流石に外国人が来るようなところではないため,たまに現れる子どもからのhello攻撃がすごい。物珍しそうにこちらを見ている。

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