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フエの阮朝史跡探し 2018年2月27~3月4日

綏邊郡公陵

Lăng Tuy Biên Quận Công

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綏邊郡公陵

慶美郡公陵から次の目的地に向かう途中,すごくローカルな道の合流点にいわくありげなものを見つけた。フエに点在する陵墓の隅にも設置されていたりする后土神の祠だろうか。元々は道教由来の地母神らしい。特に文字資料もなく確たる手がかりはないが,住民の素朴な信仰の対象になっているようだった。


カイディン通りに出て650mほど南下し,宮廷武術の演武場の向かいの山を登る。

14:45。上記地図の林の中に樹木のない空間が奥行き50mほどある。ひょっとすると陵墓ではないかと踏んだのだが,皇族の陵墓には屋根のある門などない。


陵墓を探ろうと自転車を止めて斜面を登っていると,男性があとをつけてきた。表情を見ると笑顔だし,頷いてくれているから歓迎してくれているようだけど,なんだか怖い感じもする…。努めて無視して進む。

陵墓のデザインも勿論だが,生年が1972年となっている時点でアウト。2001年にお亡くなりになったらしい。


非常に豪華な一般人な墓ではあるが,阮朝宗室の陵墓ではない。


陵墓ではないことははっきりしたのでさっさとこの場所を離れよう。さっきの男性とすれ違うときに緊張は走ったが,結局は何もなかった。

再びカイディン通りに出て,300mだけ南下。

南西から細い道が合流するところから山へ入る。非常にローカルな場所で,おばちゃんたちが井戸端会議をしていたり牛が草を食んでいたりとのんびりムード。目立たぬように自転車を止めてさっさと山の方へと行ってしまおう。

14:58。まず墓であることは確実,そしてこの大きさは!


ずいぶんと贅沢な造りで,ひょっとすると? という思いもある。越僑が豪華な墓を建てることもあるので…。しかし一般人の墓に碑亭などないだろう。碑石に刻まれているのは漢字文ではないが…。


2行目に「Quận công」という語があって,これが陵墓であることを確信した。đức ôngは「王子」という意味だ。Tuy Biên Quận côngは綏邊郡公,阮福綿寵Nguyễn Phúc Miên Sủngのことで,阮朝の宗室。明命帝の53子で生母は婕妤Tiệp dư阮常氏圓Nguyễn Thị Viên。1865(嗣徳18)年に35歳で死去。


碑亭の奥には,なるほど宗室らしい陵墓が現れた。碑石には漢字が刻まれている。「綏邊郡公□謹穆之寝」とある。「謹穆」は綏邊郡公阮福綿寵の諡号だ。


15:10。たくさんの観光バス,観光客であふれかえる啓定帝廟までやってきた。資料の図によれば,道路を挟んだ向かいの駐車場・土産物や飲み物などを扱う四阿がならぶエリアに大きな屏風があるらしいが…。帝廟などには,邪気の進入を防ぐために入り口の前に屏風が建っていることが多い。それに従えばここ啓定帝廟にもあってもおかしくないし,帝廟の規模からいえば立派な屏風があっても良いだろう。しかしいくら確認しても見つからなかった。

啓定帝廟には初めてベトナムを訪問したときに既に見学しているが,廟の周りに付属する小さな建造物があるとの情報を得ていた。それを確かめたい。

啓定帝廟向かって左に,小さな建造物の跡があった。文字資料はなく不明。


啓定帝廟の最奥部。資料によれば,帝廟の向かって右奥,つまりこの背後を回った先に,応順山廟という名のちょっとした付属の建造物があるはずなのだが…。このあとちょっとしたことがあって,断念せざるを得なくなった。この地点から眺めたぶんには何も無かったように見えたが…。


カイディン通りから国道1号線に出た。バイクの通りは少ないけれどもトラックが往来する。黄色い制服の警察が検問を張っていた。ベトナムを自転車で縦断した人の旅行記では,検問が何度かあったと報告されている。自分もパスポートを出さなきゃならんかなーと思っていたら見事に無視された。トラックやバイクが止められているが,全てではない。どんな基準があるのかよく分からない。社会主義国らしく,制服に対する権威が徹底しているような雰囲気を感じた。どこか偉そうだ。

前回とある陵墓にアクセスしたが,どうも裏道と思われるルートからのアクセスだった。そのために見通したとおぼしきものを衛星写真で見つけている。

上記地図の中央の林の中央に黒ずんだ人工物が見える。その南西の黒ずんだ方形が既に訪れている陵墓。右上の国道1号線からあぜ道のようなルートでアクセスを試してみようと思った。やや急な下り坂だったので,道の入口に自転車を置いて行ってみる。

行き先も道の幅も充分だったが,結局は悪路となり完全に行き先を阻まれた。ベトナムにはこういう道がたくさんある。しょうがない。


国道1号線沿いのガソリンスタンド。トラックなどの往来が多い。フエは少し郊外に出ると牛,水牛が道ばたの草を食んでいる。もう慣れた風景だが,さすがに放豚というのは今回初めて見た。


国道1号線沿いの,あたりをつけていた場所を巡ろうとしていると,キャップをかぶってバイクに乗った人に声を掛けられた。helloと最初に言ったきり,後はNoとしか言わない。ここは君の家か? と訊いても通じない。あまりトラブルになってもしょうがないので,引き下がって別の場所を探っていると,後をつけてきた彼がまたもNoと言ってくる。行き先は家ではないし,彼の土地とも思われない。このとき分かった。彼は私のやることなすこと全てが気に入らないのだと。全てをNoとはねつけたいのだろう。ただ外国人が来てウロウロされても気に入らないというのは分からなくもない。そのうち彼が付いてこなくなった。ベトナムの人は,見て無さそうで割と見ている。外国人ということで目立つのかもしれないな…。ハロー攻撃を受けることもあれば,犬に吠え続けられることもある。

入り口に屏風が建ち,漢字も刻まれているが,このタイプは阮朝宗室の陵墓ではない。宗室なら屏風に刻まれるのは龍,鳳凰,麒麟などで,ここの屏風のようなデフォルメされた花ではない。


15:51,国道1号線から外れてChùa Sơn Bằng(山平寺?)の背後を探ってみる。

囲いがあり,宗室の陵墓であってもおかしくないのだが…。


建っている銘板を観たら,宗室の陵墓でないことがはっきりした。漢字が刻まれていることから,阮朝宗室の陵墓であることは否定されるものの,それなりに伝統あるものかと思う。