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フエの阮朝史跡探し 2018年2月27~3月4日

水瓢坊周辺

Phường Thuỷ Biều

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水瓢坊周辺

水瓢坊Phường Thuỷ Biềuという,ほとんど外国人観光客向けの観光資源のない地域へやってきている。

フォーン河が西に大きく蛇行してできている半島のような地域。ほとんどが住宅地で占められている。

近くの学校から出てきた子どもたちがめざとく私を見つけてハロー攻撃をしかけてくる。ここに外国人が来るのは珍しいようだ。

地図の真ん中の逆L字型になっているのが校舎で,そのすぐ南の林の中に怪しげなものがあった。

9:56。コンクリート造りの台座や屏風,奥にもそれほど古くない堂宇。一応屏風には古風な文様が施されている。周囲はほとんど水田。


柵があって内部には立ち入れないようになっている。内部には漢字が。それなりに歴史はあるが,堂宇などを改築したケースか。廟ではなく亭のようなものか。


クォックグーによる銘板。đại trùng tuは「大修復」という意味だな。đạiは漢語「大」由来だが,trùng tuはベトナム語由来。甲午年năm giáp ngọである2014年に修復をした,ということだろう。最後は「kinh phí経費 dânlàngむら民 đóng góp拠出」であり,この堂宇がなんであるかの情報はなかった。


3つの祭壇がある。バナナがそれほど傷んでいないので,毎日訪れる人がいるということだろう。


敷地内で,使用済みの注射器を見つけてしまった。フエの闇を見た思いがする。


次は水瓢坊で最も人通りが多く,フォーン河沿いのBùi Thị Xuân通りへと抜け出よう。

ロント・セメントという名のセメント工場。ここを通るのはこれで2回目だと思う。フエでは珍しく割と大きい工場。歴史もありそうだ。もし地震があったら危なそうな造りをしている。ロントLong Thọというのはこの工場が面する小さな通りの名前。


10:10,次の目的地までの間に教会を見つけた。ひと気がない。


10:16,目的地に到着。周囲は民家が点在している静かな地域。歴史がありそうな堂宇が建っている。堂宇までの道に背丈の低い草が枯れており,長い間人が立ち入っていない様子だ。


地図上にはMộ cao tổ Lưu tộcとあるもの。直訳すると「劉一族の墓」だが…。

立派な屏風,門柱がある。タイルによる装飾のようなものも。屏風には裏表とも何ら装飾はなかった。背後には香炉のようなものが。コンクリート製だが。


本堂(?)。階段の左右に蟠龍があるため亭などではないように思う。屋根の上の装飾が帝陵の堂宇にも見られるもの。これはやんごとなき堂宇か。額には漢字で「継序其皇」とあり,詳しい意味は分からないものの阮朝皇帝一家に関する殿宇に間違いないような気がする。一番前の列の柱にも龍が刻まれている。4文字の左右に「己亥仲秋/吉日重修」とあり,1899年か1959年のどちらかに修築が行われたという。堂宇の造りが古いので1899年だろうか。1839年は明命20年であり,考えられなくもないが修築するには古すぎるような…。奥の額には「楊春上亭」とある。


堂宇の手前左右にはそれぞれ小さな堂宇があった。


向かって右奥にも堂宇があるが,内部はがらんどうのようだった。


すぐ近くに別の堂宇が。


上の地図中央,三叉路の南側に位置する。

階段の左右に蟠龍,屋根の装飾もやんごとない雰囲気があるが,詳細不明。内部は3つの祭壇があった。