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越南漫遊記 2010年5月24~30日

グエン朝王宮跡

6:30-17:30
55,000VND

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フエ グエン朝王宮跡(太廟、内務府、閲是閣、欽文殿)

5/27、四日目。クィンさんとの約束の時間である9:30までに王宮を一通り観たいので、今日も6時起き。さっそく朝食。

取り過ぎかもしれないけど、おいしいのでしょうがない。

黄色麺の炒め物、シイタケの煮物、チャーハンのようなもの、カリカリベーコンなど。

注文すると目の前で生の牛肉を煮立ったスープで火を通してくれる。料理名は分からないが、フォー系? 肉がまだ少し赤かったので、スープにかきまぜて完全に火を通してから食べた。まぁ念には念を入れて…。これもおいしい。ライムを半切りにしたものを付けてくれた。果汁を絞っていれると、さっぱりした味になる。

奥さんには申し訳ないが、9時頃までには戻ると伝えて王宮へと向かう。カードキーを奥さんに渡して出発。カードキーは2つ渡されているのだが、私は一枚も持っていかなかった。このことが後で惨事を招くことになる(ちょっと大げさだけど)。

インペリアルホテルの外観。なるほど、王宮をイメージしている。

ホテル前の睡蓮。早朝だから咲いているのかな。

ハノイとは違い、フエの歩道はちゃんと歩道として機能しており、さらにきれいに整備されている。昨日気になっていた歩道の穴は、さっそく修理されていた。まだ7時なのに仕事が始まっている。ベトナムの朝は本当に早いのだ。

これがフエ祭りの看板。これだけでは祭りの内容がよくわからない…。

フォーン河沿いの公園。ベトナムにはこういう公園が多い。ただし都市部に限るが。右はおそらく政府系の建物かと思うが、何の建物かは不明。宮殿のような外観とクリーム色の壁、そしてカエンジュの強い赤が対照的で良かった。

南国っぽい木。これなんて言うんだろう。

ハノイほどではないものの、フエもバイクが多い。ホテルから王宮へは何度となく道を横断しなくてはならない。幸い信号があるのでよいが、渡る際には気をつけなければ。相変わらずプロパガンディックな看板が多い。

シクロの大集団。これって観光用なのかな…。フォーン河にかかる大橋、フースアン橋。ここをたくさんのバイクと少しの車が途切れなく走っている。ちなみにフースアンは「富春」で、フエを指す古い名前だ。

フォーン河には大きな蓮のオブジェが並んでいる。これもフエ祭りを盛り上げるための演出の一つなのだろう。

橋を歩いているのは私一人。ベトナム人は歩かない。いきなりシクロのおっさんに声をかけられた。何を言っているのか分からなかったが、たぶん「乗っていけよ」と言っていたのかもしれないな。面倒なのでスルーする。

橋の道には、明らかにおもちゃの紙幣だと分かるものがたくさん落ちていた。何だろう?いわゆる「こども銀行券」的なものなのだが、ベトナムにもこんなおもちゃがあるのか? なお、この偽札の正体については午後になって判明する。

さて、ようやく橋を渡りおえて、今度は王宮外の門をくぐる。王宮の左右にこのような門が一つずつあり、それぞれ一方通行になっている。こちらの門は東側であり、王宮方向への一方通行。道が狭いので一方通行なのだろうが、こうやって往事と同じように現在でも門を使っているというのが興味深い。ただ、やっぱり歩道などはなく、けたたましく走り去るバイクや車と一緒に門をくぐらなくてはならない。

門をくぐったところには、大砲が並べてあった。なお、大砲はもう一つの門(西側の門)の方にもおいてある。

それぞれの大砲には「位」が与えられている。この大砲には「名神威無敵上将軍九位第三」と仰々しい称号が。将軍として扱われていたということなのだが、清朝初期に、漢人から鹵獲したポルトガル製の大砲に将軍の称号を与えて実戦で使用していたのを彷彿とさせる。ただし、ベトナムではこの大砲が戦争で使われたことは一度も無かった。

さて、やっと王宮に到着。ホテルを出て30分近く過ぎている。15分くらいだと思っていたが、倍近くかかってしまった。急いで観て回らないと。

見学料は55,000ドン。ドルで払うなら4ドルと決まっている。55,000ドンは230円くらいなので、ドル払いだと損するが、手元にドンが無かったので仕方なく4ドルを支払う。

無駄が無いよう、今日は昨日観ていない部分を優先的に回ることにする。王宮を反時計回りに巡っていこう。

午門をくぐって右手の場所。今は芝生のようなものが生えているが、かつてはここにも建造物があった。少なくとも15年前は雑草だらけの場所だったと思う。建造物が復元されていないが、これでも整備されていると言っていいだろう。

まずはDエリア。

ここは王宮の右下部分(王宮は南北に垂直に建っておらず、45°近く回転したような状態で建っているので、こういう言い方をせざるをえない)に相当する。グエン家の祖先を祀る廟を中心とするエリアだ。

門はあるが、名前が分からない。額が架けられていたであろう部分には何もない。他で見た門に比べるとやけに質素だ。

門の内部。Dエリアの南側のスペースだ。塀は残っているのだが、かつてあった建造物は今は大部分が失われている。内部にはより質素な門が建っている。

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これはDエリアの左側の門「顕承門」。その先には修復中の建物が。少しずつ修復されているのだ。

