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フエの阮朝史跡探し 2018年2月27~3月4日

宣化王陵

Tuyên Hóa vương

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宣化王陵

13:30,Ngự Bình通りの46番あたり。「lang tuyen hoa vuong」とあるのが気になっていた。「lang」は陵で,vuongは「王」。「Tuyên Hóa vương」は宣化王で,育徳帝の第9子,慈明惠皇后Từ Minh Huệ Hoàng Hậu潘氏調Phan Thị Điều所生の阮福寶巑Nguyễn Phúc Bửu Tánである。ここは王府ではなく陵のようだ。以前も訪れたことがあるが,残念なことにいつも柵で閉じられている。せめてと,柵越しに見にきた。柵の向こうには碑亭が見える。その奥に塀で囲まれた陵本体があるようだ。宗室男子の陵としては破格の扱いだと思う。


手前にはなんらかの祠堂が。一対の獅子が立っているのが不審ではあるが,こちらは廟宇なのかもしれない。


Ngự Bình通りをさらに南下する。南下とは言えども,実際は緩い登り坂が続いており,午後の一番暑い時間にはかなりきつい。

13:40,フエの南に位置する御屏山が右手奥に見える。御屏山の北には無数の墓が広がっている。多くは一般人のものと思われるが,ひときわ大きい方形の墓を見つけていたので,確認しておきたいと考えていた。左の写真の奥に見えているものである。迷路のような墓地を駆け上がった。陽を遮るものがなくきつい…。


立派ではあるが,陵墓かどうかの確信を持てない。屏風には「福」と描かれていたようである。


屏風の先。香炉。そして円形の墓。どうも宗室の陵墓ではなさそうだ。


とりあえず銘板を確認。やはりクォックグーしか刻まれていなかった。中央に三本の線香が立っている。一番上にはnơi an nghìとあり,直訳すると「安義の場所」。左は「bà婆」で始まり,右は「ông翁」で始まっているので夫婦が埋葬されているようだ。宗室の場合は夫妻が一緒に埋葬されることはない。男性は1886年生まれ1966年死没,女性は1889年生まれ1984年死没とのこと。


御屏山の近くには史跡公園が造営されている。阮恵グエンフエ,通称阮光中の像が立っている。その奥に小高い山があり,階段がしつらえてあるがいつもへばってしまい,あの上に行ったためしがない。今回もパスする…。暑いし疲れた。


小高い丘の麓に方形のなにかを見つけていた。それがなんであるかを確かめるために来たのだが…。


史跡のようであるが,文字資料が一切ない。祭壇のような場所の先には塀の切れ目。門のようである。この先にあるのは,先ほど墓から眺めた小高い丘。詳細不明のまま。


国道。ほとんど往来がない。こういうの社会主義国っぽいな。


その国道沿いに写っていた古い墓は,国安寺を開創した僧侶の墓だった。


方形の黒いものが衛星写真に写っていたので期待していたが残念。

ホテルの近くまで来ている。疲れたし,ひととおり今日の予定は終わったので,この日は14:15で終わり。

ホテル敷地内には,ジャックフルーツの木も生えている。


自分のバンガロー。


夕食まで,バルコニーで安楽椅子に座ってゆっくりと過ごした。


バンガロー前の蓮池をぼーっと眺める。


SIMカードの残高は6,595MB。まだまだ残っている。この旅では全てを使い切れないだろう。ホテルではWiFiに繋げて使っているが,それをやめてSIMを使ったとしても使い切れないはず。


夕食は昨日と同様ラトンへ。ここは及第点の味だが,なんせ観光客向けなのかかなり高い。複数人数で来てシェアするのが前提だからかもしれないが。できれば控えめにしたいので,今日はスープとガーリックチャーハンと簡単なものとした。

満月かー。