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フエの阮朝史跡探し 2018年2月27~3月4日

楽化郡公陵群

Lạc Hóa Quận Công

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楽化郡公陵群

2日目スタートから立て続けに空振りが続き,1時間も経過してしょんぼりしながら自転車を漕いでいたところ,9:15,「ここは!」と思うところに出た。

墓が集中している。こういうところは往々にして個人の墓が多いのだが,何かそれらとは違う臭いがする。

おっと! 内部の墓は新しめだが,外周はかなり古い。これは今日初の獲物だ!


こっちからだと全景が分かる。もうちょっと近づいて撮りたいが,草が生え放題になって近づけない…。えーと,入り口は向こう側なので回らなければならない。さっきから犬がしつこく吠え続けているが,絶対に諦めない。しかし奥から畑仕事を終えたおばあさんが出てきた…。頑固そうなので,出て行けと言われないか不安になる。


雑草の生え具合がすごいが,屏風に麒麟か獅子のようなものが刻まれているのが分かる。手前の木には実が生っている。


つとめて冷静に墓の写真を撮っていると「こっちから行けるぞ」と身振りで教えてくれた(と思う)。こっちが話す英語は全く理解してくれず,私に向かってベトナム語で話し続けているが,どうやら歓迎してくれているようだ。翻訳アプリで「王様の墓」というベトナム語を見せると,おばあさんは理解してくれたようで墓を案内してくれた。

伝統的なベトナム服を着ているおばあさん。左手に持っている湾曲したカマがちょっと怖い。門には何の文字資料もない。普通ならば門の真ん前に陵墓へのアプローチのための石畳があるはずだが,なぜかレモングラスや樹木などが植えられてしまっていた。これらがこのおばあさんの家のものなのかは不明。


おっと! ようやく文字資料が現れた! 「楽化郡公諡和慎之寝」とある。楽化郡公Lạc Hóa Quận Công,和慎Hòa Thậnの諡号を持つのは,阮朝2代皇帝明命帝の十五子,阮氏永所生の阮福綿宇Nguyễn Phúc Miên Vũのことだ。28歳という若さで亡くなったという。


ようやく史的陵墓を発見したのと,文字資料を見つけたのが嬉しくて,「楽化」はlac hoaのはずだと思い,おばあさんに「ラッコア」と言ってみたが,反応が薄い。やっぱりベトナム語の発音は難しいと思い知らされ,またもどかしい思いをした。

屏風の裏には香炉のようなものが据えられていた。


中央部。残念ながらコンクリートであるが,そのために雑草は生えないらしい。手前の台の正面下部にはクォックグーによる銘板が。上にLạc Hóa Quận Công,真ん中に大きくThụy Hòa Thậnとある。Hòa Thậnは諡号である「和慎」のことで,Thụyは「諡号」を意味する。諱を刻まないのか。奥の屏風には何らかの瑞獣が対になって刻まれているが,何なのかは分からず。


これで満足してしまい,おばあさんに英語とベトナム語でありがとうと伝えたが,おばあさんは表情ひとつ変えず,ベトナム語でなにやら私に伝えている。

指をさした方向に目を向けると,別の陵墓らしきものがあった。まず,まだ他にも陵墓があるらしいことにも感激したが,おばあさんがどうやらこの変な外国人を歓迎しているらしいことに感激した。ずっと真顔ではあるのだが…。私が「おおっ!」と驚いてもニコリともしないので,当初は怒っている,あるいは訝しんでいるのではないかと思っていたのだが,少なくともそんなことはないようだ。なお,おばあさんはカメラを向けても一切動じない。私を無表情でじっと見つめている…。


墓が二つ並んでおり,こういうのは往々にして個人の墓なんだけどなぁと思いながらも銘板に刻まれた文字を調べたら,漢字が刻まれていた。「啓定二年」の文字で,啓定帝の時代であることが分かる。肝心の埋葬者はというと,右には刑部の阮文氏,左には楽化郡公房公孫首皇朝協佐大学士とあり,阮朝宗室の人物ではないが臣下であり,史的陵墓ではあった。屏風に刻まれているのが龍と鳳凰なのが不審ではある。


陵墓の前には,墓の集合体も。こりゃキリがないな…。


「楽化郡公府妾阮文氏墓」。楽化郡公の側室の一人がここに埋葬されているらしい。側室の割には広く,かなり破格の扱いだと思う。


おばあさんは次々と墓を案内してくれる。ぎょっとする格好をしていたが,朝露に服が濡れないようにしているらしい。入り口の階段には蟠龍。これはさすがに宗室の陵墓では。


奥の屏風には対の龍。銘板には残念ながら漢字は刻まれていなかった。漢字に復元すると「楽化郡公房~」とあるので,おそらく臣下の墓だろう。


こちらも漢字に復元すると「楽化郡公房~」とある。


こちらは漢字のみが刻まれ,「楽化郡公房~」とある。


先ほど裏側から見た集合体。この辺りに点在する墓はほぼ全てが楽化郡王の一族のそれらしい。まだまだあるが,キリがない。


おばあさんに拙いベトナム語でありがとうございましたと伝えて立ち去る。おそらく最後のありがとうございましたは伝わっていたと思う。そう信じたい。

立ち去ろうと思ったら,また発見。


何かの気配を感じて振り向いたら水牛がいた。ベトナムっていいなぁ。