このひときわ豪華な門は「顕仁門」。この門は城の外と繋がっている。ひんぱんにバイクが入ってくるが、おそらく職員なのかと思う。門の内側に座っているおっさんは、きっと観光客がここから入ってこないようにチェックをするために居るのだろう。なかなか暇そうだ。

右画像は楼上部分だが、その中央には「啓定(カイディン)八年建造」とある。グエン朝末期に再建されたもののようだ。カイディン帝廟でも見られたモザイク装飾でちりばめられている。カイディン帝の趣味なんだろうか。屋根の上には獅子。

こまかい装飾がほどこされた門だ。当時の状態で残っているのか、修復を経ているのかはわからないが。植物が欠けた陶器のモザイクで作られているのは相変わらず。

額の下には正体不明の生き物。ひげがあるから龍だろうか…。

Dエリアの北側に進入。これはDエリアの最北に位置する「肇廟」。屋根に龍が装飾されていること、そして屋根が黄色であることから、帝室関連の殿宇であることは間違いない。

グエン朝初代皇帝であるザロン帝は、17世紀頃にベトナム南部を支配したいわゆる広南阮氏、後黎朝期時代に阮コウ(さんずいに黄)がフエに樹立した地方政権の出身だった。後にザロン帝となる阮福映がグエン朝を開いた際、自らの祖先である広南阮氏の王たちに遡及して廟号を贈っている。

阮コウの親である阮淦は肇祖とされ、肇廟に祀られている。ちなみに「肇」とは「はじめ」という意味を持つので、ザロン帝は自らのルーツを阮淦に求めているのかもしれない。

肇廟前の広場にあった青銅製の焼却炉? 左画像のように、燃やしやすいように空気を取り入れる穴があるので…。香炉だろうか。ちなみに左は龍で皇帝を、右は鳳凰で皇后を表す。ただ、つがいになっているので、鳳が雄で凰が雌という解釈もありうる。

「太廟」。肇祖阮淦の子である阮コウ(太祖)の他、歴代の広南阮氏王である阮福源(熙宗)、阮福瀾(神宗)、阮福瀕(太宗)、阮福シン(さんずいに秦)(英宗)、阮福チョウ(さんずいに周)(顕宗)、阮福チュウ(粛宗)、阮福濶(世宗)、阮福淳(睿宗)、阮福トウの9人がここに祀られている。

私の他に訪れる者はない。屋根の中央には日輪を囲むように龍が向かい合っている。

屋根の両端にも龍が。屋根は二層になっているが、その間には龍をはじめとするお目出度いモチーフが描かれている。細かい。

太廟の内部。骨組みなどがあるが、目下復元作業中というわけではなさそう。とりあえずの補強をしているようだ。内部には特に何もない。床のモザイクもなかなかのもの。

太廟の屋根。ごてごてした装飾でいっぱいだ。

続いてEエリア。

先ほどの太廟エリアの真上に位置する。まるでコロニアル風の建物が建っているが、元は「内務府」が建つ場所だった。清朝に倣っているのならば、おそらく宮廷事務を行う機関だったと思われる。

気になったのは、そのすぐそばにぽつんと建つ一つのほこら。

入り口階段の両脇には小さいながらも龍の像がある。正面の額には「最霊祠」とある。額の上にはおそらく鳳凰かと思われるものがある。

そしてその両脇には獅子。右の獅子は鞠であそんでいて、日本の寺社でも見られるようなものになっている。

妻部分にはコウモリのような装飾が。輪を咥えている。これも色とりどりの陶器を割ってモザイクで作られている。

内部。入り口右脇には鶴とおぼしきものが。おそらく左にもあるのだと思う。

奥の祭壇右には鉾のようなものがあるが、これ実は絵。

祭壇手前の台に描かれていたのは、ひげがあるのでおそらく龍。これも陶器のモザイクでできている。その台の左手側にももう一つ台があるのだが、ここには魚が描かれていた。

祭壇。供えものが絵になっていた。祭壇中央には「九天玄女」という文字。道教の女神を祀る祠だった。

実は最前からずっと気になっていたのだが、最霊祠の背後にはなんと象が二頭いた。もそもそと草を食んでいた。檻も何もないので、もっと近づきたかったが、先ほどからずっとこちらを遠目で見ているおっさんたち(おそらく飼育係)が気になって、遠目で見るほかなかった。

後でクィンさんに聞いたところ、「観光用です」と言っていた。客を乗せるのだという。

内務府エリアのすぐ左のFエリア。

左は「閲是門」。奥に建つのは「閲是閣」(右)。これは修復されたもの。往時は舞いが催されていたという。「閲」の主体はやっぱり皇帝なのだ。

現在、観光向けに舞踊のショーが行われているという。今では観光客が王様扱いなのだ。なお、この閲是閣エリアの向こう側に、昨日観た大きな広場がある。すなわち、かつては宮殿の中核だったところだ。

今度は内務府エリアの真上に位置するエリア。

ここにはかつて「欽文殿」なる建造物があったのだが、今はもうない。奥ではのんびりポニー(?)が草を食んでいる。

このエリアの右側にある「禁苑門」。なぜか今はその「口」が埋められている。門の名前から、この欽文殿エリアには皇帝専用の庭があったのかもしれない。

このように、水路が巡らされているのも、かつてはここに整備された庭園があったということを示しているのかもしれない。

欽文殿エリアのすぐ上には、「幾暇」と名づく島がある。今は木々が生い茂り、元はこの島にどんな機能があったのかはよくわからない。

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