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フエの陵墓・王府探索 2016年2月18~23日

永清陵

Lăng Vĩnh Thanh

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永清陵

さて,再び移動だ。さっきの若者たちはもういなくなっていた。アジアンハイウェイを横断し,800mほど進む。車はほとんど通らず,バイクがたまに行き交うだけ。かなりの田舎道だ。通りの名は何故かChầm(チャム族)と言う。

再び人家が現れてきた。といってもかなりのんびりとしたところ。500mほど進んだところで次の陵墓が現れた。

人家の駐車場からアクセスする。入口は反対側のようだ。子どもが珍しそうにちらちらと自分を見ている。無茶をすればここから中に入れなくもないが,こどもの視線もあるし,中から戻るのが難しそうなのでやめた。

この陵墓は永清陵Lăng Vĩnh Thanhという。広南阮氏7代目阮福淍Nguyễn Phúc Chuの正室である孝明皇后Hiếu Minh Hoàng Hậu宋氏特Tống Thị Đượcが祀られている。

手前には大きなカタマリが転がっていた。永清陵は,一見しただけで真新しいのが分かる。先ほどの永豊陵の荒れ具合に比べると不自然なくらいだ。おそらく,この転がっているカタマリは修築前の残骸なのではないか。レンガが見えているのも,永豊陵の荒れ具合とそれほど変わらない。

おっと,門の扉が閉まっているのがこの時点で分かってしまった。やはり先ほど自制して中に入らなかったのは正解だった。

中に入れないのであれば,積極的に中を撮っていこう。城壁はかなり低い。装飾性は低く,全てコンクリート一本でまかなってしまったような印象を受ける。つまらない修築だ。内側の城壁の門柱には,それぞれ碑文が書かれているが,この距離では読めない。

それでは改めて正面から眺めよう。立派な前庭を備えているが,正面の通路左右が石畳になっていないのは,お粗末というしかない。門も取って付けたような装飾や「福」という漢字があってお粗末。

門向かって右の銘板には,「孝明皇后の墓である」くらいの説明があった。2008年とあるので,そのときに修築したのだろう。

屏風正面は麒麟か。裏面は先ほど確認したように鳳凰となっている。

月湖を備えているのは大したものだ。銘板には「hồ bán nguyệt」とあり,つまり「半月湖」とある。これもあまり大した情報ではない。

この陵墓にも后土神の祭壇があった。

現在11:30。市街地まで8kmは戻らねばならない。これまでの道をそのまま戻るので,途中見るべきものはない。退屈だが仕方が無い。もくもくと漕ぐだけだ。

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