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フエの陵墓・王府探索 2016年2月18~23日

永泰陵

Lăng Vĩnh Thái

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永泰陵

7:45。思陵の背後から南方面を向いたところ。この先に目指す永泰陵Lăng Vĩnh Tháiがある。永泰陵の入口は南を向いているので,本来なら反対側から向かうべき。しかし永泰陵の入口が向いているĐoàn Nhữ Hải通りからはどうにもアクセスできず,これまで2度も失敗しているため,逆からのアクセスを試みた。

上の地図で北にあるのが思陵で,南にあるのが永泰陵。その間にあるのは既に訪問済みの陵墓。

背の低い松林(おそらく20年前頃に植えたものか)の左手をよく見ると,永泰陵の方角へと延びる小さな道がある。ベトナム人は基本的に歩かず,どんな短距離でもバイクで移動するため,往来した跡が道となる。おそらく永泰陵へのアクセスはこれが正解なのだろう。分かりやすい。バイク跡をたどるように自転車を進める。

永泰陵が見えてきた。3度目の挑戦でようやくたどり着いた…。思陵からアプローチするのが正解だった。外城の一部は崩れており,正式な入口へと回り込まなくても内部へ進入が可能となっている。

永泰陵の北辺から北東を向くと,昨年探索した皇子景陵Lăng Hoàng tử Cảnhが見える。皇子景陵との間には,明らかに進入を阻むための柵がしつらえてあった。両陵墓の間は平坦ではなくへこんでいるように見えるため,柵が無くてもアクセスは困難であろう。昨年皇子景陵から永泰陵があると思しき方角を見ても何も見つからなかったのは,画像右側に見えている林がちょうど永泰陵を隠していたからなのだった。

永泰陵の崩壊している隅から中へと進入。なんとここにもバイク跡が。ベトナム人は横着だなぁ。

外側城壁の屏風。装飾はもともとあったがほとんど失われたのか,あるいは最初から無かったのか。非常にシンプルではあるが,外城は高い。

内側の城壁と宝城。城壁は相変わらず高い。壁は内部のレンガが剥き出しになっている部分がある。碑などの文字資料が一切ないが,永泰陵には広南阮氏8代の世宗Thế Tông阮福濶Nguyễn Phúc Khoátの正室である孝武皇后Hiếu Vũ Hoàng Hậu張氏容Trương Thị Dungが祀られている。

残念ながら,内側奥の屏風にも装飾はほとんど見られない。

一端外に出てみる。こちらが正面となる門。外側の城壁は大きく崩れてしまっている。屏風の表には何か装飾があったと思われる凹凸がある。屏風にところどころ小さな穴があり,ここもテト攻勢のおりに激戦が繰り広げられたのだろうか。

屏風の裏側も何もない。門も素っ気ないが,劣悪な修復の手が入っていないだけ良い。

これが永泰陵の正式な入口へ至る階段。その先は藪となっており,やはり通りからのアクセスは困難であろう。

さて,自転車を置いた松林へと戻ろう。まだまだ行程はほんの序盤。まだ8時にもなっていない。曇り空で半袖ではまだ肌寒さを感じるほどだ。

これで思陵周辺の陵墓は探索しつくしたと言っていいだろう。他に航空写真で確認できるものは無い。

Lê Ngô Cátという比較的大きい通りへと出るため,裏道のようなローカルな通りを抜けていく。途中で見つけた,おそらくは幼稚園。

Lê Ngô Cát通りへと出た。航空写真で陵墓のようなものを見つけていたが,そこに至るまでの間に柵があり,進入を拒んでいた。どうやら寺院のようなもので,少なくとも阮朝に冠する陵墓ではなさそうだった。ユンさんとLê Ngô Cát通りを探索したおりにも注目したが,ユンさんは「pagodaだ」と言っていたもの。

この自転車が今回2日に亘り相棒となったもの。前カゴには水が2本入ったホテルの名が入った紙袋が。この紙袋のお蔭でどんなに道がでこぼこしていてもボトルが外に飛び出ることは無かったし,気温が上がっても水がぬるくなることはなかった。非常に有り難い。

今回,陵墓を探索するだけであれば車をチャーターした方が便利ではあった。しかし王府をも探索するつもりだったので,車ではなく敢えて自転車を選んだのだった。Lê Ngô Cát通りにも一つ王府があるとの情報を得ていたので,自転車を進めながら左右を注視していたところ,王府の屏風らしきものがあったので自転車を駐めた。

屏風の先にも王府らしき建物があったが,敷地内に入られることを嫌がった家人に何か言われてしまったので,早々に立ち去った。ベトナム語は分からないので,何を言っているのかは正確に分からないが,とにかくトラブルは避けたい。

Lê Ngô Cát通りを進んだところで北へと曲がり,Vũ Ngọc Phan通りを北上する。

上り坂となっていて苦労したが,途中で通りの左手側に気になるものを見つけた。航空写真では確認できなかったものだ。通りを挟んで反対側には寺院があったので,それに関係するものだろうか。門から道が北へ延びているが,その先には王府とは思われない建物があった。

ひとまず寺院を見てみたが,至って普通の寺院であった。

途中で何カ所か道の脇を掘って工事をしていた。重機で作業中の箇所があり,何人か集まって自分を注視していた。通行止めだと面倒だなと思ったが,止められることなくすり抜けることができた。

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