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越南漫遊記 2010年5月24~30日

トゥドゥック帝廟

6:30-17:30
55,000VND

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トゥドゥック帝廟

程なくしてトゥドゥック帝廟到着。

ここにも「フエ祭り2010」の横断幕が。トゥドゥック帝廟の本名は「謙陵」。カイディン帝廟は西洋風だったが、ここはシナ風、あるいはベトナム風が強く出ている。4代目のトゥドゥック帝は13人のグエン朝皇帝のうち最も在位年が長い。

この門は廟の正門で「務謙門」と呼ばれる。

こちらはさすがにコンクリートではないため、より史跡チックだ。

廟を取り囲む壁は「羅城」と呼ばれる。「羅」は「はりめぐらせる」という意味を持つ。

門をくぐるとすぐにスペクタクル満点な光景が広がる。入ってすぐの池は「謙湖」、島(右写真)は「謙島」。

謙湖にせり出している「愈謙シャ(木+射)」。シャ(木+射)は屋根のある木造の台を意味する。また、もう一つ「みたまや」という意味もある。

池には蓮が咲いており、舟を乗り付ける場所もある。往時はここに舟を浮かべて遊んでいたのかもしれない。愈謙シャの「愈」には「たのしむ」という意味があり、トゥドゥック帝が舟遊びで楽しんでいたことを暗示しているのかもしれない。

この愈謙シャは、屋根が二つ連続しているので「谷」となる部分には雨が溜まってしまう構造となる。そこで、雨水が両端から流れるように「樋」のようなものがある。この魚のような飾りをしたものがそれだ。雨が降るとこの魚が水を吐く、というわけだ。

謙湖にせり出す半島の先には「沖謙シャ(木+射)」が建っている(右)。そこには橋を渡っていく。先ほどの愈謙シャと同様、湖にせり出す釣台を揃えるのは典型的なシナの離宮様式。

沖謙シャの内部。今はがらんどうになっているが、往時は派手だったのかもしれない。

沖謙シャの屋根にも愈謙シャと同様の樋が据えられている。

沖謙シャから愈謙シャのほうを眺めてみる。奥に控えるは廟の本体部分。

カイディン帝廟のように、高低差がある。やっぱり廟所は一番高いところに据えられるようだ。日本の仏教寺院などでも同様である。門の名前は「謙宮門」という。

謙宮門。二層になっている。寺院なら二層目に鐘がつり下げられていたりするのだが、ここは廟。

がたが来ているのか、支えの棒が組まれていた。気候条件が厳しいからか、日本や中国のように軽い木材ばかりで建てることが難しいのだろう。それだけに耐久度も低いのかもしれない。門の内部には、メンテナンス用のためか階段が据えられている。

門をくぐってすぐの和謙殿。屋根が柚子色で、いかにも皇帝陵といった風。

初代ザロン帝はフランス人宣教師ピニョーの軍事支援によってベトナムの統一をなし得た。そのため、グエン朝はその建国当初からフランスから圧力を常にかけられていたわけだが、二代目ミンマン帝は国号を「大南」としたように小中華世界の形成に拘っていたため、フランスの介入を拒み、キリスト教布教を禁じた。しかしアヘン戦争がおこり、西洋への脅威を感じると、三代目のティエウチ帝はいったん宥和的な態度を取った。

次いで四代目のトゥドゥック帝は外国人排斥、キリスト教禁止を徹底。しかし開国を迫るフランスはベトナム各地を攻撃、占領し、結局通商条約を結ぶことになる。つまり、トゥドゥック年間はフランス帝国主義に翻弄され、植民地化するきっかけをつくった時代。

トゥドゥック帝は幼年の頃天然痘に罹っており、体が弱かった。政治よりは文芸のほうに関心があったという。トゥドゥック帝は生前から自分の墓の造営を指示した。まだ元気な頃に完成したため、先ほどの沖謙シャによく通って、詩文を作ったりしていたという。自分の墓に遊びに来るというのはなかなか面白い。フランスによる植民地化からの現実逃避だったのかもしれない。

皇帝の評価はともかくとして、トゥドック帝でなくても居心地の良さを感じるところだ。廟所というよりは離宮と言った方が適当かもしれない。

和謙殿内部には、絵が掲げられている。それらすべてにトゥドック帝が作成した詩文が、金泥文字によって書かれているが、すべて帝本人が書いたものだという。

 

和謙殿を抜けたところ。上の写真はパノラマ合成している。正面は良謙殿、左は温謙堂、右は鳴謙堂。これらと和謙殿が中庭を囲んでいる。中庭にはクィンさんの言う「盆栽」が置かれている。日本の盆栽に比べて大きいのがベトナムの「盆栽」の特徴。

なお、この帝廟内の堂の名前には必ず「謙」の文字が入っている。これは、トゥドゥック帝の控えめな性格が反映されているのだという。自分で造らせたわけだから、後世の評価というわけではなく、自己評価ということになる。この事自体が「謙虚」だと思う。

良謙殿。瓦が黄色なのが皇帝陵であることを象徴している。また、屋根には龍があしらわれている。屋根は二段になっており、一段目と二段目の間の軒下には細かい装飾が施されており、目を奪われる。

良謙殿の屋根中央に据えられた装飾。太陽を象徴しているのだろうか。

温謙堂。なぜかクィンさんはここを案内せず、まっすぐと奥の良謙殿へと入っていった。屋根にはなぜか八卦が据えられている。

屋根の色が緑なのは、官僚が詰めていた堂宇だからだろうか。そうか、「~殿」は皇帝、「~堂」は官僚にかかわる建築物に付けられるのか…。

良謙殿。ここにも絵画が飾られているが、これもトゥドゥック帝の手によるものなのだろうか。

特に見るべきものは無かった。

続いて鳴謙堂。ここの屋根にも八卦が据えられている。

ここは楽団を呼び寄せ、演奏させたいわば「ホール」。皇帝は写真の場所に控えたという。

ここが皇帝が御した場所の正面にある舞台。ここで演奏したのだろう。

多分曲だけではなく、劇も演じられたのかもしれない。

鳴謙堂は天井が面白い。星座、太陽、月が描かれている。もちろん太陽は皇帝の象徴だ。

これでトゥドゥック帝のハイライトが終わり、クィンさんに促されて廟を出た。

すぐ隣にはトゥドゥック帝の墓、謙寿陵と呼ばれる皇后陵、また七代目皇帝キエンフック帝陵もある。キエンフック在位わずか半年にして16歳の若さで崩御した少年皇帝だ。彼はトゥドゥック帝の養子だったことで、同じ場所に築かれたのだろう。

なお、グエン朝の最盛期はトゥドック帝までの四代で、その後は衰退。そのため皇帝廟も縮小傾向になり、唯一カイディン帝のみが規模や派手さの面で先代皇帝に匹敵しえた。キエンフック帝の陵墓が「手抜き」されているのは、在位時期が短い上に財政面で苦しかったからなのかもしれない。

帝廟の欄干などには独特の装飾が施されている。これはベトナム独自の美意識なのだろうか。

廟内にはジャックフルーツの木が生えている。別に果樹園でもないのに、こういうふうに普通に生えているのだ。ちなみに「水曜どうでしょう」の「原付~」企画では、大きなジャックフルーツを大泉の原付の荷台に乗せて走っていた。かなりにおいがきつい食べ物らしいが、クィンさんによると「ドリアンに比べたらたいしたことない」とのこと。大泉や藤村はかなり狼狽えていたように思うんだがなぁ…。ドリアン恐るべし。

これでトゥドゥック帝廟は終わり。

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